魏志東夷伝 馬韓条に
「信鬼神、國邑各立一人主祭天神、名之天君。又諸國各有別邑、名之爲蘇塗。立大木、縣鈴鼓、事鬼神。」
と書いてあります。
これは現在の日本の村ごとに鎮守の森があってそれぞれ違う神さまが祀られている事に似ているとは思いませんか?
『立大木』は鳥居か御神木かわかりませんが、『縣鈴鼓』なども神社の賽銭箱の前にある鈴を思わせます。
『蘇塗』は「外」で日本語と意味が逆転感じがします。
倭国においても古代から同じような神社形式があったのではないでしょうか。
卑弥呼の鬼道も同じような形式だったのでしょうか?
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