元の発言 [ Re: 神社形式 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 6月7日(金)18時28分11秒 ]
>> >> 当時は中国でも道教は鬼道と呼ばれていたのでしょうか?
>> 道教の一派にあるようです。
>> 次のようなサイトもあり,ここによると,
>> 「張脩の巫鬼道」「張脩の鬼道」などの表現があります。
>> 漢末の早期道教
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
なるほど道教の一派が鬼道と呼ばれていたらしい事は判りました。
卑弥呼の鬼道がこの流れを汲むものとすると2世紀末〜3世紀始めくらいに伝播してきた新興宗教と言うことになります。
このような新興宗教で広範囲な国家統治は難しいのではないでしょうか?
形式が非常に良く似ていただけか、旧来からの信仰に道教の形式を取り入れたか、などが合理的解釈ではないでしょうか?
>> ここから思いついたんですが,
>> 邪馬台国問題では,鏡と道教の関連の他,
>> 倭国王「帥升」という名に道教教団統率者の号の形跡はないのか,
>> 倭人は人寿長命とされる点に道教長生観が反映していないかどうか,
>> 倭人社会は法が厳格とされる点に道教教団の教化策が反映していないかどうか,
>> 漢末から道教(鬼道)を奉じる一派が倭で国作りを行っていたものかどうか,
>> 呉太伯伝承と道教流派の関わりはあるのかないのか,
>> まぁ,この辺りは,岡田説でも何でも,また大論争でも,
>> 「黄巾の乱」とか「太平道」「五斗米道」について議論してあるわけです。
大論争の過去ログ勉強して見てみます。おにりんさんの発言が削除されている為読みにくくなっていますが。
その他発言: