top | profile | work | link | essay | gallery

■過去のESSAY■
・究極のサービス
その2
(2002.12.18)

-- 究極のサービス その2 -- 

※中谷彰宏著「ホテル王になろう」(太田パブリケーション刊)を読んだ私は、究極のサービスについて考え出した。すると、今の世の中には究極のサービスと呼べるものがない!と言う悲痛の叫びを前回語ったのですが・・・今回はその際足る事例をお届けいたします。
究極のサービス その1

 私がもっとも忌み嫌うサービス。
 それは、デパートの洋服売り場のサービスであります。
 結論から言うと、「自由に見させてくれ」ということです。

--

 先日、某デパートの洋服売り場にて。
 私は取り立てて目的もなくさまよっていたのだが、同行していた私の彼女は「スカートが欲しい」と拳を固めていたので、それにつられてふらふらあるいていた。そんな矢先、彼女はあるスカートをアンテナで察知したようで、足早にその商品のあるショップに駆け込みました。遅れて駆け込む私。
 そこで私は、デパート洋服売り場の王道的販売マニュアルサービスを見せつけられたわけです。

 しばらくその商品をながめ、手に取ろうかどうか迷っている私の彼女。そこにいつのまに忍び寄ったのかわからない気配で、明らかに年齢に逆走している出で立ちが妙に痛々しい店員(女性・推定30代後半)が彼女に話しかけた。

「どうぞ〜。ご覧ください〜」

 もうご覧しているだろうというつっこみを心の中で入れる私。ほとんどの店でこのひとことから接客がはじまるのはおわかりでしょう。

「お鏡もあるので合わせてみてください」
「よろしければ試着なさいますか?」

 まあこの辺は販売営業としては致し方ないレベルなのであろうが、ハッキリ言ってほとんどの販売員が、客の表情やら仕草を見ずに、金太郎アメ的にその言葉を吐き出す
 ちなみにその時私の彼女は、手にとってみて明らかにその商品から興味が失せているのが隣にいる私にも手にとってわかるほどの表情。そんな奴が試着すると思うか?

 しかしその店員、ノルマが今月は厳しいのだろうか、半強制的に私の彼女を試着室に押し込み、試着を促す。明らかに不機嫌な彼女。おまけで女性のショップで一人残され、手持ちぶさかつ気まずい私。

 3分経過。

 試着室の入口を開ける彼女。まあまあ似合うが本人が明らかに気に入ってないという雰囲気がその場には醸し出されていたのだが、おそれを知らない年齢逆走店員は、いつの間に準備したのやら、

「あ、すごく似合います〜。このセーターとこのコートを合わせれば、すごく着回しききそうですよ♪」

 誰もそんなこと聞いてないだろう的な表情を見合わせる私と彼女。しかも店員がもってきた洋服が、明らかに私の彼女が着ないような色、デザインのもの。まあ試着する前から確率的には低かったのだが、この時点で私の彼女がその商品を買う可能性はゼロを刻んだのは言うまでもないでしょう。

「すいません・・・もうちょっと他を見てきます」

 と、こちらも王道的な販売営業防御策を講じた彼女。その店を出た後、ぼそっと一言。

「私、あの店のあっちの商品も見てみたかったけど、あんな風にこられちゃねえ・・・見れないわよ」

 残念でしたね。上野○○のショップ・×××の店員さん。

 要はTPOなんですよね。実際、上記のような接客をされ、購買するお客もいるし(実際私も昔はそのクチ?)、それはそれで否定しないんだけれど、私や私の彼女のように、欲しい商品を自分で勝手に探したい人も世の中たくさんいる。そういう人たちにとっては、正直上記の販売は煩わしい以外の何者でもない。
 私はかつて、渋谷で洋服屋の販売員をやっていたという話はずいぶん前にこのエッセイで話したとおもうが(覚えてないか)、そういうお客の持つ雰囲気は何となくわかりますよ。誰でも。だから僕は結構相手に合わせて出方を変えていたけどねえ。
 そういう所に神経を使わないのでしょうか今のショップ店員の皆さんは。

 ・・・と、私の回りに究極のサービスと呼べるものが本当にない。ない。ないーーーーーーー!と嘆くことしかできない私でありましたが・・・

 ありました。究極のサービス。

 どこで会ったと思いますか?

 現在私が住んでいる都内某所の牛丼チェーンYの、女性店員さんです。
 彼女はほんとうにすごかった。(見習え!前回登場した別の牛丼チェーン店員!!

 カウンターおよそ15席ぐらいだろうか、満席の状態でも彼女は一人で立ち回り、注文を間違えることなくお客の前に届けていた。品物が遅くなったお客には、本当に申し訳なさそうに「遅くなりまして申し訳ありません!」と頭を下げていた。
 しかもその時は、明らかに泥酔したおっさんが、吉野家史上初めて私も見た前払いで牛皿・ビールを注文し、しかも「牛皿追加」「牛皿もう一枚」「牛丼並、つゆだく」と、その注文ごとにいちいち料金を払うという、店員としてはとてもではないが忙しいとき相手にしたくない人であったにもかかわらず、彼女は笑顔を絶やすことなくすべての要求をこなした。
 その時私が食べていた牛丼大盛り・卵・みそ汁は、なんだかすごくおいしく感じたのは言うまでもありません。

 「究極のサービスはどこにでもあり得る」

 私の考えはそう間違ってもいなかったようです。
 限りなく少ないでしょうが・・・。

■J



2002.12.18.
PAGE TOP > ESSAY TOP