Re: Title楽浪土器

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [8月23日(金)23時41分51秒]

元の発言 [ Re: Title楽浪土器 ] お名前 [ ALEX ] 日付 [ 8月23日(金)21時33分29秒 ]

いつもお世話になっています。

>> >> しかし箸墓が三世紀半ば築造の線はほぼなくなりました。
>> >> 4世紀半ばないし4世紀後半と言うのがまっとうな回答でしょう。
>> >> そして古墳時代の始まりも以前どおり4世紀初めというのが正しいのではないでしょうか?

>>
>> # なんでそんな論理性のない結論をなんども繰り返すのか理解に苦しみます。

>>  これまで考えられていた馬具登場の年代にむりやり布留1を合わせても、土器編年のスケールが併行にずれるのですから、他の不整合が増えるだけです。
>>  ですから結論は、発見者はじめほとんど全ての研究者が考えるように、馬具の登場が繰り上がるだけなのです。

>>  他の遺物にあっても中国色濃厚な布留1の状況を鑑みれば、単発的に中国から馬具が持ち込まれていて何の不自然さもありません。

箸墓から見つかった輪鐙は実用品で多分一般の農耕民の使ったものでしょう。
使い古して壊れて廃棄されたものだと思われます。
つまり畿内の王族などが例外的に鐙だけを持っていたのでもなく、中国や韓半島から1、2頭のだけ馬を献上されて乗られていたとも考えられないのです。

>>  はっきり言って、箸墓三世紀半ば築造の線がなくなったと考えるような考古学者は皆無でしょう。まるで根拠がないのですから。

http://www2.begin.or.jp/sakura/topix10.htm
大半の考古学者は4世紀はじめと言っているようです。
「馬の到来が50年以上遡る可能性が出てきたと。」
輪鐙が4世紀初めの物と考えても箸墓の周濠の2,30年分積もった土のなかに埋まっていたと言うことはどのように強弁しても
三世紀末にしかならないでしょう。
大半の学者が三世紀半ばでなく末と考えている事になります。
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/hakkutu/011201.htm
一方、置田雅昭・天理大教授(考古学)は「馬具は五世紀の代表的遺物。古過ぎる」と困惑。

http://home.catv.ne.jp/dd/yamatai/katudou/kiroku198.htm
安本さんは4世紀末とおっしゃっています。

http://home.catv.ne.jp/dd/yamatai/tousennsetu/hasihaka.htm
箸墓古墳の築造年代を、さきに紹介した関川尚功氏は、四世紀中ごろのものとする。



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