先日、打ち合わせの合間でCDショップに立ち寄った。最近のCDショップは視聴設備が整っているので、時間をつぶすにはもってこい。また、オリコンチャートに載っていない、でも最新のちょっとマニアックなCDを探したいときも、この視聴設備のおかげで、非常に助かっている。とあれこれ考えつつ、いろいろなCDを視聴していると、邦楽コーナーへ。見ると、安全地帯の名前が。数年ぶりに復活という噂を聞いていたが、このアルバムか・・・とさっそくヘッドフォンをはめ
、一度ハッピー7のアルバムとボタンを間違えつつ、安全地帯のアルバムナンバーに合わせる・・・。
いいっすねえ・・・玉置。
ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪ふんふんふん♪ふんふんふんふんふ〜〜〜〜ん♪
|
気がつくと、
隣の人がエイリアンを見るような目でこちらを見ていた。私は店を出た。しかも次の
打ち合わせの時間に遅れた・・・
---
私、あまり邦楽を積極的に聴くことはないのだけれど(
だってCDとか買わなくても、街を歩いていれば売れ線CDの曲は聴こえてくるので)、
安全地帯の玉置を始め、
井上陽水、
松山千春などは、かなり愛着を持って聴いている(ちなみに私のカラオケ18番は『ワインレッドの心』安全地帯。よく茅ヶ崎の某飲み屋で熱唱していました・・・)。これらの人たちに通じる才能は様々なれど、
私が最も惹かれるものは、その美声。玉置のかすれた深みのある声、陽水のぼんやりとした透明感のある声、千春の澄み切った奥行きのある声・・・。これぞプロの歌い手(死語)ですよ!私に言わせちゃ、声で聴かせられないような歌手はカス(歌手とかかっているのですが、気にしないでください)です!!歌声で聴かせてくださいよ!最近そういうシンガーが少なくなったのには今の日本経済が大きく反映されているわけでありまして・・・
すいません。取り乱しました(これ著作権あるのかな)。
玉置氏の歌声を聞いて、改めて思い出したこと。それは
「理屈抜きで美しいと思えるものがある」と言うことでありました。理屈を超越した、自分の感性に直接訴えかけるものこそ、人間にとって最も大事な要素の一つであると私は思います。それには当然ながら、自分の周囲にある善し悪しを決定づける情報(知人の話、マスメディアの情報)は、多少の影響はあるにせよ、根本的には必要ないわけです。自分でいいと思えば、それが最高にいいものであり、それがすなわち、自身の感性を語る上での一つの物差しとなりうると思うのです。
自身の感性をアウトプットすることが、今の世の中良しとされ、
逆に「○○『ぽい』」のような曖昧な表現が否定されがちな風潮があるのは、皆さん何となく感じてらっしゃると思います。しかし、自身の感性を具体的に、他人にわかるように言語化するのは非常に困難だし、実際その必要もそれほどあるわけではないと私は思うわけです。自身の生活の中で、取捨選択するシーンで行動に反映されていれば、私はそれが言語化されていなくても、具現化されていなくても、全く問題はないと思います。で、そのためには、
「これがいいっ『ぽい』」と思えるものを、常にストックしておくことだと思うのです。
町中で何気なく見かけた雑誌の表紙がすごくかっこよかったり、ふと見た建物が美しく見えたり、たまたま見上げた空が、すごく透き通っていて、感動してしまったり、たまたま深夜番組で見たプロレスの試合に千脇肉踊ったり・・・CDを視聴していて、美しいメロディーに酔いしれたり。
そうした自分の「好きっ『ぽい』」ものに対して、周りを見渡して判断するのではなく、自分に正直に感じたままに、胸にしまっておきましょう。それがすなわち自身の個性になり、感性になり、それが自分がリスクを負ってでも取り組みたいものにつながり、
最終的には自身の人生をバックアップするものに・・・は簡単にならないでしょうが、すくなくとも人生を豊に生きるためには、こうした感覚を持っている方が、絶対得だと思いますね。僕は。
と思っていたら、ラジオから
吉田拓郎(注1)が聴こえてきた・・・
上記フェイバリット・ミュージシャンリストに吉田拓郎も加えてください。カラオケでは歌いませんが。
■J