タミル語に関して

投稿者[ 游惟 ] 発言日時 [7月22日(月)07時59分26秒]

元の発言 [ Re: 松本説はトンデモです ] お名前 [ EK ] 日付 [ 7月21日(日)20時44分00秒 ]

>>とんでもない。私は、大野晋の日本語がタミール語から大きな影響を受けているという説に対して、游惟さんがどう考えておられるか、是非お聞きしたいとお願いし、首を長くして待っています。

日本語系統論をきわめて乱暴に割り切ってしまえば、@北方系説≒アルタイ語系説≒渡来系弥生人語起源説とA南方系説≒オーストロアジア語説≒縄文人語起源説、の二つに分けられます。
@は日本語と朝鮮語・満州語・モンゴル語等との文法体系の類似を最大の根拠とし、Aは日本語とポリネシア諸語やインドネシア語等南方系諸語との音韻体系の類似を最大の根拠としています。大野晋氏のタミル語説もこの系統に属するでしょう。

私もまたAの立場で、日本語の起源は縄文人語であって、朝鮮語とは直接何の関係もないと考えており、この上代特殊仮名遣い研究も、7〜8世紀には日本語と朝鮮語は完全に別の音韻体系を持つ言語であった、ということを証明するものです。そして7〜8世紀に別の言語であったとすれば、日本語を話していたことが明白な卑弥呼の時代まで遡っても別の言語だったのであり、さらに2300年前の弥生時代の開始期まで遡ってもそうだったということであって、北方系渡来人語説は否定できます。なにより、2300年前は中国は既に歴史時代に入っており、周辺諸民族の動きはかなりわかっているにも関わらず、朝鮮語初めアルタイ語族の中には日本語と明確な音韻対応を示す言語は存在しないのですから。

私の仮説は(このHPで最初に投稿したときに述べたことですが)、縄文時代には琉球から中部以西(方言学でいう糸魚川〜浜名湖ライン以西)には日本祖語を話す南方系縄文人、以東にはアイヌ祖語を話す北方系
縄文人が住んでいた。そこへ、朝鮮半島あるいは大陸から移住者がやってきて弥生時代が始まったが、その初期に「母親言語の継承」という言語取り替え現象が起きた。

これは、少数部族が異言語の多数部族を各個撃破して征服して行く場合に起こる現象で、日本の例に当てはめて言えば、100人か200人程度でやってきた渡来人達は、まず目に付いた縄文人集落に襲いかかり、男は
皆殺しにし、女は捕まえて分配し慰み者にする。すると女達は当然子供を産むが、その子供を育てるのは母親であるから子供達は母親の言語を継承する。渡来人達はまた次の縄文人集落に襲いかかり、男は皆殺し、女は慰み者に・・・・ということを何世代にも亘って繰り返してゆくと、人口の大半は縄文人語を話す混血児になり、渡来人語(朝鮮語であったか中国語であったかは知りませんが)の方が消えていってしまう、という現象です。これは夢物語ではなく、南アフリカのングニ族などいくつかの実証例が報告されています。
また、このように考えない限り、日本語と琉球語(沖縄方言)と親縁関係にあることを説明できません。

さて、大野氏のタミル語説ですが、これを私の仮説に組み込むとすると、それよりも遙か以前、南方系縄文人の祖先が日本列島に住み着いた時に話していた言語がタミル語だということになります。ただ、それは10000〜20000年ほど前の氷河期ぐらいまで遡って考えないといけないでしょう。
南インドと日本列島では遠すぎ、アジアの地形が現在のようになって以後、同じ祖語を話していた民族の一方が南インドに、一方が日本列島に別れて住み着いたとは考えにくく、氷河期で海が後退し、日本列島が大陸とつながり、南シナ海や東南アジア一帯の浅い海が陸地であった頃、そのどこかに住んでいた民族が南インドと日本列島に別れて移り住んだ、と考えるしかありません。
しかし、例えそうであっても、それを言語学的あるいは文化人類学的に証明することは難しく、方法があるとすれば、タミル人と琉球人のDNA鑑定でもして、親縁関係を実証するしかないでしょう。

>> 音韻体系というものは、親から子へ、子から孫へと連綿と受け継がれてゆくものであり、しかも人間の母語の音韻感覚は10歳から12歳ぐらいまでに形成されてしまい、一生変化しないものです。
私は、「リンゴ」がどうしてこうも発音しにくいのだろう、と発言したことがあります。漢語を受け入れてから1500年ほども経つのに、日本人は「らりるれろ」をリンゴが言い易いに変えることをしなかった。ことばは変化するが発音は変化しないもののようです。

大野氏は優れた学者ですが、大野氏に限らず言語そのものに焦点を置く言語学者や国語学者は、そのプロセスやメカニズムを無視して「○○語は××語の影響を受けて変化した」などということを簡単に言い過ぎます。
隣の家に外国人が引っ越してきたぐらいのことで自分の言語が変化するかどうか、学校で英語を習ったぐらいのことで自分の日本語の発音が変化したがどうか、ここ50年テレビが普及し日本中のだれもが幼児期から標準語を聞いて育っているのに方言アクセントがなくならないのは何故か、ちょっと考えてみればわかることです。
確かに異言語に接すれば語彙面では大きな変化が起こりますが、音韻体系はちょっとやそっとのことで変化しません。日本は台湾を50年、朝鮮を36年に亘って支配し、学校を作って全ての子供に幼児期から無理矢理日本語を教えましたが、そんなことぐらいで台湾語(ビンナン語)や朝鮮語の音韻体系はビクともしていないのです。

異言語に接することで社会全体の言語・音韻体系が変化するのは、異言語話者と50:50、少なくとも総人口の2〜3割ぐらいの数の異言語話者と混在して日常的に交流し「当該言語が出来なければ生活できない」という状況が生じ、それが何世代にも亘って続いた場合だけです。台湾や朝鮮は日本に支配されていたといっても、人口の圧倒的多数は台湾人・朝鮮人なのであり、日常生活は台湾語・朝鮮語だけでなんの不自由もなく、日本人と話すときは片言でも意味さえ通じればいいのであって、いくら学校で日本語を教えても台湾人や朝鮮人の母語が変わってしまうなどということはあり得ません。

奈良時代前半には八つあった母音がわずか50年ほどで五つに減った、などという現象が一体どういうプロセス・メカニズムで起こるのか、国語学者達にきいてみたいものです。



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