元の発言 [ Title高麗が原 ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 12月3日(火)18時17分26秒 ]
牛頭さん、以下、何年かぶりの投稿です。
以前この「大論争」に何度か紹介致しました『邪馬台国論争・終結宣言』の著者・山形明郷先生に、牛頭さんの当「Title高麗が原」をファックス致しましたところ、山形先生の解答・採点は下記の如く「大正解」、とのことです。
従来の定説の方が、逆に、史実を曲解している「トンデモ説」なのだということです。
◆以下、山形明郷先生の論を掲載します。
我が国に、とくに我々日本民族の歴史というものは厳密に言って存在しません。
一般に言われている様に「日本書紀・古事記」をもって日本の史書としていますが、これらの中の「神代の巻」という伝承神話は、「旧満州・及び今日の韓半島方面」に於ける史実の断片の神話伝承化であります。
高天(コマ)原 = 後の高句麗の蓋馬(コマ)大山(大古馬嶺山)
蒼みが原 = 黄海(古名が蒼海で、前漢が滄海郡を置いた所の南西に存在する海)
スサノウノミコトの大蛇退治の伝承 = 鴨緑江流域に於ける檀君王倹の邑樓(オロ・ウムル)八部族の平定の史実が日本に伝えられ、スサノウノミコトのヤマタノオロチ退治と寓話化されたもの
数えあげたらきりがない程、満州及び現韓半島との係わりあいが多く、書記・古事記を全て今日の日本列島に位置づけて語ることには無理が出てきます。
なお、日本書紀そのものが百済本紀の引き写しとも言われる故、或いは神武東遷の伝承そのものには、百済の始祖・扶余王尉仇台の遼東方面からの東遷の史実が色濃く投影されている可能性があります。
また、我が天武朝が楽浪朝鮮(馬韓)の後身であったこと、先の天智朝とは何の繋がりもないことなども、日本の史家達は口をつぐんでいます。
その他発言: