元の発言 [ Re: Title楽浪土器 ] お名前 [ キムイルボン ] 日付 [ 8月20日(火)08時13分49秒 ]
>> 東アジアの共時性と申し上げたが、これは漢の版図と周辺域の意味です。わが国がこれと関連して大きな謎があるのは
>> (1)戦略物資ともいえる銅鏡を何故かくも大量にわが国に供出したのか。
日本が弥生時代を迎える頃、韓半島は鉄器時代に入り銅製品は実用品としての地位を失っていました。
武器としても農耕器具としても鉄には全くかないませんから。
重要な戦略物資だったのは鉄だったのではないでしょうか。
銅製品で実用に供されるのは鏡しかなかった。
中国でも韓半島でも青銅は大量に余っていたと思われます。
その結果日本に銅製品が大量輸出された。
北九州では銅だけでなく鉄も入ってきたけれど鉄は畿内までは入らなかった。
やはり戦略物資である鉄は北九州が独占しようとしたのかもしれません。
銅はどうでもよかったので畿内にも沢山入ったのでしょう。
この銅を使って大きな銅鐸が作ったのでしょう。
>> (2)それほど強力な倭国連合と共闘して対峙しなくてはならなかった狗奴国とは、国際的にどのような同盟、連盟関係を持っていたのか。邪馬台国主導倭国連合との共闘は魏にどのような国益をあたえたのか。
魏にとってのメリットは「中国で三国がそれぞれ漢の正統な後継を主張し争っている時、遠方の倭が魏を正統な後継と認め朝貢してきた。
遥か東夷の国も認める魏の正当性は揺るぎないのだ。」と主張できる事です。
軍事的にはさほどのメリットは無かったでしょう。
あえて言えば韓国を属国として統治する上で韓国の反乱を抑える重石として利用する事でしょうか。
現実には韓国の反乱が起きて役に立ちませんでしたが
>> (3)邪馬台国主導倭国連合100年史の前後、すなわち、奴国の没落、4世紀半ばの半島南部の旧三韓の独立国樹立、5世紀の倭の5王(河内王朝)の半島、大陸との具体的関連。
>> 以上を考えるとわが国の古代史は東アジアの歴史と切り離して考えることはできない。
その通りですね。
素人では中々東アジアの歴史を把握する事は大変ですが魏志東夷伝には当時の韓半島の情勢が判るように書いてあります。
>> 呉カードをちらつかせたのは倭人よりむしろ、弁韓、辰韓あたりか。この辺が筑紫、南海道沿いの海洋族経由伊勢湾、山陰、北陸、琵琶湖経由経由東海勢力、銅鐸宗教政治体制から銅鏡宗教政治体制の押し付けを受けた勢力と、水稲不適地帯の大連合、この連合体の司祭者的指導者がヒミキコ(多分アマテラスのプロトタイプ、邪馬台国初代天皇崇神の派遣するヒコイマス討伐軍によって誅殺後宗教儀式、神話、系図は全て横領されたのでは)、女性のヒミコ的存在がヒキメ、世俗的行政の長がクガチヒコ(別名乃至は後継者乃至は副官にクガミミ)、そういった狗奴国を後押ししたのではないか。(崇神王朝はあまりにもドラスティックなヒミコ体制への国内の不満派を懐柔するため旧狗奴国へ倭姫を回した。式年遷宮の始まり。)これに対して邪馬台国主導倭国連合は魏の冊封を受け、黄幢のもとに全国制覇の作戦に出た。魏のほうには高句麗牽制の狙いもあったのだろうか。
>> ・・・・てなことを素人考えで想像してます。 σ(^_^;)?
なるほど、文献や考古学的に裏付けが取れるように資料集めなどをして見てはいかがでしょう。
私も一つの空想から出発して調べていくと私の想像もあながち間違いともいえないと言える位の裏付けが取れました。
文献などはネットで検索すると素人でもかなり見つける事が出来ます。
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