元の発言 [ Re: 失礼、上のは間違い ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 8月10日(土)03時22分11秒 ]
考古学者がどう言おうと、現代沖縄人が形質的に本土日本人とかなり異なることは否定できませんし、誰も否定していません。
他の形質を持つ人間が琉球に来て生物学的に結婚し子孫が生まれれば、当然の形質変化は起こります。
琉球は島国ですから、日本や大陸や台湾から船出した人間が風や潮に流されて偶然に漂着し、島人に助けられて土着し結婚して子孫を残したことだってあるでしょう。あるいは、支配者が日本や中国から学者や技術者を招聘し、それがそのまま土着して子孫を残した場合もあるでしょうし、海賊がやってきて島の娘を強姦して子孫を残したことだってあるはずです。
台湾の本省人(1945年以前から台湾に住んでいる人々中国系の人々)を遺伝的に調べれば8割近くに原住民の血が混じっているそうであり、私の事務所にいる女の子の一人には8分の1ほどオランダ人の血が混じっているそうです。
しかし、そのような単発的・偶発的な移住や混血があったぐらいのことで、社会全体の言語が取り変えられてしまうことなどあり得ません。せいぜい、移住者がもたらした事物の名称が外来語となって残る程度にすぎません。
一万人の人間が住む社会に100人の異言語話者が移住してきても、二三世代の内にマジョリティーに飲み込まれてその人々の言語は消えていってしまいます。消したくなければ、その社会の中でゲットーのような別の社会を造り人為的に守るしかなく、東南アジアの華僑などは実際そうやって中国語を守っています。しかし、そのようにして元の言語が守れたとしても、外部の一万人の社会の言語の方が変わってしまうことなどあり得ません。インドネシアやマレーシアでは資本のかなりの部分を小数の華僑が握っており、原住民系国民の怨嗟の的になっていますが、どれほど経済力を持っていようと言語的にはマイノリティーに過ぎないのです。
琉球の人口が一万人だとして、各世代断続的に100人ずつの移住者がやってきたとすれば、10世代三百年で3000人の移住者があることになり、遺伝形質はかなり変わるでしょうが、移住してきては琉球語に飲み込まれ、またやってきては琉球語に飲み込まれの繰り返しに過ぎず、琉球の言語の方は外来語が増えるだけのことで殆ど変化しません。古代の朝鮮帰化人のことを考えればすぐ解ります。
しかし、同じ3000人でも、それが一時にやってきたとなれば話は別です。やってきかたにもよりますが、
@日本人3000人と琉球人一万人が居住地をわけて別の社会を作る場合
二つの言語が併存し、お互いの言語にあいての言語から外来語が入る程度
南アフリカのアフリカーンス語、ヨーロッパのバスク語などがこの場合にあたる。
A日本人と琉球人が混住し、通婚するような場合
クレオールが発生する
1066年以降の英語などがこれにあたる
B日本人が支配者となり、琉球人を支配下におく場合
琉球人に日本語を使うことを強要し、数世代で琉球語は消え、琉球語起源の単語のみが残る。
但し、この場合、日本人の側に「正しい日本語」のマニュアルがあり、日本人自身が常にマニュアル通りの日本語を使い続け、学校を作って琉球人にそれを教え続け、常に琉球人が琉球語を使わないように監視し、違反する人間には厳しい罰を与えるなどの措置を取る必要がある。そうでなければ、やはりクレオールが発生する。
明治以降、日本が琉球や北海道で実際にやって成功し、台湾や朝鮮では失敗したこと
C日本人が琉球人を皆殺しにしてしまう場合
日本語のみが残る。
近世のアメリカ・オーストラリアなどではこれに近いことが行われた
もし、琉球語が弥生人語(日本語)が伝播して発生したものだと考えれば、ABCのどれかですが、いずれにせよ今日知られている琉球の歴史的・考古学的事実からは、明治以前の琉球にこのような社会の言語が取り替えられてしまうような一時の大量移民があったことは考えられません。あなたが挙げている考古学者にもそのようなことを言っている人はいません。
従って、弥生人語伝播説には何の根拠もなく、琉球人は縄文時代(に相当する時代)から今日の琉球語を使い続けていたと考えるしかありません。(もちろん外来語が増えるなど、時代的変化はあります)
>>日本語の起源には色々な説がすでにありますから、皆殺し強姦混血以外に
>>説明方法が無いとは思いません。
ところが、そんな説は今まで全くないのです。
日本語系統論は大別してアルタイ語説≒渡来系弥生人語説、オーストロアジア語説≒縄文人語説に分けられますが、どの説にせよそれを話す人々がどのような過程で日本列島にやってきて、どのような過程で広まり、今日の日本語になったかについては誰も説明していません。
大野晋氏のタミル語説にしても、タミル語が日本に伝播した過程については全く説明がありません。
いずれにせよ、あなたの批判は、私の仮説の枝葉末節の部分をつついているだけであって、根幹部分には何の影響もあたえていません。あなたが言う細かいことにもいちいち反論は出来ますが、意地になって信じる気のない人間に説明するのは時間の無駄というものです。
私も研究者の端くれ、自分の説に誤りがあれば、どんなに苦労して築き上げた仮説であろうと、すぐに放棄します。9割方完成した論文の誤りに最終段階で気づき、放棄したことも何度もあります。しかし、あなたの批判が私の仮説の根幹に何の影響も与えるものでない以上、また私の仮説以上に合理的な仮説がない以上、私はこの仮説を放棄するつもりはありません。
私は言語学と社会学が専門であって、考古学や歴史学には素人です。しかし、私は「専門家」と呼ばれる人々が大嫌いであり、自分自身をも「専門家」とは呼びたくありません。
「専門家」は往々にして枝葉末節の辻褄あわせにだけ執着して大局的に物事を捉えることが出来ません。
上代特殊仮名遣いの国語学者達がいい例で、あっちの資料はどうのこっちの資料はどうのと、自分たちの世界の伝統的な方法論にとらわれ、些末な辻褄あわせばかりに血道を上げ、あげくのはてには母音が消滅しただの、条件異音を母語話者が書き分けていただの、言語学的に考えればあり得ないことが「定説」となり、それに誰も気づかない。あきれ果ててものも言えません。
自分が撫でているのが象の鼻先であることを知って撫でているのと、知らないで撫でているのでは同じ事のを研究するのでも自ずからやり方は違ってきます。
私は象の鼻先の「専門バ家」になるくらいなら、象全体を見る素人であった方がましです。これはもはや「趣味」の問題であり、趣味は他人からなんと言われようと変わるものではありません。
いずれにせよ、聞く耳を持たぬ人に何を話しても無駄ですから、この論議はこれで終わりにしましょう。
長い間お付合いありがとうございました。m(_ _)m
その他発言: