箸墓にこだわるのはわかる気がしますが

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [8月23日(金)00時31分38秒]

元の発言 [ Re: Title楽浪土器 - 前後しますが ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 8月22日(木)23時44分21秒 ]

割り込み失礼します。
馬頭鬼です。お久しぶりです。

>> 初めから箸墓を卑弥呼の墓と決め付け、取るに足らない証拠を掻き集めて逮捕し検察に不利な証拠は無視する見たいな事をしている?
>> 冤罪の典型的パターンです。

>> >> >箸墓の周濠からは底の方から木製の輪鐙が発掘されま>したがこれはすごく重要な発見であるにもかかわらず>あまり話題になりませんでした。
>> >> >これは古墳時代の始まりを繰り上げようとする一連の>動きに水を注す物だったからです。
>> >> >倭人伝にも倭国には馬がいないと書いてあるのですか>ら。日本で馬の飼育が始まったのは5世紀と言われて>います。
>> >> >3世紀半ばにしたい箸墓からでてきてはいけない物だ>ったのです。
>> >> >しかしさすが公の機関である橿原考古学研究所はこれ>を隠す事はしなかった。
>> >> >ただ一切の論評を加えずひっそりと発表しました。

どうも、気になるのですが、なぜ、前方後円墳にこだわるのでしょうか?
箸墓に拘りたいのも解らなくないのです。
伝説と言い、どうしても代表にしてしまうのでしょう。
しかし、私は、古墳時代の発生とは、前方後円墳が造られてから区分ではないと考えます。

どちらかと言うと、弥生の国々に円墳や方墳が作られはじめたのが、
古墳時代と言うものだと思います。

そして、それに前方後円墳というエポックメーキングな形が加わった。
方墳は方形周壕墓の流れから、円墳は、塚からの流れでしょう。

そう考えるのが、自然でしょう。
そして、以前にあった、前方後円墳の形は家であると言うのもうなずける説です。
また、帆立貝なんかの貝の形と言うのもです。

理由は、貝とは不死の象徴であることが伝説にもあります。
また貝は、女性器の象徴です。再生を願うのにはふさわしいでしょう。
そして、沖縄の墓の形、これは、女性の子宮をかたどっているそうです。
この形が変化してもおかしくはないでしょう。
エジプトのアンクが、元はサンダルの形の変化であると利いた事がありますから。

すると、突然に、前方後円墳ができて古墳時代というのと卑弥呼の時代を合わせるのも、
おかしいのではないでしょうか?

つまり、それ以前から古墳時代だとも考えなければおかしくなります。

>> スサノオの伝説も馬の存在を考えると5世紀頃の逸話でしょう。
>> モモソ姫が箸でホトを突いて自殺と言うのも3世紀に箸はなかった(手食)と倭人伝に書いてあり、3世紀の話では無いことになります。

この箸とはどんな箸でしょう?
縄文時代から、いちお、箸はあります。
それは、一本箸でピンセットのようにつかむものです。
神に供えるものに使われてたと言うのが、現在の学説のようです。

またその時代、渡来人であれば、箸を使っていてもおかしくはないかもしれません。

>> >> >しかし箸墓が三世紀半ば築造の線はほぼなくなりまし>た。
>> >> >4世紀半ばないし4世紀後半と言うのがまっとうな回>答でしょう。
>> >> >そして古墳時代の始まりも以前どおり4世紀初めとい>うのが正しいのではないでしょうか?

>> >> 箸墓にはスケール的存在感があり、古墳の全体的ランキングといった点から、いわゆるベンチマーク的存在にもなっており、この年代を動かすことはパラダイムシフト的なことを意味しますので、総合的アプローチを要する問題と認識せざるを得ません。

賛成です。
しかし古墳の年代測定の正確な方法が確立できなければ、難しいでしょう。

弥生時代の始まりからの第1期戦国時代これの終了は、大和朝廷の統一までと考えるべきでしょう。

ここ時代における。卑弥呼の意味は?
そして、古墳築造の意義この戦国時代に対する役割とは、何なんでしょう?


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