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・見た目での判断というのはいとはかなきもの
(2003.4.17)

-- 見た目での判断というのはいとはかなきもの --

 先日、初の新宿二丁目(以下二丁目)デビューを飾った私。(注:1)

 いや〜楽しかったですねえ。といってもそっちの方面に目覚めたというわけではなく、おかまちゃんたちのお客へのおもてなし具合は非常に勉強になったし、ああいう雰囲気で酒を飲んだり歌を歌ったりするということが、非日常的な空間の中の楽しさといいますか、一種開放感に似た面白さがありました。おそらくこの駄文をお読みの方々の中にもまだ二丁目チェリー(=未経験者)がいると思いますが、機会があったら是非行きましょう。生半可なおねえちゃんのお店より絶対面白いですよ。

 今回二丁目にいざなってくれたナビゲーターは、以前うちの嫁が勤めていた会社の元取締役という人。確か27歳。僕よりたった2歳上であるだけで、数社の取締役を就任する(うち代表取締役もいくつか)かなりのやり手。まあいわゆるベンチャーキャピタルの方なのですが、なかなか身の回りにそういう類の人っていないですよね。先日もその方、某雑出版社を買収し、今やその出版社の代表取締役だということ。一応出版業界の端っこを突っ走っている私としては、仕事の発注先(=私が頭が上がらない方々)である出版社のトップがこういう形で決定され、しかも僕といくつも変わらないこういう人がひょこっとある日社長の席に座っているというのは、うーむ世の中の常識というか既成概念というのはつくづくもろいものなのだなあと感じずにはいられないわけです。

 年功序列の崩壊なんてよく言いますが、われわれの周りで起こっているそれはまだまだ。この方のやっていることこそ、年功序列の崩壊を如実に表しているといえるでしょう

 でもその方、実際会ってもそういう『やり手』的なものを感じない、単なる騒がしいお兄さんなんですよね〜不思議なことに。

 実際二丁目当日も、自身がナビゲーターをしていたにもかかわらず、一番最初に酒でダウンし、ほとんどの時間カウンター越しに臥せっておりました。で、たまに目を覚ませばアカの他人のちょっとこぎれいな女性に絡みまくる始末。で、その醜態を見せるたび、オカマちゃんに「ハウス!」と怒鳴られシュンとなり、また臥せって寝る。おかげで帰りのタクシーは大変でした。

 しかし、泥酔状態の中で「俺は去年の所得税○00万円払ったんだぞ!」という雄叫びを聞き、「あらら、僕はその○00分の1しか払ってないなあ。やっぱりこの人、稼いでいるんだなあ」と改めてこの方のすごさを思い知らされたりしました(まあこの方が言っていることが本当であればの話ですが、たぶん本当なだけに自分が悲しくなるのでこの方の言葉を疑うことをやめています)。

 しかもその日、同じ時間店にいたサラリーマン風一団は、証券系のトップクラスエリート軍団だということが話を聞くにつれわかり(ちなみにそれがわかったのは、そのかたがたと肩を組んでほぼため口状態になった瞬間だったので、ちょっと酔いがさめました)、

人は見た目で判断しちゃあだめなんだなあ

とつくづく感じたわけです。

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 私が一時期はまったライター・ゲッツ板谷(注:2)の著書『情熱チャンジャリータ』(双葉社・2003年)の中で語られているのですが、著者=ゲッツ板谷の叔父は本物のや○ざさんで、それもかなりの大物。しかしその叔父さんは、初対面の人には必要以上に低姿勢を貫くらしいです。で、ルックスもとてもそちらの世界の人には見えないらしく、ほとんどの人はその叔父さんのことをかたぎの人のよいおじさんと捉えるらしい。で、中には調子に乗って明らかに暴走気味な言動に移る人も。そういうのが度を越した人に対してその叔父さんは、一気にその世界の人である本領を発揮し、その度を越した人は度を越した制裁を受けるというらしいのです…。
 
 まあ何がいいたいかというと、世の中見た目で『できる・できない』、『大物・小物』という風に判断するのはとても危険なことであり短絡的なことであり無知なことであり、逆にそういう風に見た目で『できる』『大物』ぶりを演出しているのは、まああまり本当の『できる』『大物』ではないことが往々にしてあるということなんですよね(中には外見と内側がきちんと伴った『できる』『大物』もいると思いますが)。

 私もこれまでいわゆる世間的に『できる』『大物』と言われる人と接する機会がこの年にしてはあったほうだと思いますが、まだまだ世の中のそういう人たちに関しては、正直わかりません。どの人がどれだけすごいのかは、やっぱりある程度会話を重ねたり仕事をしたりして接点を持ち、自分自身の価値観で判断していくしかないですね。そうしていくうちに、人を見る目は養われていくものだと、二丁目の夜明けを眺めながら感じていました。

 まあ一番この日大物だと感じたのは、ナビゲーターでもエリート軍団でもなく、その方々を赤子をひねるように扱うオカマちゃんだったんですけれど。

 また二丁目行きたいなあ(でも高いからなあ)。

■J


2003.4.17.
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注:1その日の模様です。
注:2 ゲッツ板谷オフィシャルウェブ。必見。