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■過去のESSAY■
・電車で席を譲ると言うこと
(2002.8.21)

-- 電車で席を譲ると言うこと --

 私は現在、オフィスまで電車で通っているのですが、電車というのは公共の交通機関。当然利用するからには、共に利用するに当たって守らなければならないルールというものが存在するわけです。電車に乗るときは、入り口の前に2〜3列になって並ぶ(これは大阪では通用しないらしいけれど、どうなの?関西人??)。降りる人がいなくなってから入る。リュックを背負っている人は、網棚に置くか前にかける(後ろの人のじゃまになっちゃいけないからね)。携帯電話は社内では電源を切る・・・と諸々あるわけですが。

 その中でも代表格、そして最も線引きが曖昧なルール、それが「席を譲ること」であると私は思うわけです。私は根本的には善良な市民なので(嘘)、足が骨折でもしていない限り、電車内では率先して席を譲る事にしているが、この暗黙のルールによって、いつも悩み倒される。みなさん、どうでしょう?

 第一、優先席という存在自体、この「席を譲る」ことを冒涜しているような設備だと私は思う。なんだ?優先席でなければ、席を譲らなくていいのか?私の彼女は優先席が空いていても、「譲らなければいけないから」と座ることを躊躇する。でも、明らかに周囲に譲るべき人がいなければいいじゃない?ということで、私は何も躊躇せずに優先席に座ります。はっはっは(意味はないけれど)。

 あと、席を譲る距離感。目の前に譲るべき人がいれば、即座に行動に移せばいいのですけれど、ちょっと遠目に立っているご老人・・・私が譲ってもいいが、それより近い位置に譲ってもいいだろう若造(私も若造だけれど)が座っていたりする。ちょっと乗り出して譲ってもいいけれど、もし同じタイミングで若造が席を譲って、振り返ったら私の席が別の奴に取られていたりすると・・・と頭がぐるんぐるんしているうちに、そのご老人は去ってしまう・・・と言うご経験、ありませんか?だから私は微妙な距離の場合は、敢えて譲らないことにしている。そこまで善良な市民ではないと言われても、そうする。

 そして最も憂うべき問題点、それは、譲っていい人かどうかという判断基準。これが厄介。微妙な人っていますよね?年は行っていそうだけれど、結構背筋がピンとしていて、譲ろうとした瞬間、「わしはそんな歳ではない!!!!!!!!!!!!!」と周囲1メートルぐらいの鼓膜をびんびん刺激するほどのカツを入れられそうな感じの。そしてあきらかに立っているのが辛そうにも関わらず、絶対に席を譲られても断り続けるご老人。私はこの手の老人に2度会い、見事「断る!!」を連発させられ、中途半端な状態で譲ろうとした席に座った経験がある。これはかなり辛いっす。つーか、嫌だ。でもこればっかりは私の価値基準を信じるしかないので、「これだ!!!!」と思ったら譲ることにしています。

 と言っている矢先に、いたいた・・・妊婦さん。おなかがおっきくて辛そうだ・・・

僕「あ、席、いいですよ」
女性『いいですいいです』
僕「いや、そういわずにどうぞ(ここで負けたらいかん)」
女性『いや、いいですいいです』
僕「いや、お体辛そうですから・・・おなかにも悪いですから(絶対に譲るぞ)」
女性『いや、私妊婦ではありませんから・・・
僕「・・・・」

 もう、席譲るの辞めよっかな・・・。

■J

2002.8.21.
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