Re: 馬が出た

投稿者[ ピクポポデミ ] 発言日時 [9月19日(木)23時00分37秒]

元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 9月18日(水)20時55分29秒 ]

>> >> *****************************************************
>> >> 劉備や曹操が活躍した三国志の時代にも騎馬兵はおり、漢代には鐙があったと説く研究者もいる。騎馬民族のスキタイが残した紀元前の黄金製品に鐙の表現があるという見方もある。実際のところ、鐙がいつ、どこで発明されたのかははっきりしない。
>> >> *****************************************************

>> もしあったとすれば何故残っていないんですか?
>> 三角縁神獣鏡みたいですね。
>> 騎馬兵用だったら日本より沢山あって日本より雨の少ない中国で残らない筈はないと思いますが。
>> 残っていない事が無かった証拠だと思います。

現実に4世紀代の鐙などもほとんど残っていないのです。
私の知っている限りで数点で、土偶などに残ったものを除くと2−3点でしょう。
それ以降の鐙については良く分かりませんが、そもそもそれほどの点数はないと思います。
初期の実用的な輪鐙などは、装飾性もなく、墓にいれたり大事に取っておくことも無かったのではないでしょうか。
農民が大量に使った日用品でもなく、腐りやすい素材で出来ていたら、残らないことも有るでしょう。
そもそもこのような極めて偶発的な発見物の場合、発掘の進んでいる日本でむしろ見つかる可能性が高いかもしれません。
土偶や人形などでも、鐙のような小物はしばしば省略されてしまうことがあるらしく、もっと後世のものでも鐙が有ったかどうか見分けに苦労するようです。
またはっきり鐙と分かるものは西晋代ですが、鐙かもしれないと指摘されるものは、紀元前のものからあります。
そのあたりは判断の部分があって意見が分かれているわけです。
したがって鐙の起源についてはまだはっきりしないというべきでしょう。
今回発見の鐙が仮に四世紀初頭としても、中国では恐らく三世紀代には有った可能性が濃厚です。
もし三世紀末葉なら、後漢代には有った物でしょう。

>> >> その北にはもっと乗馬の得意な遊牧民がいます。
>> >> 胡服騎射という有名な話もあります。
>> >> 以下引用
>> >> *****************************************************
>> >> 樋口隆康・県立橿原考古学研究所長は「騎馬が下手な漢人が、騎乗の際の足踏み台として発明し、その後、騎馬民族にも普及した」と鋭く。
>> >> *****************************************************

>> 樋口さんの言う「漢人」は呉蜀の農民の事ではないですか?

なにをどう読めばそう取れるのか、訳がわかりません。
呉蜀などとは一言も出てこないのですが。

>> >> >> 箸墓で見つかった鐙は馬が日本に来た初期のものでなく馬が大量に居た時代のものであろうと申しています。

>> >> 布留1時代に大量にいたなら、それ以前の布留0や庄内期にも馬はいたでしょう。
>> >> するともっと多くの馬関連の遺物が、布留1までの時代にあってよさそうです。
>> >> しかし見つかっているのが布留1の鐙の断片一つというのはどうしてでしょう。

>> 布留1を4世紀後半とする見方もあります。
>> 騎馬民族到来説を信じれば馬が少しずつ運ばれて日本国内で繁殖したのではなく一気に日本に来た事になります。
>> 馬は2歳くらいで仔を生め(妊娠期間は11ヶ月)ますからある程度の数の馬が居れば急な繁殖も可能だったでしょう。
>> 初めに数十頭の馬を導入すれば50年後には2,3千頭に増やす事も可能ですが。

すると例えば続く布留2布留3の時代には、馬関係の遺物が一杯というわけでしょうが、実際にはやがて須恵器が出てくるような時期まで馬遺物は見つからない。
布留1の鐙だけが孤立している。
これは絶対年代ではなくて相対年代での話ですから、布留1が何年であるかに関係しません。
そのたった一つ浮いている鐙が、馬の大量導入期のものとは思えません。
そもそも農民の鐙と言っているのは、樋口さんの言う農耕民を、農民と読み違えた牛頭さんだけです。

>> >> >> >> そもそも馬を飼育できるのは、それなりの階級であったことでしょう。

>> >> >> 農民だって貧富の差などがあって富める者は馬を飼い、盗賊から資産を守るため武装する事もあったでしょう。

>> >> まるで武士ですね。
>> >> 時代が違いませんか。
>> >> この富める農民って豪族ですか。
>> >> であれば支配階級ですね。

>> 戦乱の時代はそう云うものでしょう。
>> 3,4世紀は身分の世襲制が確立していなかったと思っています。
>> 農民の中から武士が生まれたり豪族が生まれたりしたんじゃないでしょうか?

武士はまだいません。
農民の中から豪族が生まれ、その人が馬に乗っているなら、支配階級が馬に乗っている訳です。
そもそも話の要点は、牛頭さんは、農民が馬に乗っているのだから、馬はたくさんいたと言っているのに対して、
私は、飼育調教乗馬訓練を可能とする一部の人しか馬には乗れなかった。
従って馬は少なくとも初期には、そう多くはいなかったと考えられるといっているわけです。
富める者だけが馬にのるなら話は同じです。

>> >> >> 農民が馬を飼うことに何の不思議もありません。

>> >> もう少し時代が下れば、有力な土地所有者=豪族が飼育して、農民に農耕馬として使用させるということならありそうですが。
>> >> 農民がわざわざ鐙まで作って乗るもんでしょうか。

>> 晋による統一が成って戦乱が収まったとき戦争に使われた馬が余り農民に馬が払い下げられるような事があったかも知れません。
>> 元々乗馬用の馬だったら払い下げられた農民も乗って見ようかと言う気を起こしたかもしれませんね。
>> 当然乗りやすさを考え工夫しても不思議はありません。

でその発生期の鐙が権力者の墓からわずかしか出てこない。
一般農民の普及品として大量にでたのなら、そういう形跡があるでしょう。
そもそも、「日本より沢山あって日本より雨の少ない中国で残らない筈はないと思いますが。」
「残っていない事が無かった証拠だと思います。」とおっしゃったのは牛頭さんですが。

>> >> ところがなぜか鐙はなかなか生まれません。
>> >> なぜでしょうか。

>> 発明されなかったからです。発明されなかった事に理由は有りません。
>> 発明された事については理由が有りますが。

私の言っているのは発明された理由です。



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