元の発言 [ Re: 高天原は天国(Re: 高天原と常世) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 12月17日(火)07時55分23秒 ]
>> >> 【「神さまはお客さまです」と定義する。「人々にとって、神さまはある時、突然、どこからかやって来るものであった。神さまがやって来たことがわかると、人々は神さまをお迎えし、適切な応対をした後に、再びお帰りいただく。】
>> そこら辺りについては,民俗学を踏襲しているのでしょうが,
>> 著者の方に,一般向けの解説とは別の,
>> 高度の示唆を含むかどうかで,読み解きが違ってきます。
>> >> このあたりは自然に湧き上がった信仰心から神をうやまったのではなく神道の神は押し付けられた事を表していると思います。
>> 物品や情報や福をもたらす客であれば,
>> もてなして損はないですね。
途上国に作られたキリスト教の教会に似た印象ですね。
先住民達はやって来た牧師に施しを受ける為に皆キリスト教徒になりました。
しかし伝統的な占い、鬼術などの方が彼等の生き方の指針になっていて抜け出すのにはかなり時間を要しました。
しかし日本の神道はキリストの博愛平等の思想を持っていません。
多分、先住民に施しをするのではなく先住民に神に対するお布施を要求したのだと思います。
先住民は接待をしお布施を上げて帰っていただく。
だから天孫神は常駐していないのです。恐らく高天原の上にいて時おり降りてきて接待を受けるのです。
>> その反対に,有難くない客は,厄病神といったところでしょうか。
>> 以上は,一般向けに,人と人との交流の場で,
>> 一方が神サマとして扱われる例を前提としていますが。
>> しかし,記紀から古代人の実体験としての神事を探るならば,
>> もっと高度の示唆を読み解けるわけです。
紀記、その他に書いてある神話は殆んどが支配者側からの視点で書いてありますから、被支配者がどのように感じていたかは民間伝承によらなければ。
>> >> なんらかの御利益をもたらすものではなく祀らないと祟る。
>> それは,天孫族とか中央政府のほうで手を焼いて,祭ったりするという,
>> そういうたぐいの逸話は記紀にも出ているでしょう。
先住民が自分の神を祭る事を禁じられたりすれば反乱をおこしたかも知れません。
それをなだめる為に先住民の神も戎神として祀った事を指しているのかも知れません。
また、天孫族に属さず天孫族と同じように先住民を支配しようとする勢力があってこれを天孫族に取り込むと言った事もあったでしょう。
>> >> 一方、戎神はご利益がある。戎神はきっと天孫族に支配された民の神だったのでしょう。
>> ???
>> 時間がないので,後でまとめてみます。
>> >> 「ぱる(原)」という地名は必ずしも平らな広い所ばかりにある訳では無さそうですし、「ぱる」は「村」を表す言葉だった可能性があります。
>> はい。天の原と言った場合にも,この原に村とか国とかの意味を嗅ぎ出すのは,
>> 不可能ではないですね。
>> 海原については,ちょっと難しいかな。
九州では「あまのはら」は「海の原」ではないかと思います。(^^)
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