高天原は天国(Re: 高天原と常世)

投稿者[ ちょっと一服 ] 発言日時 [12月15日(日)22時12分06秒]

元の発言 [ Re: 高天原と常世(Re: 高麗が原) ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 12月15日(日)08時22分58秒 ]


>> なるほど、それはすごく興味のある話ですね。
>> インド起源の言葉だとすると組み立て直さなければなりませんかね。


まぁ,たまたま,もしくは垂直の霊感ということも考えられるので,
起源かどうかは,まだ分かりませんが,
言葉の体系を支える精神構造が対応しているような感じですかね。

>> 素戔鳴尊は根の国を治めるように言われてそれを拒否し「母の国に行きたい」と言っていたそうですが母の国とは何処だったのでしょう。


いえ,素戔鳴尊は,伊奘諾尊から海原もしくは天下を治めるように言われたが,
治めることをせず,「母の国・根の国に行きたい」と言って泣き暮らしていたわけです。

>> 新羅だったんでしょうか?それとも出雲?
>> 母の国は新羅ですかね?


神話構造としては「死者の世界」です。素戔鳴尊は,自分では知らずに,
母親がいるという「死者の世界」を志向していたわけです。

分かり易く書き直せば,素戔鳴尊は,
「母親と会いたいので,墓場の中(死者の世界)に連れていってくれ」とかの,
難題をふっかける,あるいは,
「治める仕事をするくらいなら死んでやる」と言って,長老や同僚の手を焼かせ,
喚いていたのでしょう。

伊奘冉尊の墓が山陰方面にある,というわけです。

>> それはわかっていますけど出雲が国譲りを承諾した時点で出雲に降臨するのは当然なのに何故九州に降臨したかという事です。


いえ,出雲は即,服属しています。
畿内大和の支配権にまつわる経緯が不審なわけです。

出雲の国譲り以降,日向勢(神日本磐余彦尊)による大和攻略が完成するまで,
天照大神等の神々の導きが時空を超えて括っているわけです。

煩瑣になるので,機が熟さないと書き込みずらく,
以前に,ちらりと書き込んだきりです。
また,まとめておきます。

おおよそ武甕槌神の活躍が目立つわけですが,
吉田敦彦説では,武甕槌神はインド神話のインドラに似ているそうです。
吉田敦彦著『日本神話の源流』(講談社現代新書)第196頁参照。

一応,そのような学説があるという線では,

大野説で,タミル語の天国の人々 amarar の王と言えば,
インドラを意味する,とあるのが気になります。
「この天国からインドラの神々は地上に降りて,また帰ることがある。」
大野晋著『日本語の起源』(岩波新書)第189頁参照。

これが,「天降る」ということの本来の意味です。

>> なかなか面白いですね。


ある意味では面白く,別の意味ではつまらんですよ。

>> 半島南部にも北九州にも同じ倭人が住んでいたので同じタミル語が影響を与えていた可能性はあるでしょうね。


おっしゃりたい辺りのことは,前掲書第228頁にあり,
タミル語の pul-am という語が「村・区域」という意味なのです。

まさしく,日本書紀にある「フレ」の語源ではないか,と。
現代日本では,壱岐島に「触(フレ)」のつく地名が100例あるそうです。

# 大野説的には決め技ではないかな。




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