元の発言 [ Re: 神社形式 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 6月4日(火)19時04分08秒 ]
>> これに対して畿内は公的機関として今の姿勢は駄目ですね。
>> 宗教者であって宗教学者ではない事が昨今の発表の仕方で判ります。
ウラ話ふうには,国学や記紀の解体を前提とする,
「マルキスト」「民俗学左派」による先走った畿内説を,
国粋派ふうの人達が批判しているということです。
畿内説の中には,皇国史観ふうの人達もいて,
こっちのほうは宗教者ふうであり一種の信仰ですけどね。
>> 天孫思想には何か中国の思想などが紛れ込んでいるような気がします。
>> これは鬼神、鬼道と言えるのでしょうか?
道教です。斉明天皇とか天武天皇が好きでした。
中国哲学の哲理を背景とするものです。
本来の天孫思想は,どちらかと言うと,仏法に近いと思いますが,
それも道教経由か,という説は探せばありそうです。
要するに普遍性を見出していた,ということでしょう。
どういう経路で普遍性を見出したか,という点について,
これが天才による洞察なのか,指導者がいたのか,というと,
民俗学者の中には,神道の古形式に,アニミズムを見て,
古代人は聖域から大感動を受けた,ということを力説する人もいます。
両者をつなぐのは,例えば,ヒンドゥー教などの,
多神教的世界観ですかね。といっても,一神教と矛盾するかと言えば,
必ずしも矛盾するというわけでもないですけどね。
一口で言えば,原点に確かな体験があった,
ということになると思います。
一口に祖霊といっても,神霊である場合と,
死霊である場合とがあるらしく,
イタコのように物故者もしくは死霊を扱うのは,
神道とは少し違うような印象がします。
というわけで,卑弥呼とは,
洗練されたアニミズムの哲人だったのか,
物故者の霊を降ろす怪しげな霊感者だったのか,
神霊と感応する異能者だったのか,
ほどほどの宗教的土壌における象徴だったのか,
などの視点が出てくるでしょう。
記紀に見られる神道ふう祭祀とは,
「神霊と感応する異能」という側面が強いです。
しかも,世の中を動かす実効性が高いのです。
卑弥呼像を探る上で参考になるでしょう。
>> 道祖神ですか。中部、関東地方の山国に多いらしいですね。
道祖神というわけではありませんが,
ぜんぜん関係ないとも言い切れません。
この辺りも,鳥越本に指摘があります。
その他,けっこう,うるさい議論があります。
>> 私の田舎は東北なんですが道祖神は見当たりません。
東北には,「おしらさま」というのがありますよね。
>> 長野県に4,5世紀の積石塚が多い事と何か関連有るでしょうか?
そうしたものは「蘇塗」に似ているかどうか,
という視点からの興味になります。
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