Re: 箸墓にこだわるのはわかる気がしますが

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [8月26日(月)08時18分37秒]

元の発言 [ Re: 箸墓にこだわるのはわかる気がしますが ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 8月26日(月)07時00分23秒 ]

>> それはおくとしても,いくらか趣旨が外れていませんか。

考古学者の多くが自説に有利だとする材料、つまり古墳や住居跡、土器、青銅器といった考古学的史料は、考え方や視点によってどうとでも言えるのだ、ということである。

>> >> 記紀神話については色々と解釈は可能ですが。

>>
>> というわけで,

>> ここでの趣旨は,ミホツヒメは九州にいたか,出雲にいたか,と,
>> そのような見方もできるので,九州か畿内か,と論争があるなら,
>> 矛盾を解決するには都合のよい存在かもしれない,ということです。


>> >> 箸とか機織りとか馬とか三世紀に存在しなかった物が神話の中にあるということはその話は三世紀ではないと言う推測が出来ます。

>> 神話における位相の分析は楽しいものです。
>> 世界的に普遍性のある神話的要素などが見出されたりしますから。

ま、神話をベースに歴史の全体像を組み立てるのは無理と言う事です。

>> 外交とか貿易とか,その他の要素も必要でしょう。

このスレッドの趣旨は
<http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/lib/wrk/2000a_41.html#4

>>「これらの日本出土楽浪土器は、器形や胎土・焼成などが、平壌市・楽浪土城のそれ〔谷1984・1985・1986〕よりも洗練されているようである。
>> つまり、通常の生活用土器ではなく、選ばれた土器だけが搬入されるような状況が想定される。」
>>「今のところ、可能性の高い数例を除けば、確実に弥生中期に遡る楽浪瓦質土器の例はなく、また、弥生後期以降の出土例は
>>対馬・壱岐・北部九州に集中している。」

>> つまり、朝貢に対する返礼として下賜された(選ばれた)土器が対馬・壱岐・北部九州にしかなく、漢や公孫氏に朝貢していたの
>>はこれらの地域であるといえるのではないでしょうか。

>> 一方畿内では弥生後期には三韓瓦質土器と三韓軟質土器が多い。
>>もちろんこれらの土器が北九州に来ていない訳ではなく畿内より濃く出るので畿内にはおこぼれとして移入された物と考えられます。
>>そして質の高い楽浪瓦質土器は畿内までは伝えられない。

>>畿内派が幾ら古墳の始まった時期を繰り上げようと土器の発掘例からして邪馬台国が畿内にあった可能性は少ないといえるのではないでしょうか。>

という所から出発しているのでここにこだわります。
畿内は弥生時代末期も大陸と交易をしていなかった。
(選ばれた)楽浪土器が存在する国だけが楽浪に朝貢をしていた。
『今使譯所通三十國』に畿内は含まれていない。
というものです。



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