元の発言 [ Re: 箸墓にこだわるのはわかる気がしますが ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 8月24日(土)00時47分08秒 ]
>> 「國大人皆四五婦、下戸或二三婦」「國多女子」というのも戦乱の後遺症でしょうか。
>> 戦いの為、男の数が少なくなっていた?
当時の男女別の人口比率は知りませんが,
戦乱その他の理由から,男性の平均年齢は低かったかもしれませんね。
いずれにしろ,「國大人皆四五婦、下戸或二三婦」という表現だけでは,
なんとも言えません。印象からくる思い込み記事かもしれませんから。
「國多女子」のたぐいの情報については,岩波文庫版の解説には,後漢書等による造作か,
と読める個所があります。が,どう解釈したらよいのか,よく分かりません。
>> 直後からというのは無理でしょう。
>> 戦いが終わってもしばらくは再発の恐れがあり疑心暗鬼の状態が続く筈です。
>> どちらかの一方的勝利と言うことでなく卑弥呼を実権のない王に祭り上げる事で妥協した訳ですから。
その妥協が,倭国の連合を強くし,そのまま,のちの大和政権に発展したものか,
と推理する場合には,前方後円墳の起源は遡る,という組み立てになるでしょう。
勝山古墳年輪年代の仮説を,安本説のように組むならば,勿論,成立しがたいか。
あるいは,上で指摘した岩波文庫版の解説によると,「桓・霊の間」というのは,
後漢書の造作で,魏志倭人伝に明記されているわけではない,ということになります。
が,これも,どう解釈したらよいのか,よく分かりません。
>> 砦を築くとか環濠を補修する方が先でしょう。
しかし,狗奴国戦の直後に,卑弥呼が死んで,それで「大作冢」とあるわけですから。
>> 台与が4世紀まで生きのびていれば可能性は無くもありませんね。
というか,あの説,この説あるうちで,仮説を組み立てるという場合,
箸墓については3世紀後半説というものもあるわけで,
その線に沿っての話です。
安本説のように,350年以降で仮説を組むならば,勿論,成立しがたいでしょう。
>> 天孫族の姫じゃないですよね。出雲との関係が強いですね。
日本書紀によると,天孫族でしょう。
いずれも天孫族であることが神話の要点ですね。
ミホツヒメは,高皇産霊尊が,「大物主神は,うちの娘を妻とせよ」という,
大物主神との婚姻という話の筋で登場します。
日本書紀を読んでいると,卑弥呼とはミホツヒメのことかな,
と思われる印象が少し生じたりなんかします。
大物主神との婚姻ということになっていますが,ミホツヒメの場合,
独身のまま女王として担ぐ,担がせた,ということがないとは言えません。
高皇産霊尊は,「大己貴神は,神事を司れ」と言い,
天孫族が現実の政治を司る,という取り決めです。
天孫族は,まず,出雲の大己貴神を屈服し,その権威からくる号令によって,
大和の大物主神の一派に命じて,ミホツヒメを女王として共立することに同意させ,
政治の実権は,天孫族が握ったものか,といった組み立て。
# いろいろ示唆するところが多いです。
この場合,東に天下った彼らは,いわゆる邪馬台国派で,
南に天下ったニニギの尊〜神武系譜は,狗奴国を避けて南に下りたのか,
狗奴国を懐柔・征圧する役割であったのか,それとも狗奴国そのものであるのか,
といった構図も考えていますが,いまだ推理中です。
なんて。§^。^§
モモソヒメは,孝霊天皇の娘です。
それと,大物主神は,出雲とは関係が深かいわけですが,
一応,大和の三輪山が拠点らしいです。
記紀の場合,いろいろな人物を,その属す共同体や一族の主に投影して表現する,
という傾向もあるでしょう。
>> 東征の主体が何処にあったのかまではまだ考えがまとまっていません。
北部九州勢による「東征」があったなら,という仮設であり,定かではありません。
が,記紀によると,北部九州の天孫勢が,「天孫降臨」に先立ち,
出雲・畿内を懐柔・征圧していったという伝承があるわけです。
「北部九州の天孫勢」といっても,半島南部からの「天孫派帰還部隊」かもしれません。
その辺りについては,いろいろ考えています。
いずれにしろ,神武東遷とか神武東征とかの伝承とは,分けて考えるべきです。
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