元の発言 [ Re: 失礼、上のは間違い ] お名前 [ 游惟 ] 日付 [ 8月9日(金)21時03分18秒 ]
>> >> >> >>上のサイトの例えば
>> >> >> >>http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm
>> >> >> >>なんかをみると、グスク時代の人骨をもと、その時代までに
>> >> >> >>形質の変化があったことを論じています。
>> この研究者達は、形質の変化をもたらしたのが弥生人(本土日本人)、
>> あるいは朝鮮系の渡来人であったといっているわけでもありません。
しかし次のようにもいっています。
****************以下引用******************************
その形質が本土日本人に近い特徴を持っていることを考えると、
グスク 時代以降の人たちは日本本土あるいは中国などとの交流を通して
形成されたと考える のが妥当であろう。
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また次のようにも言っています。
****************以下引用******************************
最北端の種子島小浜遺跡から発見さ れた5〜6世紀頃
(年代については、再調査の予定)と推定される人骨
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****************以下引用******************************
現段階では 一つの可能性に過ぎないが、形質の変化が
北から南に向かって進行しているようにみ える。
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当然ながら慎重な言い方ですが、5〜6世紀頃までには種子島に
その後南下してグスク時代に沖縄に至ったことを想定しているようです。
>> >> 下記のリンクでは
>> >> http://www.sagatokimeki.ne.jp/kouza/chishiki/seminar/tokubetu/tokubetu2.html
>> >> 「弥生時代になると九州・沖縄、山口地域では、顔・かたちに変化が
>> >> みられるようになり、形質の地域差が認められるようになる」
>> >> と言っています。
>> あなたはこのHPしか見ていないようですが、この松下氏が南九州・南島系と
>> いっている弥生人は主として種子島の広田遺跡の弥生人のことです。
>> そしてこの広田弥生人を、弥生人と見なすか縄文人と見なすかは研究者の間で
>> 大いに議論があるところなのです。というのは、広田人は他の弥生人より
>> 背が遙かに小さく、歯並びは縄文人的であるなど、他の弥生人とは
>> 明らかに形質が異なるからです。
縄文人の定義の問題でしょう。
http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/matsushita.htm
沖縄の在来の縄文人と広田人は異なるようです。
>> 何より松下氏自身が、広田人の形質変化をもたらしたのは北方系(朝鮮)
>> の渡来人ではなく、南方から来た別系統の渡来人であるかもしれない、
>> と言っています。
そうです、しかし沖縄には弥生時代とグスク時代の少なくとも二度に渡って
縄文文化域外からの渡来人がやってきているのです。
>> >> 戦後沖縄では弥生時代の遺跡が次々発見され、考古学的にも人類学的にも
>> >> 弥生時代に渡来人がいたことは明らかで、これは本土と変わりありません。
>> 本土では弥生時代に相当する時代の遺跡が発見されているだけであり、
>> 渡来人がいたことが明らかだなどとは誰も言っていません。
>>(いっている研究者がいたら教えてください)
上で言っているのは明らかに渡来人の可能性です。
>> また、仮に渡来人がいたとしても、日本に弥生時代をもたらした
>> 朝鮮半島からの渡来人と同じであるという証拠もありません。
>> この時代の遺跡からは弥生式土器など本土から来た遺物も発見されていますが、
>> 一方本土では発見されていない中国からの遺物も多数発見されています。
>>(琉球弧の考古学 白木原和美1992) 一方、この時代に沖縄で稲作が行われていた
>> 証拠は全く見つかっていません。従って、日本が弥生時代中期〜古墳時代前期に
>> 相当する時代、琉球人達がゴボウラ貝などを商品にして弥生人や中国などとの交易を
>> 行っていたことは確かだとしても、この時代に琉球に弥生人や渡来人が
>> 住んでいたと言う証拠はありません。
土器や墓制などが入ってきても、ちょうどその時代に人骨の形質が変化しても、
人間は入ってこなかったということですか。
>> >> つまり沖縄を縄文の孤島とすることはいまや全く根拠がありません。
>> そんなことを断言している研究者は誰もいません。
****************以下引用******************************
結論として、アイヌが縄文人の直系子 孫であろことに疑問はないが、
琉球人は本土あるいは大陸からの影響をかなり受けていると言えよう。
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>> >> したがって琉球語が縄文語の名残であると断定する根拠もありません。
>> 弥生人語(日本語)が伝播したと断定する根拠はもっとありません。
言語資料が無い限りどちらも断定は出来ません。
沖縄に縄文時代以降、次々に形質を変化させるほどの人間が流入した形跡がある限り、
琉球語が縄文語からあまり変化していないというのは別途証明の要る話です。
>> >> 皆殺し強姦混血が全く無かったとは思いませんが、どのような観点で見ても
>> >> 渡来人が皆殺し強姦混血のみを繰り返しながら広がっていったという説は
>> >> 単純すぎて支持できません。
>> 高度文明を持つ民族が原始段階に近い先住民の土地に入植し、それを駆逐しつつ
>> 同化吸収していく場合には、「皆殺し強姦混血」が基本です。アメリカ・オーストラリア
>> ・台湾・南アフリカ・ニューギニア等々実例をあげれば枚挙のいとまはありません。
>>「文明人は野蛮人と結婚しようなどとは思わない」のが基本であり、それでも文明人と
>> 原住民の混血児が生まれるのは強姦があるからです。「渡来人と原住民は仲良く暮らし、
>> 結婚するカップルが増え二つの民族が一つになりました」などと言うのは夢物語であって、
>> 言語・文化を異にする二つの民族が一つになるのは一方が一方を力ずくで征服した場合か、
>> さもなくば第三のより強力な民族に共に服属させられた場合だけです。
なんだかずいぶん昔の本を読まされているような気分になりますが。
二つの民族が接した場合の現象は、当然二つの民族の持っていた文化の内容と
その出会い方によって変わるでしょう。
渡来人たちはどれほどに「高度文明」だったのか、縄文人たちはどの程度「原始段階」
だったのか、両者がであった段階でのお互いの文化の相互の受容の状況を、考古学的に
ちゃんと跡付けてゆかなくては何もいえません。
両者の相互作用のありかたもようやくわかってきたところでしょう。
>> >> そうでないと説明できない事実も
>> >> 存在しないからです。
>> じゃあ、日本語が何処から来たのか説明してください。
日本語の起源には色々な説がすでにありますから、皆殺し強姦混血以外に
説明方法が無いとは思いません。
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