元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 9月22日(日)08時00分01秒 ]
>> >> >> 軍事を専門とする豪族はいますが、武士はいませんよ。
>> >> 戦うことを生業とする人という意味で武士と書きました。
>> >> 豪族でなくても戦争に参加する事でひと旗上げようと言う農民は沢山いたのではないでしょうか?
>> このあたりが時代錯誤と思います。
>> 下克上の室町時代ではないのですよ。
此処は少し不適当かも、と言うより判らないというべきでしょう。
社会の枠組みの大変動と言う点では変わりありません。
実際、とおくから流れ着いたような人間でも、
能力や技術で族長になれる可能性も無いとはいえない。
>> >> >> >> 戦闘用の馬具であればと言う前提で沢山残る筈といっています。
>> >> >> なぜですか。
>> >> 三国時代の戦争に使われた馬が何頭いたか解りませんが千頭や二千頭ではないでしょう。
>> >> 戦闘用であれば全ての馬につけたでしょう。片足だけとも考えられない。
>> >> 仮に5千頭としてこれに全て鐙をつければ10000個。その1%残っても100の鐙が残るでしょう。
>> まあまず1%も残らないと思いますが。
>> 農民の数は圧倒的に多いのに、農耕馬は少なかったと言うことですね。
>> すなわちほとんど普及していなかったと言っているのですね。
>> すると農耕馬を持っていた農民と言うのはどんな存在ですか。
>> >> >> >> だから乗馬(馬に跨る時)が苦手の人の為に片足鐙が開発された。
>> >> >> >> 右から乗る人、左から乗る人それぞれ得意方向があるので両側に付けた。
>> >> >> >> すると乗る時だけでなく走行中も非常に安定し、乗馬が得意で鐙無しで乗り回していた人より巧くなってしまった。
>> >> >> >> 初めは馬鹿にしていた武人たちも真似してみると具合がいい。
>> >> >> >> と言う具合で全体に広まったのではないかと。
>> >> >> いいんではないですか。
>> >> >> 樋口さんの言っているのもそういうことでしょう。
>> >> >> ただし樋口さんは農民が発明したとは言っていないだけです。
>> >> 遊牧民や武人は鐙無しで乗りこなしていた。鐙なしで乗るのに何の不便も感じない。
>> >> だから発明は起きない。
>> >> 農民がその異文化を取り入れようとした時新しい発明がなされた。
>> >> と私は考えます。
>> その武人が遊牧民との争いで歯が立たないことが多かった。
>> 軍事系の支配階級は威厳のために馬に乗る必要があった。
>> しかし生活すなわち乗馬であるような遊牧民と違い、当然不得手な人間も多かったはずです。
>> >> 鐙も遊牧民が使っていたとすると鐙は中国からではなく直接畿内に来たんでしょうか。
>> >> 馬と同時に。
>> >> うん、これは私の畿内は倭人の国ではないという仮説の補強材料になるかも。(^^)
>> 発見された輪鐙は穴の形状から北方系ではないとする説があります。
>> 中国の南の蛇紐金印で有名なてん国の遺跡で、前漢並行期の鐙の原型と見られるものがあります。
>> 鐙そのものが紀元前のインドで発明されたとされる説もあります。
>> インドの鐙は親指だけ、てん国の鐙はつま先だけですが、案外南方回りということもあるかもしれません。
>> ちなみに後漢代の俑に鐙かもしれないものが見られるそうです。
事点を考察すれば、馬上での体の安定性や動きは十分となると考えられます。
人間の場合、足のかかとよりも指先に力が入るほうが強い力が出せると効いています。
示現流という剣術の場合、解説で読んだ話では両足の親指で立つようにするのが基本のようです。
つまり馬上で刀や槍を振るうのも、かなり楽になることを示しているのではないでしょうか?
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