元の発言 [ Re: 神社形式 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 6月5日(水)21時06分33秒 ]
>> 倭人伝には「鬼道」とはあるが,「鬼神」とはないみたいです。
>> ですから,深く追求しなければ,倭人伝の「鬼道」とは,
>> 当時の中国で流行っていた道教そのものではないか,
>> という見方が妥当か,ということになるでしょう。
鬼道と鬼神は明確に分けられるのですか?
当時は中国でも道教は鬼道と呼ばれていたのでしょうか?
>> 深く追求する場合には,アジア一帯の民俗とともに,
>> 記紀・風土記・民間信仰なども参考にしなければなりません。
>> 東夷伝の中で,明確に「鬼神」信仰の見られるのは,
>> 烏丸,高句麗,韓伝みたいですね。
>> この「鬼神」とは何か,という視点も重要になってきます。
>> かなり興味深いことが,いろいろと書いてあります。
>> そして,倭の「鬼道」と半島の「鬼神」について,
>> この辺りの差は何を意味するのか,という視点も重要になってきます。
>> 辞書的な意味とは,また別の探求も必要になるかもしれませんので。
中国のものとは違うという認識でしょう。
>> ですから,男女一対の御神体の件とか,イタコの件です。
狛犬なんかもオスメス一対ですね。
>> 中央から派遣されて地域振興に功績のあった役人夫婦を,
>> 神サマに祭り上げることがあったのではないか,
>> 神社の御神体にすることまであったのではないか,とかの,
>> そういう視点を示唆してみたわけです。
村のはずれに置いてある訳でご神体になった例は少ないでしょう。
>> ただし,様式としては,中世以降との説があります。
>> 神サマに食べ物を捧げる営みの原点についての考察を含みます。
>> >> これもこの世とあの世の結界を表していたのではないでしょうか。
>> 石積を「タプ(塔)」と呼ぶそうですが,
>> これは村に悪霊などが入らないようにするためのものだそうです。
庚申塚なんかも同じ意味合いがあったらしいですね。
村に悪霊、病気などが入らない意味合いは当然あったのでしょう。
鳥居なども多分、韓国の「蘇塗」も同じです。
社会情勢の変化などで一つは神社の門になり、一つは賽の河原に積まれました。
意味は同じでも庚申塚や道祖神は後から出来たものです。
昔から賽の神などの信仰と後に中国から来た思想と結びついたのではないでしょうか。
道祖神や庚申塚など一定の拡がりは有るものの全国的拡がりがないのは何故でしょう。
これらが江戸中期から流行した事と無縁ではないでしょう。
つまり参勤交代、お伊勢参りなどで畿内の交流の結果畿内の風俗が全国に広がった。
しかし東北までは広がらなかった。東北からはお伊勢参りはあまり行かなかったし、参勤交代も畿内を通る事はないから。
これに対して鳥居と賽の河原の積石は全国にあります。
より古いものであるといえるでしょう。
鳥居の広がりは大和朝廷が神道、神社建設を推進した結果の可能性が強いですが、積石の風習は自然伝播でしょう。
「蘇塗」の意味が村の境界、悪霊、災いの侵入防止だったものが死者の供養、あの世とこの世の境界を示すなどいろいろ変化したのでは
ないでしょうか?
その他発言: