Re: 高天原と常世(Re: 高麗が原)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [12月14日(土)07時53分12秒]

元の発言 [ 高天原と常世(Re: 高麗が原) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 12月12日(木)21時57分23秒 ]

>> >> ついでに、「高天原=韓半島」にも一票。

>> 高天原については,まず,宗教的な世界観の中での構成を持つもので,
>> これは「天上界」という意味です。

>> 葦原中国が地上,黄泉国や根国が一応,地下らしいです。

>> ですから,天という観念を持つ者の「頭上」に位置する世界です。

>> ところが,記紀を読むと,高天原について,
>> 地上の拠点を示唆する表現も見られ,
>> 古くは九州の何処かにあったのではないか,という印象もします。

>> ただし,韓半島南端を含むのではないか,という課題もありますが,
>> この点,そこは倭人も活発に活動していた地域なので,
>> そういう事情を考慮すべきでしょう。

>> 一方,遠方の理想郷として,漠然とした観念ながら,
>> 常世国というのがありますよね。

>> どうやら神仙思想や道教文化,あるいはまた,
>> 中国以外の異郷と不可分な理想郷であるらしく,
>> 一系統としては韓半島経由で入ってくる高度の文化や技術などの拠点,
>> これを漠然と指している場合もあるらしい。

>> というわけで,ここの議論として強いて話題を提供するならば,
>> 高天原は日本列島で,高句麗は常世方面の範疇の一つか,
>> という着想のほうが相応しいのではないか,と。

高麗の「麗」を「マ」と読むなら高麗は「タカマ」と読む事も可能であろうと言うのがこのスレッドの意です。

スサノオが高天原を追放されて新羅に降臨し、その後出雲に渡る。
ニニギは出雲が反映している様子を見て大国主に国譲りを迫っておいて九州に降臨したというのも変です。
高天原を高句麗とすれば、スサノオは高句麗を追われ新羅にのがれ、新羅から日本に来た。
初めは山陰地方にいたがニギハヤヒの代になって畿内に入った。
と考えるとすごく納得がいくのです。

>> それと,高天原を「あまのはら」と見た場合,
>> 隋書等に「姓は阿毎」とある「阿毎」との関わり,
>> これは地名に反映しているかもしれないわけで,
>> 「アマ」の付く地名なら九州にあるはずだったのでは。(^◇^)

九州において「あま」という言葉は海を意味し、畿内では山の上(天)をさしているような印象があります。
古田さんが「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも」は九州で詠んだ歌だといっています。
「あまのはら」は海でしたっけ。

ついでに私は「はら」は朝鮮語の「フル」と同義で国とか都を表しているのではないか。
「あまのはら」は海の国、海の都ではないかと。

実は邪馬台国は阿毎台国(アマトコク海人国)だったりして。(^^)
「邪」は「いぁ」と読むのじゃないでしょうか?
「倭」は「うぃ」が「うぁ」になって「わ」と読むようになった。

妄想大爆発。m( _ _ )m



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