元の発言 [ 失礼、上のは間違い ] お名前 [ 游惟 ] 日付 [ 8月7日(水)17時37分31秒 ]
>> >> 下記サイトをみると疑問の余地が有るようです。
>> >> http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/jinrui.htm
>> 琉球王国は17世紀初頭に薩摩藩の支配下に入り、薩摩の役人と警備兵が
>> 常駐していたはずです。また、それ以前に遣唐使などが漂着した事もあり、>> 明治以前にも多少の混血はあったでしょう。
>> しかし、琉球の言語が弥生人もしくは日本人がもたらしたものとは
>> 考えられません。
上のサイトの例えば
http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm
なんかをみると、グスク時代の人骨をもとに、その時代までに
形質の変化があったことを論じています。
http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm
ここでは沖縄の縄文人の骨をもとに、沖縄では縄文人から弥生人へは
連続しない可能性があることを論じています。
総じて日本人の二重モデルにについて、アイヌ人は該当するが
(これも縄文人に相当北方系民族の影響が入って成立したらしい)
琉球人は本土系(渡来系)であるとしてよいのではないですか。
すくなくとも琉球人や琉球語を縄文以来の生き残りとするのは
成り立たなくなってきたと思います。
沖縄には支石墓や須恵器など、各時代に本土の影響をうけた痕跡があり、
言語的にも上代日本語経由と思われる漢語起源の言葉もあり、
稲作が定着するまで相当数の人間の南下があり、稲作が定着してから
次第に独自性が高くなってゆくようです。
このあたりは”おもろそうし”以降の琉球語の成立と整合的だと
思うのですが。
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