元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 9月14日(土)22時52分52秒 ]
>> 後漢代や、それ以前に起源をもとめる説も有力です。
>> これらは出土した遺物を鐙と認められるかどうかの差になっています。
>> その中で明らかに鐙と認められるものが西晋のものということです。
>> 鐙の歴史については確立したものというより、さらに研究の必要な部分の方が多いものと考えます。
>> むしろ圧倒的に出土例の多い土器などによる編年をより重視すべきで、鐙をもって時代を決めることは、現時点で妥当ではないと思います。
>> むしろ今回の出土によって鐙の研究史に新たな一歩が刻まれたというところでしょう。
>> おそらく西晋に先立つ時代に、鐙があった可能性が濃厚とすべきでしょう。
お気持ちは判りますがそれはどうでしょうか?
土器編年もこれと言った根拠もなく年代が繰り上がったような気がするのですが、妥当だったかどうか解りませんね。
次から次と新しい仮説を持ち出されると戸惑ってしまいます。
前にも言ったように卑弥呼の周りで馬が飼われていた事はないと倭人伝から推測できるのです。
韓の三国時代の新羅の遺跡からは4世紀中ごろの埴輪に鐙をした人物が出てくるそうです。
西晋で4世紀初めに発明されて4世紀中ごろに新羅に伝わり、4世紀末に倭国に伝えられると言うのが順当でしょう。
畿内説の学者でもさすがに日本に輪鐙が3世紀中庸にあったと言う人はありませんよ。
4世紀初めと言うのが畿内説でも大方のようです。
ですから畿内説の学者も箸墓を卑弥呼の墓と考えている人は少ないのではないかと思われます。
248年頃に作られた墓の2,30年堆積した土のなかから出てきたのですから築造から15〜25年後の投棄と言う事になり、
270年前後の投棄であるはず。
使い古されていた物だから10年くらい使用したものと考えると260年には馬がいなければならない。
280年に書かれた史書には倭国には馬がいないと書いてある。
しかもこれは何の装飾もない実用品ですから王侯貴族の持ち物ではなく、兵士または農民の使用したものでしょう。
ですから馬が大量に飼育されていた時代、4世紀末か5世紀初めとするのが妥当です。
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