元の発言 [ Re: タミル語に関して ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 8月1日(木)23時00分03秒 ]
>>私にはとてもアイヌ語が私の言葉に影響を与えたとは思えません。
>>東北弁といっても福島県から青森県まで言葉にかなりの違いがあります。
>>私は東北南部ですが青森の言葉は全く理解できません。
711年から720年にかけ朝廷は東北南部(福島・宮城あたり)の蝦夷を強制的に関東に移住させ、関東の日本人をその地域に入れる数万人規
模の「住民の取り替え」をやっています。また811年に岩手南部にあった日高見国が滅ぼされたとき、その住民数万が内地に連行され、そこ
に一万数千人の日本人が移されています。そういった地域では蝦夷語の影響はあまりないでしょう。
>>青森がアイヌ語の影響が強いとしてクレオールってグラデーションがつくものでしょうか。
地域の事情によって差があるのは当然です。東北地方は広く、日本人が100%の村、日本人が優勢な村、日本人・蝦夷が半々の村、蝦夷が優
勢な村、蝦夷が100%の村などがあったはずで、概して、南部には日本人が多く、北部には少ない、平野部には多く山間部には少ないという
傾向でしょう。日本人の比率が高いところでは標準日本語に近いクレオールとなり、蝦夷の比率が高いところでは蝦夷語に近いクレオール
が発生するはずです。
>> この研究はかなり進んでいて、東北人の多くがアイヌと同じ遺伝子を受け継いでいることは確かなようです。
>>そうでしょうか?例えば顔つきで言えばアイヌ人の特徴である髭の濃さとか彫りの深い顔とか他の地方の人間と差がないように思います
が。
糸浜線以東には北方系縄文人(蝦夷≒アイヌ)が住んでおり、糸浜線〜関越線までの北方系縄文人はB.C1世紀〜A.D7世紀までの間に弥生
人に混血・同化吸収された、と言っています。だから、その辺の住民もまた北方系縄文人の血を引いているのであり、7世紀以降に蝦夷が
同化吸収された関越線以北の方が北方系縄文人の血が比較的濃い、というだけのことです。
>>一見東北の独特な方言のように見える言葉もその語源を辿ると京都の公家言葉だったり、江戸の侍言葉だったりする事があります。
>>「笑止」と言う言葉は文字どうりと言うか、「笑いが止まらない=すごく可笑しい事」でしょうが福島では「恥ずかしい」と言う意味で
山形では「ありがとう」です。
>>直線で30k程度しか離れていなくても同じ言葉が全く違う意味を持っている。
>>訳が解らないからアイヌ語だろうなどとあっさり決め付ける事は危険です。
クレオールかどうかは主として文法体系・音韻体系の問題であり語彙や言い回しの問題ではありません。語彙や言い回しは他言語、他方言
の人々との接触や教育によってどんどん変わってゆくものであり、当該言語にとっての外来語がいくら増えても言語体系の根幹が変わった
ことにはなりません。
>>私は東北の方言も殆んどが弥生の倭人の言葉が長年にわたって交流がされなかった結果変化していった物であろうと思います。
>>特に江戸幕府による封建時代に庶民の往来が自由でなくなった事が方言を強めたのでしょう。
>>それが福島と米沢の方言でもはっきり解ります。
東北各方言が現在の形になるまでに1000年以上たっており、その間いろいろな要素が加わるのは当然です。
>>「東北地方がクレオールが発生する環境」ってなんですか?
@お互いの言語をよく知らない者が混住し日常的に接触しなければ生活出来ない環境にあり
Aそれが何世代にも亘って続き
Bしかも教育制度がなく「正しいA語」「正しいB語」などというマニュアルがない
そういう条件下でクレオールは発生します。
スイスはドイツ語・フランス語・イタリア語などを話す人々が混在し、日常的に接触していますが、「正しいドイツ語」「正しいフランス
語」「正しいイタリア語」が学校で教えられ、「こんな時どうする? とっさのイタリア語会話」なんてマニュアルもあるはずで、そうい
う環境ではクレオールは発生しません。
7〜12世紀の日本には庶民を教育する学校などというものは存在せず、一つの村で混住する日本人と蝦夷は、聞き覚えのお互いの単語を並
べ身振り手振りでコミュニケーションを取っていかなければならなかったはずで、そういう社会ではクレオールが発生します。
例えば蝦夷が、関東から入植してきた日本人の「どこ行くんだ?」「仙台さ」という会話を聞いたとしましょう。蝦夷の耳には「どこ」の
「こ」は無声化していて聞き取れず、「くん」が「ぐ」に聞こえ、「どーいぐだ」のように聞きとったとします。そして試しに日本人に対
して「どーいぐだ?」と使ってみます。日本人の方は「どーいぐだ? ああ、こいつはこの前俺たちの話を聞いていたからたら、どこいく
んだ?の意味だろう」と理解し、「仙台さ」と答えてやったとします。するとその蝦夷は「Where do you go?」は「どーいぐだ」だと
覚え、「仙台さ」の「さ」は「to」の意味だと考え、こんどは日本人に「どこ行くんだ」と聞かれたときに「山形さ」と答えてみます。す
ると「そうか、山形か」と答えが返ってきて会話が成立したとします。
その蝦夷は家に帰って家族や友人に「日本語ではWhere do you go? は『どーいぐだ』、to○○は『○○さ』と言うんだ」と得意にな
って教え、その人達も使ってみて通じれば、その言葉が定着します。そして「to○○」は「○○さ」だから、「to where」は「どさ」だろ
うと類推し、今度は試しに「どさいぐだ?」と使ってみたとします。日本人の方は「変な日本語だな」と思いつつも意味はわかるから「仙
台」と答え会話が成立すれば、蝦夷の方は「さ」はやはり「to」の意味だと確信を持ち、「どさいぐだ」「山形さいぐ」「仙台さいぐ」と
いった言い回しが蝦夷の間で定着します。すると、今度は逆に日本人の方が「○○さ」というのは蝦夷語で「○○へ」の意味なんだろうと
考え、蝦夷と話すときは真似して「仙台さいく」「山形さいく」と言うようになります。そして、しまいにはその村全体がそういう言葉を
話すようになり、その村に生まれた次世代の子供達はその言語を母語として話すようになる、というわけです。
そして、一旦そういうクレオールが当該社会の共通語になってしまえば、後から三々五々「正しい日本語」を話す移民が入ってきたとして
も、圧倒的多数のクレオールを話す人々に飲み込まれ、二三世代後にはクレオールが母語化してしまいます。
もちろんこれは思考実験であり、実際のところはアイヌ語と日本語を比較しながら細かく分析していかなければなりませんが、大筋ではこ
のような過程を経て、東北方言特有の文法体系・音韻体系が形成されたのだと考えられます。
奈良時代の陸奥の人口が約18万、出羽が8万と推定され、その大半は蝦夷で日本語を話す日本人の方が少数派だったのであり、学校などない時代にこのような現象が起こらない方が不思議です。
>>鹿児島人はインド人に似ていませんか?
>>西郷隆盛の肖像画を見るとインド人そのものに見えます。
>>就職して初めて鹿児島の女性を見たとき、色は白いがこれはインド人に違いないと思いました。
>>ややふっくらした頬と大きな輪郭のはっきりした目と濃い眉毛をしていました。
>>その女性以外に鹿児島の女性を知らないのですがすごい美人でした。
>>鹿児島にはタミル人の血が入っているような気がします。
私にはどう見ても西郷隆盛がインド人とは思えませんがね。(^ヘ^)
あの顔はポリネシア系でしょう。
タミル人をはじめ南東インドに住むドラヴィダ人は地中海人種だと言われており、そのことも私が大野説に疑問をもつ原因の一つです。
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