元の発言 [ Re: Title神社形式 ] お名前 [ 韓国から ] 日付 [ 6月16日(日)14時27分11秒 ]
もし役に立つかと思ってもう分かっていらっしゃると思いますが, 韓国の金海地域で発掘された伽揶 木槨墓に対する情報をあげます.
金海大成洞古墳群は西紀 2世紀後半から 5世紀初半まで造営された木槨墓群として, 歴史上では金官伽揶の支配者の墳墓で推測しています.
3世紀末葉を前後して大量の騎馬関係遺物の急, 鉄器の急増, 甲胄の埋藏が始まります. この古墳群は西紀 5世紀初盤, 突然造成が中止されて既存の墳墓が破壊される様相を見せているのに発掘者たちは 5世紀初めの廣開土王の南征と関連があると思っています. 大成洞古墳の造営が中止される 5世紀初半を前後して日本の畿内地域を中心に古墳中期の急変が始まるのに, 鉄製馬具類の急増, 甲紬類等はその原型が大成洞古墳群にあり伽揶地域の特徴的土器である伽揶土器が日本では須恵することに姿を現わし始めます.
大成洞 39號 木槨墓
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金海大成洞古墳第29號墳と 47號墳で青銅制かめである銅復がそれぞれ 1点ずつ出土された. この銅復は基本的には北方遊牧民族の銅復の中でオルドス型銅復と一番近いが詳細形態と結構などでちょっと相異なっている点が発見されて, 1959年中国吉林省で大成洞銅復と似たり寄ったりなのが出土された例がある.
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鐵錠, 金海大成洞 2號 木槨, 4世紀, 長さ 21〜25p
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金銅制鞍, 金海大成洞1號 木槨
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甲胄は権力の重要な象徴物- 洛東江下流で 4世紀前半から甲胄文化と騎馬戦術が発達することは頻繁な戦争による武具類及び防御具たちが発達したことに把握される. 4世紀代中心古墳たちで形式が統一された甲胄が出土されることで見てこれらが大量生産された,
出土甲胄.大成洞 木槨墓, 4世紀
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http://gimhae.museum.go.kr/kor/adm/adm_new/etc_img/판갑옷%20(김해%20대성동).jpg
馬具, 4世紀, 大成洞
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加耶土器, 大成洞 2號 木槨
このような伽揶土器は日本に伝わって日本古墳時代 須惠器の発生に直接的な連関を持っている. 初期 須惠器は伽揶土器と様式においてほとんど区別が不可能だ
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ありがとうございます.
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