Re: 馬が出た

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [9月17日(火)20時32分08秒]

元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 9月17日(火)08時43分26秒 ]

>> 布留0については一般的には280年頃、人によっては250-260年頃とするようです。
>> それに沿って考えると、布留1は一般的には300年頃、人によっては270-280年頃となるでしょう。
>> 私独自の根拠はありません。

そう思いたいと言うことですね。このあたりは私も鐙以外の証拠は持ち合わせていません。
押し問答になるだけなのでこの位にしましょう。

>> 矛盾があるのは、牛頭さんの希望的観測ではないですか。

馬の存在を考えると4世紀後半と考えるのが私なりに矛盾しないと思っています。

>> >> たしか世界的に巨大古墳は寿陵という話もありますね。
>> >> 箸墓も寿陵だったのではありませんか?
>> >> 寿陵であれば倭人伝の記述と矛盾しますから箸墓は卑弥呼の墓ではありません。

>> 寿陵の可能性がある古墳も実在しますが、箸墓が寿陵であることは分かっていません。

埋葬形式で前方後円墳は山の頂上に竪穴を掘って槨を作って埋葬するんでしたよね。
普通は寿陵じゃないと出来ませんよね。
とくに低湿地帯にある前方後円墳はこのやり方のはずです。

>> >> 劉備のことですか?農耕民を出自とする支配者とは具体的にお願いします。

>> 漢人のことです。

北の漢人は乗馬は得意だったのではありませんか?
南船北馬と言いますから。
馬が苦手なのは呉人だったんでしょう。

>> よく読んでください。
>> 「農耕地帯で被支配階級の農民」と言っています。

>> >> 農民も農耕馬があり貴族階級や武将が馬に乗っていれば自分たちも乗って見ようという気になったでしょう。

>> まず馬が伝わった最初の段階で、農耕馬が有ったでしょうか。

私は日本ではなく中国の話をしているのですが。
紀元前から馬は騎馬用だけでなく農耕用にも利用されていたでしょう?
箸墓で見つかった鐙は馬が日本に来た初期のものでなく馬が大量に居た時代のものであろうと申しています。
当初、鐙は梯子のような使い方で馬に乗ってからは不要なものでした。
片足分しか必要なかったのです。出てきた輪鐙も片方分でこれと符合します。

>> >> >> 初期の乗馬用具は全て支配階級のものです。

>> >> 墓の副葬品として出てくるものは当然支配階級のものです。
>> >> 下層階級は鞍なんかなくても固めの座布団があれば十分だったから。

>> 古代においては、布も決して安価なものではありません。
>> そもそも馬を飼育できるのは、それなりの階級であったことでしょう。

農民だって貧富の差などがあって富める者は馬を飼い、盗賊から資産を守るため武装する事もあったでしょう。
農民が馬を飼うことに何の不思議もありません。

前のコメントで新羅の土偶の鐙を紹介しましたが従者用は片方しかなかったと言いましたがこの事とも符合するのです。
要するに武将の物ではないと言うことです。

>> >> >> 農耕地帯では、乗馬は特権であって、誰でも馬に乗れるというものではなかったのです。

>> >> それは日本だけで言える事ではありませんか?

>> いいえ、ヨーロッパでも言えることです。

絶対君主制とか封建時代とか、かなり時代が下がっての話ですね。

>> 乗馬は危険で有るばかりでなく、飼育、調教、乗馬訓練など非常にコストのかかる行為であり、遊牧地帯のように生活上の必要のある場合を除いて、一般人にはなかなか普及しません。

農耕用でも調教は要ります。荷物運搬用なら馬体保護の為、布とか毛皮とかを乗せたでしょう。
当然、轡もつけています。乗るのに何の不自由もないのです。
ピクポポデミさんは乗馬の経験ないんですか?
確かに初めての乗馬は怖いです。でも乗ってしまえばどうって事はない。
乗る時、誰かに手綱を持っていて貰えば簡単です。



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