-- 結婚における男のあり方について --
先日、久々に大学時代の悪友達と飲んでまいりました。
一応私の結婚祝い、という名目で晴れて2月に1児のパパになった、小学校教員・Sの仕切りの元、男だらけ9人で開催されたこの宴。
予想はしていましたが、思いっきり私の結婚祝いという流れは見られず、
むしろSの子供自慢+結婚生活話のはけ口の会となりました。
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さて、今回このエッセイで取り上げたいのは、大学時代の思い出でもなく、飲み会における
Sの記憶スケッチアカデミー<注1(by故・ナンシー関・)の書きっぷりでもありません(
記憶スケッチ<注2に関しては、別の機会にじっくりとご説明したいと思います)。
今回の飲み会を通して感じたこと。
それは、男性陣は案外
結婚したときの男のポジションというものに、強いこだわりを持っているということです。
今回のほぼ主役、S。
彼は二次会にはいると、酔いも手伝って、次のように語り始めました。
「俺の家は、正直嫁さんのほうが(立場が)上なんだよな」
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ふむふむ。どの家も一緒だ(笑)、と思っていたのであるが、嫁さんに手綱を渡している私としては、そういう方向で同調していくのかなあと思っていたのであるけれど、Sはちょっと違って…
「嫁さんの言っていることは間違っていないよ。悪いのは俺だよ。ほとんど。でもさあ、やっぱり俺が一家の主なんだから、やっぱり俺を立てるというか、なんというか…」
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『俺だって、一家の主なんだから』。
そう正確に言ったかどうかはわかりませんが、そんなニュアンスで管を巻いていたのは確かなので、これで推し進めることにして、とにかくSは
、『一家の主なんだから』尻に敷かれながらもびしっと威厳を見せたいと。そういう感じなのですね。
まあ確かに彼、
男女の関係性において、古風な考え方を抱いていたことは、大学時代から酔うにつれ暴かれてはいたのですけれど(決して素面の時は女性の前でそういう考えをもらさない男です)、いざ結婚して、そういう自らが描いた男女間における男性のポジションが実現していないのを感じて…同じ事を二度三度繰り返して言葉に吐き出すわけでありました。
で、私はあまりそういう風には感じず、
「尻に敷かれているぐらいが男はちょうどいい」という、ちょっと逃げ腰な感じであり、それがまあ世間ではスタンダードであると勝手に思い込んでいたのですが…
どうやら僕が少数派なようです。
Sの話を聞いていた大学同級生大半が、「
Sの場合はさておき、自分も基本的には結婚したうえで、男が上に立つスタンス」という意見を持っているのです。
しかも、
結構普段は「女性寄りな意見」を一般的に持ちそうなやつほど、『男上論』だったりする。
なぜだろう。なぜかしら。
私はあまり、女性が上だ男性が上だとか、そういう風なことを考えずに結婚というテープを切ってしまったため、私が現在尻にしかれていようがしいていようが、それよりもまず生活しなきゃというところに頭が行っているわけでありまして。
でもまあそういう風=『男女間における男性優位にあるべき論』に考えるのが世のスタンダードであると、きわめて小さな小さな多数決によって決定されてしまったのを受けて、私は妙に納得させられてしまいました。
だからといって、僕の結婚生活におけるスタンスが変わるわけではないんですけれどね。
その証拠。飲み会の帰り、電車が私の最寄り駅のひとつ手前までしか到達しないものしか残っていず、しかもその日に限って携帯電話の充電が切れ、真夜中12時半、タクシー代をケチってとぼとぼ一駅分の距離を歩き家に帰った私は、連絡がつかない・タクシーでも帰ってこないという二つの理由から、
嫁にこっぴどく絞られました…。当然ながら、無抵抗。
注1:S作・記憶スケッチアカデミー。さて、彼は何を描いたでしょうか?
■J