元の発言 [ Re: Title神社形式 ] お名前 [ 韓国から ] 日付 [ 6月10日(月)12時35分48秒 ]
返事が送れましてすみません。
>> まず, 私が分かっていることだけ簡単に申し上げれば, おっしゃったことと同じ 石積 構造物も韓国の伝統信仰と係わって存在していますが, この構造物の名前は "城隍堂"であるので分かっています. 村入口に石積を積んでおいて長道 安寧を祈るとかする対象になります. 祈る人はこの石積に石をもう一つ上げて手集めて祈ったりしたようです. ^^
日本で賽の河原の積石と言うのは死後の世界と現世の境界に流れる川(三途の川、賽の川)の河原に死者の冥福を祈って積む石の塔です。
積んでも積んでも鬼が来て崩していくと言う伝承があります。
何故か私などもこれを見るとその上に更に石を積み上げたくなります。(^ ^)
城隍堂というのは明らかに中国人によって付けられた言葉ではないでしょうか?
「馬韓人は『浮屠』、即ち『仏塔』に似たものを『蘇塗』と呼んでいたのではないでしょうか?
もう一つお聞きしたいのですが
韓国内にも積石塚と呼ばれる高句麗由来の墓があると思うのですがその分布や年代はどうなっているかと言う事を知りたいのです。
私はこれが前方後円墳や前方後方墳の原型ではないかと思っています。
韓国内でこのような主張をする学者はいないのでしょうか?
>> 韓国には伝統信仰と係わる構造物がもう一つあります.
>> Jangseng: 韓国の象徴の中に木で人顔 (あるいは 鬼顔?) 同じことを削って立てたのがあります. アメリカ大陸の totem poleと似ていたが, 事実, Sotdeよりもこれがもっと有名になってしまいました. Jangsengはたいてい城隍堂横に一緒に建てておくようです.
Jangsengと言うのですか?
’98年にソウル観光をした時に見たことがあります。
なんだか判らないまま写真を撮ってきました。
鬼ではなくおじいさんとお婆さんの笑った顔が彫ってありました。
韓国舞踊を見せるレストランの庭にあったものなので観光用のものだったのでしょう。
「城隍堂」らしきものはありませんでした。
>> Sotde, 城隍堂, Jangsengは皆韓国の伝統信仰と関係なったことでまだたまに残っている場合がありますが, 観光目的の物を除けばほとんど消えたと見られるようです.
その他発言: