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■過去のESSAY■
・テレビコマーシャルよ、プライドを持て
(2003.4.2)
-- テレビコマーシャルよ、プライドを持て -- 

  引越し後、片付けもようやくまとまりつつあり、テレビなんぞごろんとしながら眺める時間も作れるようになったということは、先日のエッセイで語ったわけでありますが…。

 最近、テレビ見すぎです。私。
 しかもかなり主婦層と同じ目線で。

 まあ3月まで毎日のように追いまくられていた仕事がひと段落し、ネットさえつながれば仕事ができる状況であることがこうした毎日の要因ではあるのですが、ちょっと見すぎですねえ。でもやめられない。軽い故・ナンシー関気分です(彼女に比べればまだまだヒヨっ子でしょうが)。
 じゃあナンシーばりにテレビ批評をかましてみろといわれる諸兄もおられるでしょうが、番組自体は特番中心でとりたてて語ることもないのであえて触れません(触れられません)。

 私がテレビ漬けライフで一番気になること。
 それは、『テレビコマーシャル、もっと誇りを持て!』ということです。

例1。
 ブラット・ピットが出演している日本製某ジーンズメーカーのコマーシャル。
 階段からサーフボードに乗って滑り落ち、腹部を強打したブラット・ピットが腹を抑えつつ、高島忠夫ばりに親指を突き出して、メーカー名を一言。

『エド●ィン』

 ばかばかしいことをばかばかしいとわかっていながらそのばかばかしさを楽しんでいるというブラット・ピットの名演(?)が光るコマーシャルですが…。

 ここ最近、このコマーシャルが始まる前に「危ないのでまねしないでください」的なスーパーが画面下部に入っています。
 危なくてばかばかしいことをわかっていながらやっているところにこのコマーシャルの肝があるのに、それを始まる前から冷静に表記して突っ込んでしまっていると、ブラット・ピットの演技も台無し。腹部を強打した彼の苦労も報われないというものです。

例2。

 今をときめくセレブ(いまだにこの言葉の指し示す意味がよくわからない私)の代表選手ともいうべき、松●奈々子。
 彼女が登場する某お茶のコマーシャル。
 中学校の教室には結構いるであろう、いかにも恋愛にゆがんだイメージを抱いていそうな丸坊主チェリーボーイ君が、ゆがんだ恋愛漫画をわき目も触れず読み漁っているところに、松●、滑り台の助走を活かしてドロップ・キック(そもそもなぜチェリー君が滑り台の下で漫画を読んでいるかというありえないシチュエーションには、まあ製作者の何らかの意図があるということでこの際突っ込みません)。
 で、松●がチェリー君からファーストキスを奪う。でもそれは松●の唇ではなく、松●の右手にはめたパンダ人形。そうした不測の事態に全くといってよいほど表情の変化が見られないチェリー君。この素人くささ、製作者があえてぶつけたのか、なんともいえない雰囲気をかもし出しております。久々に印象に残った作品。

 でも。しばらくしてこのコマーシャルを見てみると、一番の山場ともいうべき松●ドロップ・キックがチェリー君にヒットする瞬間の映像がカットされているのです。
 あきらかに不自然な流れになったこの作品。残念でなりません。

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 おわかりでしょう。
 ここ数年現れ始めた、テレビ・コマーシャルに対する規制。
 最近、特に顕著に現れ始め、コマーシャルの作品のクオリティーを左右するまでに影響しています。
 これは私、大変危険な傾向だと思っております。
 
 確かに、コマーシャルの持つ最大の目的は、自社製品の販売促進。
 消費者に悪いイメージをもたれては何の意味もない。
 よって、コマーシャルをみて視聴者からクレームが来たら、それに対して最大限対応しなければ、販売促進にマイナスの影響が出るのは明らか。なので、クレームには常に配慮をしなければならない。
 それはわかります。
 しかし、だからといって、それにばかりこだわりすぎて、製作者が伝えたい意図を曲げてまで、視聴者に迎合するのか。
 そもそも、テレビ・コマーシャルを見てクレームをわざわざ言ってくる人間自体、かなりの暇人と見ていいでしょう。だって、私の周りに「この前、あのテレビ・コマーシャルを見て、怒りのあまりにメーカーに抗議の電話をした!」という人を誰一人として知りません。

 で、そういう人たちの言うクレームの共通点は、『子供が真似する』というもの。

 これは以前は、テレビ・バラエティー番組に対して多かったと思われます。
 私も中学時代、某深夜バラエティー番組で毎回やる罰ゲーム「ちょうちょ」というのがあり(一人の人の両手、両足をそれぞれ4名で持ち、上下に上げ下げするもの。私もやられましたが、かなりおっかなかったなあ)、それを真似して友達とよく掃除の時間遊んでいましたが、ある日、そのバラエティー番組が放送中止に。なんでも、その「ちょうちょ」を真似して子供が大怪我しただか死亡してしまっただか。友達一同、「なんでそんなことになってしまったの?僕らの遊びではそこまでの危険性は感じられなかったのに?」というクエスチョンマークを抱えたまま、「ちょうちょ」自体に飽きてなんとなくその事件および「ちょうちょ」自体から私はフェードアウトしてしまいました。

 確かに、真似して危険であることはわかります。でも、それを放送で規制するのも、限度というのがあるでしょう。

 はっきりいって、子供を馬鹿にしているとしか思えません。
 子供って、親以上に危険というものに敏感です。自分たちにとって明らかに「危ない」と感じるものに対しては、それなりの注意を払うし、抑制をすると思います。ただ、ちょっと集団的心理から、ボーダーラインを超えちゃうときが子供には時にしてあるので、そういう暴走をストップする機能だけ学校・社会に作っておけばいいと思うのです。  
 それを情報を発信した元ねたに矛先を向けるのは、ちょっとお門違いかなと。

 …とまあ日本の教育論にまでそれてしまいましたので、最初に話を戻します。

 私はテレビのコマーシャルというのは、ここ最近一番クリエイティブなものがあふれている媒体であると思います。実際、テレビ・コマーシャル製作の人が、映画やら何やら多方面で活躍するようになっているのは、ひとえにコマーシャル製作人口の質が上がっている証拠でありますし、実際変なテレビ番組よりも面白い(間違っても、テレビ・コマーシャルが映画、テレビなどより劣るという意味ではありません。あくまで活躍の場が増えているというニュアンス)。

 そういう質の高い製作現場があるにもかかわらず、それを変に横槍入れる視聴者からのクレーム、それに従順すぎるほど従ってしまう媒体本体(メーカー、代理店どこに決定権があるかはよくわかりませんが)の姿勢は、いかがなものか。

 テレビ・コマーシャルというものに、もっと作り手側全体が、誇りを持ってクレームなどに対処してほしいですね。これからますますテレビ・コマーシャル・ウオッチャー度が上がってくるであろう私としての、切なる願いです。

 で、時間をもてあましてクレームの電話をしている方々。もうちょっと考えてから行動に起こしていいんじゃないですか?「子供が真似する」はもうメーカー側の規制に任せて、視聴者ならではの、製作側の盲点を突くクレームを言うようにしましょうよ。

 …って、1ヵ月後、自分が一番のクレーム言っている視聴者になりかねないテレビの見っぷり。
 さ〜て、仕事しよっかな…。

■J

2003.4.2.
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