Re: 失礼、上のは間違い

投稿者[ ピクポポデミ ] 発言日時 [8月8日(木)15時23分39秒]

元の発言 [ Re: 失礼、上のは間違い ] お名前 [ 游惟 ] 日付 [ 8月7日(水)20時06分14秒 ]

>> >>上のサイトの例えば
>> >>http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm
>> >>なんかをみると、グスク時代の人骨をもとに、その時代までに
>> >>形質の変化があったことを論じています。

>> 11〜12世紀以降のグスク時代に本土文化の受容があったことは以前から
>> 言われていますが、琉球語の起源がその時代まで下がると言うことは
>> 言語学・方言学では否定されており、もっと古い時代に形成されたものと
>> 考えられています。
>> そのような新しい時代に本土から入ってきた人々が広めた言語にしては、
>> 日本語との親縁性が遠すぎるからです。

上のリンクはグスク時代までに形質の変化があったことを言っているわけです。
グスク時代にと限定しているわけではありません。

>> >>http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm
>> >>ここでは沖縄の縄文人の骨をもとに、沖縄では縄文人から弥生人へは
>> >>連続しない可能性があることを論じています。

これは弥生時代に形質の変化があった可能性を言っています。

下記のリンクでは
http://www.sagatokimeki.ne.jp/kouza/chishiki/seminar/tokubetu/tokubetu2.

html

「弥生時代になると九州・沖縄、山口地域では、顔・かたちに変化が
みられるようになり、形質の地域差が認められるようになる」

と言っています。
戦後沖縄では弥生時代の遺跡が次々発見され、考古学的にも人類学的にも
弥生時代に渡来人がいたことは明らかで、これは本土と変わりありません。
つまり沖縄を縄文の孤島とすることはいまや全く根拠がありません。
したがって琉球語が縄文語の名残であると断定する根拠もありません。

>> 今まで書き忘れていましたが、記紀で「熊襲・隼人」と呼ばれ、
>> 魏志倭人伝で「狗奴国」と呼ばれている南九州の人々は
>>(私は一応邪馬台国九州説に立っています)、B.C三世紀に入ってきた
>> 渡来人系の弥生人達が南九州には向かわずに本州・四国方面に向かった
>> ために、弥生人化(皆殺し強姦混血)されず残った南方系縄文人だと
>> 考えています。このことは方形周溝墓等の弥生遺跡の分布状況か>> らも確か

です。弥生人達が南九州に向かわなかったのは、
>> シラス台地で米作には向かないと判断したためでしょうが、
>> それがおそらくA.D3〜4世紀に大和朝廷によって征服されるまで続き
>> (日本武尊伝説や応神紀)、その間にこの地域にも弥生文明だけが
>> 流れて人口も増え国家を形成する程になっていたのだと考えられます。

南九州にもあきらかに弥生期になって新しい文化が入り、人骨的にも
縄文人とは異なることは上に述べたとおりです。
一般に稲作の開始は渡来人の定着とは関係が無いようです。
どうも南九州・南西諸島タイプの渡来人は、北部九州・山口タイプの
渡来人とは違って稲作には消極的なようです。
水田稲作の技術があるから必ず水田稲作をはじめるというものではなく、
その地域でその時代の稲作技術を前提に、稲作以上に有利な生活形態が
あるのであれば当然稲作はやりません。

南九州や沖縄のような安定した水利に問題のありそうなところで水田稲作が
盛んにならないのは、この時代の水田稲作に水利上の制約が有ったことを
思わせます。

沖縄にはゴボウラ貝という九州との交易品があり、稲作社会の米と交換されて
いたとされます。
そもそも弥生時期の水田稲作の生産力は高くなく、無理をするよりは宝のような
貝を取り、基本的には採集漁労で生活したほうが有利であったのでしょう。

>> 方言学の方でも南九州にも方言境界線が引かれていますが、
>> その名残と考えられます。但し、熊襲・隼人は、朝鮮語などの影響を
>> 受けて独自の発展を遂げた北九州やその他地方の弥生人の日本語から
>> 見ればひどい方言であっても、元々日本語を話していたため
>> (むしろこちらの日本語の方が本家ですが)、関越線以北の蝦夷に
>> 比べれば同化は早かったでしょう。
>> ですから、大和朝廷に服属する前の熊襲・隼人の言語は
>> 琉球語に近かったと思われます。
>>(と言っても方言差はもちろんあったはずですが)

関越線以北にも早くから渡来人の拡散が見られるようです。
http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/nara.htm
そもそも弥生文化の影響は、稲作を除けば北海道にも及んでいます。

そもそも皆殺し強姦混血仮説の出発点は、沖縄が縄文の孤島であること
でした。
これは明らかに誤りと思います。

また各地に残る考古学的証拠は、基本的には初期の渡来人が縄文人と
同一集落で共存したことを物語っています。
また縄文的形質の人々が弥生文化を受け入れていたと思われる形跡もあります。
またmtDNAの結果は、渡来人に女性が含まれていることを意味します。

皆殺し強姦混血が全く無かったとは思いませんが、どのような観点で見ても
渡来人が皆殺し強姦混血のみを繰り返しながら広がっていったという説は
単純すぎて支持できません。
考古学的に矛盾する証拠が多すぎる上に、そうでないと説明できない事実も
存在しないからです。




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