元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ ALEX ] 日付 [ 9月15日(日)14時35分53秒 ]
>> 馬具を伴うという理由で布留1式の時期を引き下げようという考えは賛同者はいないと思います。布留式の年代幅や須恵器の登場時期と整合性がないですし、中華世界での実用鐙の登場も最古の副葬品の時期よりもう少し繰り上げて考えてよいと思います。既に三国時代、激しい騎馬での戦闘が中原で繰り広げられていたのですから。
ほとんど歴史のわかっていない鐙をもって、時代を決めようとする人々には当惑させられます。
編年の良く分かっている土器と、ほとんど何も分かっていないに等しい鐙が共伴した場合に、土器をもって鐙の歴史を考えようとするのが当然の考え方だと思っています。
私は開始期の鐙は自転車の補助車と同じで、公に出来ないようなものだったかもしれないと思います。
それで相当の時期がたってから、人形などに焼いて墓に入れるようになったのではないかと思います。
鐙がないと三国志の英雄たちもさぞかし戦いにくかったとは思いますが、馬に乗って戦ったとすれば、馬上で剣戟を行ったのではなく、一撃離脱、もしくは騎射が中心と思います。
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