Re: 高天原と常世(Re: 高麗が原)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [12月15日(日)08時22分58秒]

元の発言 [ Re: 高天原と常世(Re: 高麗が原) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 12月14日(土)10時56分35秒 ]

>> >> 高麗の「麗」を「マ」と読むなら高麗は「タカマ」と読む事も可能であろうと言うのがこのスレッドの意です。

>> 倭人の側では,その国を古くからの地名である「コマ」の名で呼んでいたので,
>> のちのちも「コマ」の呼び名で通した,という説があるわけです。

>> 正式の漢字の国名とは関連がないかもしれない呼び名である,
>> という線すら考えられるのかな。

>> 「高天原」を「たかまのはら」と読むのは,
>> それが元々,「たか + あまのはら」だからでしょう。

>> 大野説によると,タミル語の amar が,日本語の「あま」と対応し,
>> 「天国」の意。大野晋著『日本語の起源』(岩波新書)第187頁以降参照。

>> この amar という語は,内容から見て,かなり魅力的です。

>> 一方,日本語の「たか」については,同書第164頁によると,
>> タミル語に taka を語根とする語があり,
>> これは「高い」「立派な」「貴重な」などの意味なので,そのまんま通じます。

>> というわけで,タミル語とは対応して何故か脈があります。

なるほど、それはすごく興味のある話ですね。
インド起源の言葉だとすると組み立て直さなければなりませんかね。

>> >> スサノオが高天原を追放されて新羅に降臨し、その後出雲に渡る。

>> 素戔鳴尊は思い余って,天に参上する,あるいは高天原へ向かう,
>> という話の筋ですから,元は何処に居たのか,と改めて考えてみると,
>> 高天原に居たとは考えずらいでしょう。

素戔鳴尊は根の国を治めるように言われてそれを拒否し「母の国に行きたい」と言っていたそうですが母の国とは何処だったのでしょう。
新羅だったんでしょうか?それとも出雲?
母の国は新羅ですかね?

>> >> ニニギは出雲が反映している様子を見て大国主に国譲りを迫っておいて九州に降臨したというのも変です。

>>
>> 「国譲りをせまった」のは,ニニギの命ではないです。その祖母の代です。

それはわかっていますけど出雲が国譲りを承諾した時点で出雲に降臨するのは当然なのに何故九州に降臨したかという事です。

>> その辺りの謎解きは重大なので,機会あれば様子を見て書き込みます。
>> #もっとも,その辺りを書き込まないと,邪馬台国大論争にならないな。

>> >> 高天原を高句麗とすれば、スサノオは高句麗を追われ新羅にのがれ、新羅から日本に来た。
>> >> 初めは山陰地方にいたがニギハヤヒの代になって畿内に入った。
>> >> と考えるとすごく納得がいくのです。

>> それで,元は何処にいて何処から来たか,という話になると,
>> これを強いて牛頭説ふうに推理するならば,
>> 高句麗系(?)のスサノヲ人格が日本の高天原に侵入したが追い返され,
>> 新羅へ後退したものの再び山陰方面へ来たものか,とかなんとか,
>> そういう組み立てになるはずのものかもしれませんネ。

なかなか面白いですね。

>> >> 「あまのはら」は海でしたっけ。
>> >> ついでに私は「はら」は朝鮮語の「フル」と同義で国とか都を表しているのではないか。
>> >> 「あまのはら」は海の国、海の都ではないかと。


>> 「海」として「たかまのはら(高天原/高天之原)」と対置されている言葉は,
>> 「うなばら(海原)」「あをうなはら(滄海原/滄海之原)」などでしょう。

>> 前掲書巻末の対応語一覧第14頁に,日本語の Faruka(遥か)に対応するタミル語として,
>> Para を当てており,その意味は,「遠くひろがっている」とあります。

>> これだけでは何とも分かりませんが,
>> 天と海とは,「遠くひろがっている」ようすが似ているかもしれませんね。
>> つまり,「はら」とは「遠くひろがっている」ようすのことかな,とかの推理。

半島南部にも北九州にも同じ倭人が住んでいたので同じタミル語が影響を与えていた可能性はあるでしょうね。

「はら」は九州では「paru」、「baru」とも。

しかし、日本で「原」の地名の入っている所は「遠くひろがっている」ような場所なんでしょうか?
どうもそのようには思えません。

一方に「はら」と近い言葉でモンゴル語「うら」を起源とする「ふる(赤)」という言葉が朝鮮にあり、畿内人はこれを理解できていた。



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