「丹」は魏の皇帝から卑弥呼に贈られるほど貴重なものだったようです。
代表的な「丹」を産出する山は徳島県の若杉山遺跡で、この遺跡は九州よりも畿内に近いということと、この遺跡から出土する東阿波型土器が畿内全域で見られることから畿内説を唱える人の中には有力な証拠としている方もおるようです。
僕的に言わせてもらうと、「山持っとるくらいなら魏からわざわざもらわんでもええやん」と思うんですが、皆さんは「丹」というものをどうとらえていらっしゃるのでしょうか?
あと、吉野ヶ里で発見された人骨には「丹」が大量に塗られたものもあるそうなんですが、この「丹」も徳島のものなんでしょうか?
九州では「丹」を出す山はなかったのでしょうか?
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