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■過去のESSAY■
・ようやくまとまりました。私がなぜフリーで生きていくか
(2002.7.3.)

-- ようやくまとまりました。
私がなぜフリーで生きていくか --

 

 私が今なぜフリーとして仕事をしているか。それはフリープランナー、T氏との出会いがあったからでしょう。

 彼との出会いは、あるビジネス交流会。売れないミュージシャン、ミニチュア松山千春を売れるようにするという、今思えばなんの意味があったのかさっぱりわからない会合で、「売れないよ」というNGワードを誰もが曖昧にしていた中、T氏ははっきりと「売れない」と言い切りました。その論理も明確であり、何より元音楽業界に身を置いていたという点からも、その場にいる誰もが納得するものでした。にわかヤンエグ(死語)気取りの私といえど、いちころでした。
 さっそく私は、帰りがけのT氏と名刺交換をし、連絡を取るようになりました。
 そこから私は、大学やら内定先研修やらそっちのけで、T氏と行動を共にするようになりました。内定先の企業に出す企画を共に考えたり、T氏のそれ以外のプロジェクトに共に参画したり・・・非常に有意義な時間でしたね。大学時代に鬱積したものが、ここで一気に吹き出した感じでした。
 そんなこんなで、いざ、内定先の企業に就職・・・という時期にさしかかったわけです。まあ普通ならば、企業に入りながら、T氏とつき合おうという流れになるのですが・・・私の怒濤の勢いはとどまることを知りません。幸か不幸か、T氏の知人のプランニング事務所Aが、アシスタントを捜していると言うことで・・・入社式3日前、内定先の企業にお断りをし(注1)、そのプランニング事務所Aに、アルバイトとして働きつつ、T氏とタッグを組み、仕事をしていくことになりました。

 こうして私は、企業に所属することなく、フリーという立場で、社会人となりました。

 T氏とは、いろいろ経験しましたね・・・彼はウェブプランナーと言うことでしたけれど、結局何でもやってましたから(笑)。ある時は渋谷でショップのプロジェクトを、時には有明でプロレスHPの制作・管理を、またある時は六本木のクラブ(お姉ちゃんがいるところじゃないよ。若者が集う方)で、交流会イベントを開催・・・。普通の企業に就職したことはないですけれど、おそらく他の社会人よりも、たくさんの、しかもかなりコアな経験をすることが出来ましたね。
 では、なぜそのT氏と袂を分かったかって?うーむ・・・まあいろいろ理由はあるんですが・・・今はあまり連絡を取っていませんが、いずれまたご一緒させていただきたいですね。それまでに、私がもっともっとパワーアップしなければ・・・と思いつつ、今日に至るわけです。

 T氏という人物は、かなり独自の価値観を持った人でした。フリーで仕事をするという考え方ではなく、人生全体をフリーとして生きるというか。私の中でもそういう風に生きたいと、どこかで思っていたのでしょう、T氏との時間を通して(なんだか恋人みたいですね)、私の中にもそうした人生観が大きな位置を占めるようになりました。そのためのツールの一つに、フリーで仕事をしていくというのがあるんでしょうね。僕がフリーという立場で仕事をしている意味は、本当はそこにあるのだと思います。

 少々生意気な意見だと思いますが、私はこんな感じでフリーとして仕事をし、フリーとして人生を生きていこうと思っています。至らない点は当然ながら、多々あるかと思いますので、その際はみなさん、いろいろご指導くださいませ。

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 え?そういえば、T氏に紹介されたプランニング事務所はどうなったかって?逃げられました。給料2ヶ月分持ち逃げされて。現在音信不通です。生きているのでしょうか?

■J

2002.7.3.
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