---
突然だが、話が変わります。
私の生まれ育った街、茅ヶ崎の隣の町・藤沢。
ここに今や伝説と化している人気ラーメンショップがあります。
佐○実氏が展開するラーメン店・『支那○ばや』。
現在は横浜ラーメン博物館にも出店、佐○氏本人も某T○S系バラエティー「ガチ○コラーメン道」なる企画にレギュラーとして登場。ラーメン屋のオヤジとしては日本で一二をあらそうカリスマぶりを発揮しているのは、皆さんいくら私がイニシャルトークでかましてもわかるでしょう(と言うかわかるように言っているのだけれど)。
私は、ここまでブームになる前から、『支那○ばや』の存在は知っておりました。しかも、地元ではすでにかなりの有名店。
なぜ有名か?それは鹿児島の黒豚の背骨しか使わないこだわりぬいた店長のスープだとか、産地を厳選した小麦粉で水も山奥から毎日運んできたものでしか麺を打たないだとか、そういうことではないのです。
まあ確かに味も有名になったようその一つだったけれど、私が『支那○ばや』を知ったのは、まさに佐○実氏本人の強烈なキャラクターにあったのです。
私語を交わすことなど言語道断。
食べ方まで佐○氏に指導される。
黙って出された麺を嘱する空間。
佐
○氏の方針に逆らおうものなら、「出て行け!」。
全く洒落の通じなさそうなあの目で迫られ(解りますよね)、何人のラーメンファンが箸を付けずにその店を去ったことか。そう思うと目頭が熱くなって仕方ありません(嘘です)。
・・・と言う噂を小学校時代からの悪友Gの体験談から聞いたため、私は「あの店には行きたくないなあ」と当時生理的に良く思っていたものなのですが・・・
世間の感覚はそうではなかったようです。
結果的に、客商売にあってはならないその横柄な態度が、ラーメンに対する拘りという価値観にすり替えられ、気がつけば他の追随を許さないブランド化が確立していったようなのです。
前出の『ガチ○コ』では、
逆にその怒り方こそ佐○氏の魅力、その怒りこそ視聴率につながるような図式ができあがっている今日。
私はこれを、
『佐○実的ブランド信仰』と呼ぶことにしました。
そして、その『佐○実的ブランド信仰』を、私は久々に体験することになったのです。
1月某日、あの行列の先で・・・
---
行列に並ぶこと20分ぐらい。
ようやく店内に入り、お目当ての商品をさっそうと手に取り、足早にレジに駆け込もう・・・と思ったのだが・・・
行列第二弾。
10人以上の行列がレジの前に連なっている。
まあここまで来たら並ぶしかないとさほど躊躇することなくその列に加わり、レジに近づき、いよいよ会計・・・(ってこんな引っ張る事じゃないんだけれど)。
僕:「あ、これお願いします」
レジ:「はい、この商品で結構ですねー」
|
ひょいと持ち上げられた商品。持ってきたんだから当たり前だろうとあきれつつ、
その感情の入ってなさっぷり、ちょっとびっくりするほど。
僕:「あ、ちなみに、このバッグ以外のサイズはないんですよね?」
|
一応欲しかったバッグを買ったのだが、奥様が本当に欲しかったのは一つ下のサイズ。店内にはディスプレイされていなかったので諦めかけていたのだが、ダメ元で会計の人に聞いてみると・・・
おい!
多分ってなんだ!確認してもらいたくて聞いているのに、おまえの記憶のみを判断材料にするな!せめて奥の倉庫か何か探しに行くそぶりぐらいしたらどうだーーーーーーーーーーー!と
心の中で叫んでいるチキンハートの私。いっそ「ない」ってきっぱり言ってもらえればあきらめもついたのだが、「多分」って・・・。当然ながら、その言葉には一切の感情は感じられなかったのは言うまでもないです。
その後、会計は済み、商品をもらって店を後にしたわけだが、当然ながらというか彼らにとっては当然のことのように、
私に対して「ありがとうございました」という言葉は聞こえませんでした・・・
---
忘れていました。この手の店の店員。
佐○実的ブランド確立手法をまさに実践していたのです。
世間で言う接客という概念を180度ひっくり返す、
無感情無関心無感謝接客。お客に来たことに対して罪悪感を感じさせるほどの威圧感。
『支那○ばや』と共通することは、
お客に対してボーダーラインを店側から引き、ふるいにかけることで、選民的ブランドイメージが確立されていくわけです。
行列の先にあった、佐○実的・選民的ブランド力の現実。
今、行列に並ぶと、もれなくそうした素晴らしい接客が待っている可能性大です。
みなさん、ご期待あれ(気をつけて)。
■J