Re: 馬が出た

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [9月22日(日)22時42分50秒]

元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 9月22日(日)08時00分01秒 ]

>> 同様の木製輪鐙は、5世紀代の渡来人の関わった官営牧場後や、祭祀遺跡から発見されています。
>> いずれも一般農民のものとは思えません。
>> 布留1のものだけ農民のものとする理由がありません。
>> また5世紀以降の古墳への埋葬をみれば、馬は権威の象徴と思われ、一般に普及するのはさらに後の時代と思われます。

出土状況がよく判りませんが権威の象徴であればそれなりに大切に扱われた様子、例えば他の祭器と一緒に出てくるとか古墳の棺の中や
近くから出土するのではないでしょうか?
どうやらそうではなさそうですね。
鐙の出土状況は廃棄され土中に埋まった状況ではありませんか?
馬は権威付けになっても鐙は権威付けにならない。
鞍や轡が権威付けになっても鐙は権威付けにならない。
馬具が古墳に一緒に埋葬されていても鐙はごく少ない。
どうしてでしょう。
(木製なので腐ってしまったという話もあるらしいが。)

http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/news/hozon2/010719.htm

>> >> 豪族でなくても戦争に参加する事でひと旗上げようと言う農民は沢山いたのではないでしょうか?

>> このあたりが時代錯誤と思います。
>> 下克上の室町時代ではないのですよ。

私の話は日本の話ではなく中国での話です。
ピクポポデミさんはこれまで日本の話をし、私は中国の話をしていたのではないかと思います。
違いますか?

>> まあまず1%も残らないと思いますが。
>> 農民の数は圧倒的に多いのに、農耕馬は少なかったと言うことですね。
>> すなわちほとんど普及していなかったと言っているのですね。
>> すると農耕馬を持っていた農民と言うのはどんな存在ですか。

中国ならそういう農民もいただろうという話です。
平原の少ない日本では貴族の用いた馬は軍治用としてよりおっしゃるように権威付けだったかもしれません。
日本では貴族軍人用以外では農耕用というより荷役用に使われたのではないでしょうか。

>> >> 遊牧民や武人は鐙無しで乗りこなしていた。鐙なしで乗るのに何の不便も感じない。
>> >> だから発明は起きない。
>> >> 農民がその異文化を取り入れようとした時新しい発明がなされた。
>> >> と私は考えます。

>> その武人が遊牧民との争いで歯が立たないことが多かった。
>> 軍事系の支配階級は威厳のために馬に乗る必要があった。
>> しかし生活すなわち乗馬であるような遊牧民と違い、当然不得手な人間も多かったはずです。

たしかに馬を走らせながら次から次へと矢を射る事など殆んど出来なかったでしょうね。

>> 発見された輪鐙は穴の形状から北方系ではないとする説があります。
>> 中国の南の蛇紐金印で有名なてん国の遺跡で、前漢並行期の鐙の原型と見られるものがあります。
>> 鐙そのものが紀元前のインドで発明されたとされる説もあります。
>> インドの鐙は親指だけ、てん国の鐙はつま先だけですが、案外南方回りということもあるかもしれません。

インドやテン国の鐙というのは実際は何時頃か判っているんでしょうか

>> ちなみに後漢代の俑に鐙かもしれないものが見られるそうです。

インドで紀元前、後漢で二世紀くらいの伝播速度なら日本への伝播はは5世紀位が妥当ですね。

どうして鐙がすごく便利なものならインドから中国に伝わるのに2、300年も掛かるんでしょうか?
中国からヨーロッパへも4,500年以上掛かっているんですか?
シルクロードで頻繁な交流をしていた筈なのに。


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