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・多忙な毎日と携帯電話
(2003.5.16)

-- 多忙な毎日と携帯電話 --

 先週からサボってしまいました、このエッセイコーナー。

 体調不良を心配していただいた方も何名かいらっしゃいましたが、基本的に体は大丈夫です。ただ単純に新しい仕事に振り回されている毎日(参考:最近の睡眠時間=1.5時間)。そのために、エッセイに取り掛かる時間が持てない、それだけの理由です(実際、その多忙さの為から嫁に「顔が土色になっている」と失意のどん底に落ちるようなコメントをいただいているので、体調が万全とは言いかねますが(悲))。

 5月から携わることになった、新雑誌(海外旅行系)創刊の外部編集者として携わることになって早2週間。あっという間でした。ほとんどその業務に追われ、これまでレギュラーで取り組んでいたウェブ系、ライター系の仕事がおろそかになってまいりました。エッセイをサボったこととあわせてお詫び申し上げます。あああと、この仕事の急なアポのため、飲む約束をすっぽかしてしまった高校時代の悪友軍団。ごめんなさいませ。このお詫びは必ずします←あのー、ココに取り上げたので許してください。

 しっかし、新しい企画の立ち上げと言うのは忙しいもので。
 何にも決まっていない状況から、規則なりシステムを構築していくわけですから。
 全てが突然、全てがイレギュラーな形で進んでいくので、まともな生活ができない。ましてやフリーになろうと思った最大の理由、自分の時間を自分の思うままにできると言うフリーの最大メリットが今の仕事では持つことができない。正直この状況を考えあぐねております。

 突然かかってくる携帯電話。

「種藤さん、今日空いていますか?」 

 このコール一つで、どこにいても新宿三丁目(その編集部があるところ)まで飛んでいかなければならない。

「種藤さん、クライアントが○○時が空いたと言うことなんで、行ってもらえますか?」

 このコール一つで、どこにいてもクライアントの会社に飛んでいかなければならない。

 全てスケジュールが決定していない状況で、突然予定が携帯電話で飛び込んでくる状況。しかも毎日のように。
 で、呼び出されたはいいけれど、1時間ぐらい待たされることもざら(最大2時間半待たされました)
 そして、そうした打合せが行われると言うことは、自動的に編集作業が入ってくると言うこと。その日は寝ることができない。そして眠ることなく迎える朝に、編集作業が終わったその原稿を印刷会社に届ける。そして、帰宅してから仮眠。

 そうしていると、また携帯電話が…。

 そんな繰り返しの毎日でした。
 とりあえず今週でひと段落すると編集部は言っていましたが、今までのイレギュラーさを見るにつけ、どうなるものやら…

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 まあそういう忙しい毎日を送れること自体、かつての貧乏一直線な私に比べればぜんぜん幸せなわけで、ましてや私なんかよりよっぽど自分の時間などなくフル回転しているビジネスマン方々は、私の周りにもごまんとおられるわけですが、でもなんか、最近自分がそういう立場になってみて、改めて思うことは…

 携帯電話。
 これ、結構こうした忙しさに油を注ぐ効果が強いと思うんですよね。
 しかも、この携帯電話によって、仕事のクオリティーにも、大きく影響が出るような気がするのです。悪い方に。

 携帯電話は、確かに便利。
 いつでもどんなところからも電話がかけられ、しかもいつでもどんなところにいる相手にも、電話がつながる。
 このおかげで、確かにビジネスにおける機動力、瞬発力と言うのは、携帯電話がなかった時代に比べて、飛躍的にあがったように思います。ましてや21世紀、ビジネスはスピードの時代。携帯電話の活用方法が、ビジネススキルの一つとして考えられてもおかしくないと思います。
 
 でも、でもです。よく言うじゃありませんか。便利と人間の能力は相反するものであると。
 携帯電話って、まさにそれを象徴するものであると思うんですよね。

 いつでもどこでも相手と連絡が取れる状況と言うのは、実は限られた時間の中で必要な情報を相手に伝えると言う能力が不必要になる。

 いつでもどこでも相手と連絡が取れる状況と言うのは、実は限られた時間の中で必要な情報を相手から聞き取るという言う能力が不必要になる。

 いつでもどこでも相手と連絡が取れる状況と言うのは、実は相手がいつどこにいて、どういう状況であるかを、理解、想像する必要がなくなるということである。

 いつでもどこでも相手と連絡が取れる状況と言うのは、実は相手に自分がいつどこにいると言う情報を、伝達する必要がなくなるということである。

 これらの必要がなくなるということは、これらをする能力がなくてもいいということ。必然的に、そうした能力は養われないわけで。
 そしてそれは、実はビジネスにおいて、とても効率の悪い結果を招くことになると思うんですよね。

 実際、編集の仕事を例に挙げると、編集の仕事で結構重要なポジションを占める校正(すごくざっくり言うと、原稿と写真をレイアウトデータに起こしたものを、間違いがないか確認する作業。一見簡単そうに見えますが、とても神経を使い、かつ時間がかかるんですよ)。

 携帯電話というツールがあると、締め切りぎりぎりのタイミングまで、校正したい箇所と言うのを版元へ伝えることができる。

 確かに、ぎりぎりまで良いものを作りたいと言うことを考えれば、締め切りぎりぎりまで内容にこだわる姿勢と言うのは重要。でも、それを逆手に取ると、ぎりぎりまで伸ばせるのであれば、前段階までに出す校正作業では、「まあ締め切りぎりぎりでも、電話で伝えればいいか」という油断ができ、その一回の校正作業におかれるプライオリティーが下がる。その結果、一回の校正の内容が悪くなり、何度も直すことになる。何度も直すと言うことは、時間もかかるし、再度その直した箇所が印刷に反映されているかチェックしなければならないので、正確性も低くなる。

 少なくとも、ミスの少ない良い内容のものになることには、つながらないと思うんです。

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 本来、仕事と言うのは、少ない時間で高いパフォーマンスを上げるというのが理想であるはず。

 しかし、携帯電話という便利なツールは、ある意味『時間無制限』的な情報伝達を可能にするため、上記の「少ない時間」という部分を完全にすっとばしてしまうわけです。

 だから、今回の新雑誌創刊の動きも、高いパフォーマンスを上げようという気持ちはわからないのではないのですが、明らかに「少ない時間で」と言うところに意識がおかれなさ過ぎています

 今回仕事で一緒にやっている某情報誌の出版社の方々は、そうした『時間無制限』というところにすごく誇りを持っているようなのですけれど、とにかく高いパフォーマンスと言う部分の一点張り。高いパフォーマンスのためならば、何だってやると言う勢いがふつふつと伝わってきます。その結果が、「種藤さん、今時間空いていますか?」「種藤さん、今クライアントが○○時空いたと言うことなんで、行ってください」というコールになる…

 でもねえ。それってもっと前の段階からスケジュールを組んで、お互い情報を共有しておけば、そんなイレギュラーな動きにならずにすむと思うんですよね。そしてそういうイレギュラーな連絡に限って、その前に行われていた打合せの二度塗り替え見たいな内容だったりすることが多い。

 はっきり言って、効率悪い。時間の無駄
 忙しいには忙しいんですが、内容が薄いんだなあ。結局。

 そういう忙しさに悦に入るような時代(就職活動中の学生が、「今日は朝から晩まで5つの面接が入っている」と自慢する類の悦)はもう過ぎました。
 そろそろ、高いパフォーマンスの前の「少ない時間で」も考えはじめたいところです。結婚もしたことだし。

 携帯電話のクイックな行動もいいですが、もう少し高い効率性を追い求めましょうよ。来月は、よろしくお願いしますよ。ってこのコラム読んでいる人の中には、今回の仕事で携わっている人一人もいないんで意味ないんですけれど(悲)。

 ということで、私の10年以内の目標は、

「仕事をする上で、携帯電話を一切使わない、持たない

 ということです。はい。

 あ、ちなみに、再三このエッセイで書いている某携帯電話会社のテレビコマーシャルと今回の内容は全くリンクしていませんので。テレビコマーシャルのほうは、あくまでメディアを通して伝える伝達方法(出演者、演出方法)に苦言を呈しているわけで。その辺ご理解ください。

 今回は、ちょっと愚痴っぽくなっちまいましたが、睡眠不足と久々に呑んだ芋焼酎ロックが利いていると言うことで。ご理解ください。

 では、その利きっぷりにあやかって、今日のところは寝ます…

■J


2003.5.16.
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