元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 9月20日(金)21時39分25秒 ]
>> >> 初期の実用的な輪鐙などは、装飾性もなく、墓にいれたり大事に取っておくことも無かったのではないでしょうか。
>> 馬頭鬼さんのレスで思いついたんですが子供の頃こども用の補助輪付きの自転車が出始めていましたが、私など買って貰えなかった事も有りますが大人の自転車に無理して乗って補助輪付きの自転車に乗っている子に対し優越感を持っていました。
>> 鐙を使うことは当時の人にとって恥ずかしい事だったと思います。
恥ずかしくても、生き残れなきゃ意味なし、何でも良いですが跨って、
足をつけずに手を振り回してみると良いです。
しっかり股ではさんでいるとしても力が入りますか?
かなり不安定でしょうね。
足で踏ん張れるのと天地の差だと思いますが?
>> 騎乗が下手な証拠ですから。
>> ですから得意げに墓に入れることは無かったのでしょう。
その点はあるでしょうね。
戦場では、蛇足でしょう。
>> 鐙を使うことが恥ずかしくなくなったのが5世紀だったのかも知れません。
>> >> 農民が大量に使った日用品でもなく、腐りやすい素材で出来ていたら、残らないことも有るでしょう。
>> 農民が鐙を大量に使ったと言うのではなく、馬が沢山居た時代と言っているのです。
>> 馬が居れば農民だって乗って見たいと思ったでしょう。乗るのに便利な鐙を発明しても不思議はないです。
>> 農民ならば鐙を使っても恥ずかしくなかったでしょう。
>> しかし農民だって鐙無しで乗れるものは鐙を使わなかった。
>> だから沢山は残っていない。
不断なら其れもあるでしょうね。
格好付けた方が、特になるでしょうから。
>> >> そもそもこのような極めて偶発的な発見物の場合、発掘の進んでいる日本でむしろ見つかる可能性が高いかもしれません。
>> >> 土偶や人形などでも、鐙のような小物はしばしば省略されてしまうことがあるらしく、もっと後世のものでも鐙が有ったかどうか見分けに苦労するようです。
>> >> またはっきり鐙と分かるものは西晋代ですが、鐙かもしれないと指摘されるものは、紀元前のものからあります。
>> >> そのあたりは判断の部分があって意見が分かれているわけです。
>> >> したがって鐙の起源についてはまだはっきりしないというべきでしょう。
>> >> 今回発見の鐙が仮に四世紀初頭としても、中国では恐らく三世紀代には有った可能性が濃厚です。
>> >> もし三世紀末葉なら、後漢代には有った物でしょう。
>> 古くからあり常用されていたのなら耐久性の無い木製などではなく金属製が使われたでしょう。
>> 金属製がないというのは常用されていた事はないと言うことになりましょうか。
>> >> すると例えば続く布留2布留3の時代には、馬関係の遺物が一杯というわけでしょうが、実際にはやがて須恵器が出てくるような時期まで馬遺物は見つからない。
>> >> 布留1の鐙だけが孤立している。
>> >> これは絶対年代ではなくて相対年代での話ですから、布留1が何年であるかに関係しません。
>> >> そのたった一つ浮いている鐙が、馬の大量導入期のものとは思えません。
>> >> そもそも農民の鐙と言っているのは、樋口さんの言う農耕民を、農民と読み違えた牛頭さんだけです。
>> 農耕民は貴族か武将なんですか?
>> 日本でも秀吉の刀狩以前は郷士と農民の区別ははっきりしていなかったのでは?
>> >> 武士はまだいません。
>> 戦うことを生業とする人が発生してもいいのでは?
>> >> 従って馬は少なくとも初期には、そう多くはいなかったと考えられるといっているわけです。
>> >> 富める者だけが馬にのるなら話は同じです。
>> 富める者と言っても馬一頭使用人一人程度かも知れません。
>> >> >> >> >> 農民が馬を飼うことに何の不思議もありません。
>> >> >> >> もう少し時代が下れば、有力な土地所有者=豪族が飼育して、農民に農耕馬として使用させるということならありそうですが。
>> >> >> >> 農民がわざわざ鐙まで作って乗るもんでしょうか。
>> 私は農耕用に使われた馬も乗るのは可能だし乗りたいと思ったでしょう。
>> 人のやることは真似したくなるものです。
>> それに馬は農耕用であれ騎乗用であれ調教は必要ですから、荷役用の馬なら鞍はついていたはずだし、乗るのに困らない。
>> >> >> 晋による統一が成って戦乱が収まったとき戦争に使われた馬が余り農民に馬が払い下げられるような事があったかも知れません。
>> >> >> 元々乗馬用の馬だったら払い下げられた農民も乗って見ようかと言う気を起こしたかもしれませんね。
>> >> >> 当然乗りやすさを考え工夫しても不思議はありません。
>> >> でその発生期の鐙が権力者の墓からわずかしか出てこない。
>> >> 一般農民の普及品として大量にでたのなら、そういう形跡があるでしょう。
>> >> そもそも、「日本より沢山あって日本より雨の少ない中国で残らない筈はないと思いますが。」
>> >> 「残っていない事が無かった証拠だと思います。」とおっしゃったのは牛頭さんですが。
>> 戦闘用の馬具であればと言う前提で沢山残る筈といっています。
>> 自転車に補助輪を何時までもつけておかないでしょう?初期の鐙は戦闘用ではなく馬に慣れるまで一時的に使うものだから腐りやすい物で十分だった。
>> しかも、必ずしも全農民が鐙を使う訳でもない。だから数は多くない。それで残らなかった。と言うことです。
>> >> >> >> ところがなぜか鐙はなかなか生まれません。
>> >> >> >> なぜでしょうか。
>> >> >> 発明されなかったからです。発明されなかった事に理由は有りません。
>> >> >> 発明された事については理由が有りますが。
>> >> 私の言っているのは発明された理由です。
>> だから乗馬(馬に跨る時)が苦手の人の為に片足鐙が開発された。
>> 右から乗る人、左から乗る人それぞれ得意方向があるので両側に付けた。
>> すると乗る時だけでなく走行中も非常に安定し、乗馬が得意で鐙無しで乗り回していた人より巧くなってしまった。
>> 初めは馬鹿にしていた武人たちも真似してみると具合がいい。
>> と言う具合で全体に広まったのではないかと。
>> ところで鐙は鞍がなければ使えませんが硬い枠としての鞍は何時頃できたんでしょう?
>> 始皇帝の兵馬俑の馬車のは写真で見ると革か布製みたいに見えるのですが。
>> 初期は革か布だと思うのですが漢字から見ると革ですかね。
>> これが木製になってしっかりした頃でないと鐙は使えない。
其れが間違いでは?
馬の腹帯に紐を結わえても十分だと思いますね。
>> 鐙は戦闘などに使えるようになる両足タイプの頃は金属製だから金扁ではないかなどと思いました。
前にも書きましたが、馬に乗るのに鞍は必要ありません。
轡ガ有ればよい。
現在ある馬術では、自由に操るなら鐙が必要になりますが、鞍は必要ではない。
乗り心地と疲労の問題は大きくなるのでしょうが。
日本では、馬術において特に鐙が問題になるようです。
鐙をはずすのは、刀を右側に置くのと同じような感じがします。
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