Re: タミル語に関して

投稿者[ 游惟 ] 発言日時 [7月25日(木)08時23分12秒]

元の発言 [ Re: タミル語に関して ] お名前 [ EK ] 日付 [ 7月23日(火)19時17分21秒 ]

>> >> ・・・縄文時代には琉球から中部以西(方言学でいう糸魚川〜浜名湖ライン以西)には日本祖語を話す南方系縄文人、以東にはアイヌ祖語を話す北方系縄文人が住んでいた。・・・

>>これは西国的日本語にアイヌ語の影響が加わって東国的日本語ができるメカニズムは、十分に考えうる、ということでしょうか(複雑な問題にこういう場所で説明をおねだりするのも気が引けますが)。

西から「縄文人集落に襲いかかり男は皆殺しにするか捕まえて奴隷にし、女は捕まえて慰み者に・・・」ということを繰り返して、支配領域を拡大し人口を増やしてきた日本語を話す弥生人達は、糸魚川〜浜名湖ライン(糸浜線)を突破してアイヌ祖語を話す北方系縄文人の居住領域に入っても同じことを繰り返して行ったでしょう。但し、北方系縄文人の居住領域に侵入する頃には弥生人の人口の方が遙かに多く、占領地には続々と家族連れの入植者が入ってくるので、北方系縄文人の女達が母親言語を継承する混血児を生んでも、しばらくするうちに日本語を話す多数派に飲み込まれてしまい、社会全体の言語がアイヌ語に変わってしまうという現象は起こりません。

しかし、ある言語を話す多数派が別言語を話す先住民を同化吸収して消滅させてしまった場合でも、先住民言語の影響は語彙や発音に残ります。

語彙面では特に地名にその影響が残ります。例えば「沢」のつく地名は西日本にはほとんどないのに、この糸浜線から東の北海道にかけて広く分布し、逆に「谷」のつく地名は糸浜線から西には多数あるのに対し、東にはほとんどないという現象が見られますが、このラインが南北縄文人の居住領域の境目であったという私の仮説を支持しています。

また、奴隷となった北方系縄文人や、弥生人が奴隷に生ませた子供達は弥生人の子供達とは隔離されて育ち、成長して働けるようになってから第二言語として日本語を覚えるため、アイヌ語訛りの妙な日本語を話すようになります。この妙な日本語を話す人口が相対的に多いと、次の世代の子供達はその妙な日本語を母語として覚え、しまいにはその妙な日本語がその社会の共通語になります。
(2つの言語話者が同じ社会に混在してコミュニケーションを強いられ、どちらの言語が優勢でもないというような場合には、両者が混合した「クレオール」という第三の言語ができあがる場合もありますが、この場合には日本語の方が優勢ですのでクレオールというわけではない)
方言学ではこの糸浜線を境にして方言アクセントが大きく変わるといわれていますが、それはこういうメカニズムでおこったのでしょう。

方言学だけでなく民俗学でもこの糸浜線を境にして東西で民俗が大きく異なるというのは定説ですが、長くその地域に適応して住んでいた先住民たるアイヌの生活の知恵を弥生人達が継承したということでしょう。

最近は、糸浜線と並んで関東ー越後ライン(関越線)というもう一つの方言境界線が注目されていますが、これは歴史的に考えれば「あって当たり前」という気がします。
糸浜線を突破して北方系縄文人の居住地域に侵入した弥生人達は、紀元前後には関東ー越後まで達しますが、「縄文人集落に襲いかかり男は皆殺しにするか捕まえて奴隷にし、女は捕まえて慰み者に・・・」という暴力的な侵略はそこでやめ、それ以上北には侵入しませんでした(それは方形周溝墓などの弥生遺跡の分布からわかります)。それ以上北に侵入しなかったのは、東北地方は当時の技術では稲作農耕に適さなかったからでしょう。
従って、ここが結果的に日本語を話す弥生人とアイヌ語を話す北方系縄文人の居住領域の境界となり、この線を挟んで弥生人とアイヌ(蝦夷)とは平和共存するようになり、それは歴史時代に入った7世紀まで続きます。この長い期間に交易や略奪などを通じて農耕技術その他の弥生文明だけが北方に伝わり、蝦夷たちもかなり文明化されて人口も増え、「国家」を形成できる段階まで発展したのだと思われます。(7世紀には岩手あたりに「日高見国」という蝦夷国家があったとされています。)

弥生人(日本人)の統一政権たる大和政権が、本格的に関越線以北(東北地方)の平定に乗り出したのは658年の阿倍比羅夫の遠征からであり、801年の坂上田村麻呂の遠征により一応全東北の平定をみたものの、その後も大和政権はしばしば「俘囚」の反乱に悩まされ、蝦夷だの俘囚だのということが言われなくなるのは、12世紀末に源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼして以降のことです。
従って、言語的に考えれば、この地域の住民全てが日本語を話すようになったのは12〜13世紀頃のことであり、7世紀以降500年間ぐらいは蝦夷語(アイヌ語)を話す人々と日本語を話す人々が混在して住んでいたはずで、内地から日本人の移住者が増えて日本語の方が優勢になり、蝦夷語は消滅していったのでしょうが、その間には上で述べた「クレオール」が発生したと思われます。

「クレオール」というのは、本来中南米のスペインの植民地でキリスト教徒となった原住民のことですが、この人たちはスペイン語と原住民語が入り交じったへんてこな言語を話しており、それは単に借用語が多いというレベルを越え文法体系そのものが変化した新しい言語であり、しかも言語として完全である、という代物です。その言語が発見されて以来、ニューギニアやアフリカなど植民地から独立した国々で同じような言語が次々に発見され、それらもみな「クレオール」と呼ばれるようになりました。
そんなバカな、と思われるかもしれませんが、そもそも現在事実上世界共通語となっている「英語」自体が11〜12世紀に発生したクレオールであると思われます。1067年にイングランドはフランスに征服され、大量のフランス人がイングランドに住むようになり、原住民の話すゲルマン語とフランス人の話すフランス語が入り交じって両者ともが変化を起こし、現代英語の原型が形成されました。
現代の英語・フランス語・ドイツ語を比較してみればわかりますが、フランス語・ドイツ語の冠詞・形容詞の格変化、動詞の人称変化・性数変化、名詞の性など、外国人が学ぶ際に悩まされるめんどくさい文法事項は英語にはほとんどなく、実に簡単な文法体系になっています。
お互いの言語をよく知らない者同士がコミュニケーションをとらなければならない場合は、「I 売る you これ 10000円,ok?」「no、it 高い、5000円 いい?」などと片言をならべ、相手に通じる言葉を試行錯誤して上獲得していきます(こういうブロークン外国語をピジン語といいます)。社会全体がそういう状況だと、社会全体の人々がみんなピジン語を話すようになりますが、そういう社会に生まれた子供達はそのピジン語を内在化して母語として話すようになります。そして、チョムスキーが言うように、母語(第一言語)として話される言語は全て完全な言語なのでありその言語で表現できないことは何もありません(その言語を話す個人の表現能力と言語としての完全さは別の問題です)。とにかく、英語・ドイツ語・フランス語を比較すれば、このクレオール化の過程が手に取るようにわかります。

さて、7世紀以降の東北地方の言語状況を考えれば、まさに中央から派遣された官僚層はともかく、入植した下層日本人農民と蝦夷とはまさにこういう環境に置かれていたはずであり、当然クレオールが発生したはずです。だから、私は話し言葉としての東北方言は日本語とアイヌ語が混じって発生したクレオールだと考えています。ただ、書き言葉は発達せず、後に教育制度が発達して「正しい日本語」が教えられるようになったため、語彙などは段々標準日本語に近づいていったはずですが。
いずれにせよ、こういう歴史的経緯が明白なのですから、関越線が形成されるのは当然、むしろない方がおかしい、と私は考えています。(この関越線の主唱者を個人的に知っていますが、彼にはこういう歴史的・言語社会学的発想は全くないようです)


>>我々(私は関東人)がアイヌ文化の要素を少しでも引き継いでいるようには思えないので。
愚妻の本貫の地は栃木ですが、色が黒く、顔の凹凸が大きく、毛深く、体臭がつよく、アイヌの血を濃く引いているようです。(^^;)
まあ、現代の関東、特に東京の文化は江戸時代以降日本全国の人々が寄り集まって形成された混合文化であり、それをアイヌ文化で割り切ることは不可能ですね(^ヘ^)

>>大野晋は日本の稲作文化とタミール語の深い関係を主張しているはずです。だから1万年前ではなく、2300年前のことと考えないと、話がつながりません。

だから、私も大野説には懐疑的なのです。どう考えても2300年前の渡来人がタミル人であったとは考えられません。縄文時代にも稲作はあったようですが、それもそう古い時代の話ではないし・・・・
日本人とタミル人を2300年前で結びつけようと思えば、かなりアクロバット的な仮説を考えないといけないでしょう。その当時中国大陸か朝鮮半島に住み着いていたタミル人が、突然日本列島に引っ越してきたとか・・・(^ヘ^)

>>そうですね。私は、自分がなぜこんなに英語が使えるようにならないのだろうという疑問から出発して、言語を習得することがどういうことか、自分なりにかなり理解を深めました。ことばの専門家(教育者を含めて)は、多分全員が特殊な才能を持っていて、普通の人の外国語(ひいては母語)の習得のプロセスがわからないのだろうと、皮肉りたくなります。

「当該言語が話せなければ生活が出来ない」という環境に身を於かない限り、外国語はなかなか身に付きません。(^ヘ^)
私も韓国にいたときはそういう環境だったのですぐ身に付きましたが、香港・台湾では日本語だけで殆ど用が足せるので広東語も北京語もあまり身に付いていません。


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