齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1004-10

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp

  
スタッフの日々

 

齋藤助産院のふつうの日々

2015年12月27日(日)

 《 クリスマスプレゼント。 》 

☆私が育った所(岩手県釜石市)は、リアス式海岸で山と山にはさまれたせま〜い平地に小さな川が海まで流れていて、私はよく山の遊びに行くのが好きでした。小学校の4,5年生の時だったと思いますが、一人で山道を登って行くと、2人の外人(スイス人の宣教師)が下りてくるのに会いました。山の上にある開拓部落にクリスマスの訪問に行った帰りだと言って「メリークリスマス!」と話しかけてきて「12月25日は救い主イエスキリストが生まれた日です。あなたにキリストの福音をプレゼントします。」と言って一枚のチラシをプレゼントしてくれました。私は枯れ野の山の道で突然外国の人に話しかけられ、とてもびっくり。そしてプレゼントとして渡された一枚のチラシが大事なものに思えました。クリスマスというものが普通の家にはまだ馴染みのない頃で、教科書に載っていたフランシスコ・ザビエルみたいな2人連れからもらった一枚のチラシはわくわくするプレゼントでした。

☆6,7年前に産褥入院でしばらく助産院ですごしたことのあるミーちゃんが、来年小学校に入るRくんを連れて来て、すご〜くいっぱい(20個かもっと!)のぬいぐるみをプレゼントしてくれました。ミーちゃんが来るのも本当に久しぶりでうれしかったけれど、自称「UFOキャッチャーの名人」の戦利品(?)という沢山のぬいぐるみは妖怪ウオッチのキャラクターやスヌーピー、抱きまくら等、子ども達の大好きなものばかり。助産院の子ども達や入院中の家族たちも大喜びで「いいの?」と言いながら嬉しそうに抱きかかえて帰りました。

☆今入院中のKさんの5歳になるお兄ちゃんのM君にはサンタさんは絵本をプレゼントしてくれたとのこと。本当は妖怪ウオッチのXXX(妖怪メダルを入れる腕時計?)が欲しかったけど、でも絵本もとっても気に入ったとのこと。M君におじちゃん(夫)が「パパとママはどんな事がうれしいの?」と聞いたら、「パパはスターウオーズの映画を見ることで、ママは....」ちょっと考えてから「ママはボクが言うのははずかしいけどボクが生まれたこと。」と答えました。とてもおしゃべりが楽しいM君ですが、この答えには私も夫もホンワカしました。

☆12月は10人のお母さんが助産院で「宝物」を抱きました。あったかくてやわらかい元気に泣く生き物の感触はきっと一番うれしいプレゼントだったことでしょう。そして助産院で産む予定だったのに別の所でそれぞれに赤ちゃんに会えたお母さんも一番のプレゼントをもらったことでしょう。サンタさん、私たちを幸せにしてくれてありがとう!

(齋藤弓子)

2015年11月27日(金)

 《 お産カーニバルと11月のお産。 》 

 

☆11月3日、「どうなることやら....」と心配していた、1年お休みのお産カーニバルも、参加者が子どもも含めて300人も来て下さって、大人もいろいろ勉強し、子どもも園庭でいろんなゲームで盛り上がり、とても楽しいお祭りになりました。助産院でお産した方や、おっぱいに通われていた方も「平塚でやる」ということで来てくれて、久しぶりに同窓会状態。なつかしくて嬉しかったです。当日はお産もなく、スタッフの熊ちゃんが臨月で留守番してくれていたので、呼び出しもなく、私はパン屋さんの売り子をしたり、あちこち覗き見をしたり....。受付の人達も忙しいながら講演を聞けて、幼稚園ということで「狭いかな...」と心配していましたが、その狭さがかえって良かったナという感じでした。来年は鎌倉・藤沢方面とか、その次は茅ヶ崎とか...近場で借りることのできる幼稚園のような所があればできるかな....と思いました。

☆スタッフの熊ちゃんは上の子のお産がなかなか大変で、降りてきてくれなくて病院送りとなり、その後もNICUに入ったりして心配しましたが、今回は11月6日のお昼過ぎに御安産で女の子を産みました。当日は朝から「陣痛かな?」ということでしたが午前中は里山公園を歩きまわり、帰って来た時はいい感じに陣痛が進んでいました。その後お風呂に入り、パパやツバサくんはもちろん、非番のスタッフも駆けつけて、中々姦しい中でのお産でした。ツバサくんに良く似て可愛いハーフです。外来の妊婦さんやおっぱい相談のお客さんも、大きなお腹で働いている熊ちゃんを気遣っていましたので、とても喜んでくれました。

☆11月のお産は当初10人の予定でしたが、逆子が直らなかったり、新生児に投与している薬を「飲ませたくない」として去っていった人がいたりして、8人になりました。今日現在あと1人、予定日を過ぎた人が陣痛を待っています。でも12月初めの人達もそろそろ「産みたいモード」に入っているので、月末ぎりぎりは賑やかになるかも知れません。

☆私は白内障の手術をしたので、夜は星空がきれいに見え、車の運転も以前はあぶない(信号が3ツに見えたり...)時もあったのですが良い感じになり、少し気分が上向きです。今年の前半に減少したお産の数も少し回復ぎみで、助産院の経営も何とかなりそうです。日々いらしてくださる皆様にていねいに助産婦としてお仕事させていただくことが一番大事と思っています。

(齋藤弓子)

2015年10月27日(火)

 《 お産カーニバル。 》 

 

☆朝5時半、早起きの「つばさくん」をオンブして朝の散歩に出かけました。ママの「クマちゃん」は夜勤、臨月のお腹で夜は4kg超えの赤ちゃんのお世話でがんばっていました。老化防止の為、1日1回は歩くようにしていますが、ケチな私は「只、歩く」というのはもったいない気がしていつもだれかオンブしたり乳母車を押したりして歩いています。秋も深まり、枯れ葉やドングリの清掃も大変ですが、夜の寒さに草花たちも心なしか元気がありません。もうじき霜も降りるでしょう。景色が一変する季節もそう遠くないようです。

☆スタッフは今、お産カーニバルの準備に大わらわです。あちこち連絡したり、看板の準備をしたり、リサイクルの仕分けをしたりしています。そういえばこの時期になるといろんな人がリサイクル品を持ってきてくれます。主におっぱい相談やお産で見えた方達ですが、思い出いっぱいのお洋服や実用品まで、3階の倉庫に上げてもすぐ次の荷物が届きます。「久しぶり」「大きくなったね」「元気してた?」玄関先でのこんなやりとりも楽しいひとときです。私は又、おでん屋さん(みそおでん)をやるつもりですが、当日入院さんがいるとご飯も作らなくてはいけないし、お産もあるかも知れないし...で、いつも通りちょっとあわただしい1日になりそうです。会場の平塚は、今は私はあまり行きませんが、数年前までは銀河大橋を超えてよくバイクで仕事に行きました。当日もバイクで行く予定です。楽しみです。

☆10月のお産はお兄ちゃんやお姉ちゃんたちがいっぱい。3人目、4人目、5人目とにぎやかな家族達でした。「何人産んでも痛いものは痛いね」と言いながら産痛を受け入れ、赤ちゃんの誕生をみんなで喜んでくれています。そしてお父さんたちも仕事をやりくりして子ども達の面倒をよくみてくれています。子どもと遊ぶのがとても上手です。お父さんの力はとても大事ですね。

(齋藤弓子)

2015年9月23日(水)

 《 初秋のショック。 》 

 

☆「やめてくれ!」という程の暑い暑い夏も、暦どおりにお盆あたりには少し涼しくなり、おまけに台風が来たり、雨続きだったりで、あっという間に秋になってしまいました。今日は「シルバーウイーク」の最終日。お天気に恵まれ、世の中はすごい人出らしい。私はもっぱら「留守番」で、入院の方が一人いるだけで、助産院はすご〜い静かです。いつもの助産院の賑やかさが信じられない程です。「草むしりをしなくてはいけないな〜」と思いつつも外はすごい蚊で、ちょっと出ても10ケ所くらい刺されてしまうのでつい後込みしてしまいます。でも農家の人に聞くと「刺されるけど慣れる」と平気そうなので、やっぱりがんばろう(明日は)と思います。

☆私の助産院では外国語を話せる人はあまりいませんが、時々外国の方のお産を手伝うことがあります。大体はパートナーや友人を介したり、片言の英語などで何とかなっていることが多いのですが、今月初めの自宅出産でちょっとトラブルがありました。産後3日目の訪問を終えた夕方、「もう来ないでくれ」と夫(日本人)から突然の電話がありました。「今日の訪問ケアのせいで奥さんが怒って混乱している」ということでした。どういうことかと訪問したスタッフに聞いてもキツネにつつまれたような感じで「普通に3日目のケアをして帰って来ました。おっぱいはバンバンだったのであまり刺激しないようにして。1時間ちょっと滞在して笑顔で別れました。何だか疲れているようだな〜とは思いましたけど...」とのこと。ご主人は上のお子さんのお迎えでいらっしゃらなかったそうです。ご主人が産後は家事をするということでしたが、上に小さな子どもが2人おり、なかなかゆっくり体を休めて養生するという状態はなかったのかもしれません。それに加えて3日目はおっぱいもすっきりしない人が多く、授乳間隔も短く、よく眠れません。言葉の問題がなければ、いろいろ助産婦に訴えて話せることも出来たでしょうが、その「グチ」のはけ口がありません。いろいろ溜まってピークだったのでしょうか。その他、ご主人には私たちが薬の使用で法律違反をしているという誤解もあり、「ちゃんとした説明がつかなければしかるべき所へ訴える」とまで言われてしまいました。私たちは間違ったことはしていないつもりでも、家族の受けとめ方や、置かれている状態によっていろいろ難しいんだな〜と考えさせられた事でした。もちろん言葉の壁もありますが、コミュニケーション(相手を理解する)という事は日本人どうしでも難しい時がありますね。

(齋藤弓子)

2015年8月7日(金)

 《 助産院の「見守り隊」。 》  

☆娘さんの母乳外来のつきそいで見えていた方がキッチンの亀を「ステキ」とほめてくれました。今はクルマの鍵入れに使っていますが、自宅出産のSさんからもらってきたものです。10年以上前になるでしょうか。彼女は猫の絵を描いたり、お皿や小さいものをいっぱい作る人でした。亀さんはその中でも一番のケッサクで、今になって「タダでもらうようなものではなかったかも」と時折申し訳ない気持ちになることがあります。37歳で初産。しかしすごいパワーの持ち主で、見事なアクティブバースで女の子を産んでしまいました。そばで私たちはペチャクチャおしゃべりをしていただけのような気がします。背中に「立て!立つんだジョー!」と大きく書かれた大きなTシャツを着ていました。

☆玄関にやはり鋳物で作られた深みどり色の花びんがあります。私がかってに「エッヘン妊婦さん」と名付けたものです。これはここで生まれた赤ちゃんのおじいちゃんの作品です。道中途の若いカップルに出来た赤ちゃんですが、「育てられない」と中絶のことも考えて苦しんでいた妊婦さんにおばあちゃんになる方が「産んでちょうだい。みんなで育てましょう。」と言ってくれてこの助産院に来ました。口数少ない方で、お産も安産で、自分のことをほとんど話すこともなく退院されましたが、入院中に赤ちゃんのお父さんが一度来ました。数日後にカナダ留学のため日本を去ることになっていました。あまり泣かない赤ちゃんだったのですが、彼が帰る時にめずらしく大きな声で泣いていました。つかの間の家族は今はそれぞれどんな暮らしをしているのでしょうか。「エッヘン妊婦さん」今日は庭の白いアジサイを頭にさして立っています。

☆階段の途中にぶらさがっているサル(ゴリラ?)はミャンマーのやしの実を加工して作ったみやげものです。やはり奥さんがここで3人のうち2人を産んだミャンマー人のMさんがくださったものです。まわりのお星様のリースはやはり自宅出産のMさん(イギリス人)が社長をしているグローバルビレッジで買いました。

☆廊下やパソコンにくっついている「見守りクン」は次女のダンナ様が作りました。ひつじだかウサギだか、ひっそりとしていますが実は彼等の着ているものはヨーロッパの古い布。ダテ男なんです。バッグや「シュシュ」などを売っているデパートではあまり売れなかったそうですが、写真家の宮崎さんはとてもほめてくれて「出すところが違っていたのよ」と言っていました。

☆最後に、ダイニングにムダに大きく育っているパキラは別名「臍帯の木」。希望されて長いまま臍帯を持って帰る時に、この木にかけておきます。手袋で作ったオサルさんが二匹登っていますが、これはスタッフの作品。一時、軍手で人形を作るのが流行りました。また、各部屋にリボンをつけてころころ居る色軍手のうさぎさん人形は保育スタッフの浅井さんが作ってくれました。

☆いろんなもの、いろいろな人たちがお客様をお待ちしています。忙しい時などあまりていねいに応対できないかもしれませんが、用事のある方もない方も是非一度遊びにきてください。見守り隊も待っています。

☆それからそれから、1年お休みした「お産カーニバル」今年は開催できることになりました。平塚の二葉幼稚園というところで、平塚の駅から歩いて行ける、教会のとなりの幼稚園です。屋根の十字架をめざして来てくださると分かります。幼稚園の御好意に感謝です。日にちは11月3日、「いいお産の日」です。そしてさっそく講演の講師の一人が決まりました。桜美林大学の山口創先生です。「愛のホルモン」オキシトシンと子育てのことを中心にお話していただこうかなと思っています。恒例の湘南鎌倉総合病院の井上裕美先生も参加の予定です。それ以外は何も決まっていませんが、大あわてで実行委員をつのり決めていかなくてはなりません。出だしが遅かったので大変です。でも楽しいことなのでがんばりましょう。みなさん、11月3日は空けておいてくださいね。

(齋藤弓子)

2015年7月7日(火)

 《 六月の日々。 》 

 

☆6月のお産は6人でした。一度早産か(?)と思う程の定期的な張りで病院に行った方が、無事もどって来ることができて、39週でフツーにお産になり、お姉ちゃんと母子入院されて帰りました。

☆自宅出産のAさんは38週でお産になり、予想よりとても小さい赤ちゃんだったので、すぐに助産院に来てもらい、ママも含めてスタッフ一同一生懸命あたためて、飲ませて、5日目には泣き声も一人前になり、体重も生下時にもどり、元気に退院しました。帰る時、高山産婦人科で診てもらい「元気!元気!」と先生にお墨付きをもらい、お母さんもホッとしたようです。

☆一番気掛かりだったTさんは、健診の時、お産のリハーサルで前のお産のことを話していて泣いてしまいました。早いお産だったわりに会陰の奥の方が大きくさけてしまい、出血多量で、痛みも数カ月続いたそうです。「こわい、こわい」と思うと普段でもたまらなく辛くなるというので、お守りに「レスキュー」というレメデイーを「辛い時、シュッシュすると乗り越えられそうな気がするよ」と言って渡しました。実際のお産の時は普通に全開、破水し、お母さんは産もうとしているのにあまりお尻の方に来ません。いろいろ姿勢を変えて、四つん這いでぐっと降りて来ましたが、肛門と会陰の間がピカピカに盛り上がって真っ白。まるでそこが裂けて赤ちゃんが出てきそうです。あわてて左向きに寝てもらったところ、赤ちゃんの頭のパワーもちょっと方向を変えたらしく、それから数回のいきみできれいに(切れずに)生まれてくれました。お母さんもレスキューを使いながら冷静に体を動かして、上手に産んでくれました。念のため点滴はしましたが、産後の回復も良く、本人も「乗り越えた感」があったようです。私たちもいいお手伝いが出来たかナと思います。

☆また、十何年ぶりかにお産に臨んだ人もいました。18歳で最初の子を産み、2人の男の子を働きながら育てていましたが、新しいパートナーとの間に男の子が生まれました。パパはもちろんずっと付いていましたが、生まれる時に、上のお兄ちゃん達(高校生と中学生)を呼びました。となりの部屋にいたお兄ちゃん達はお母さんの声が変わると、お母さんの傍に来て新しい命の誕生を待ちました。赤ちゃんが生まれた瞬間、「男の子だね」と言うと家族で顔を見合わせて軽く笑っていました。お母さんの満ち足りた笑顔が忘れられません。

☆思いがけず出血が多かったり、退院した後、お熱が出て高山先生のお世話になった方もいたけれど、概ね順調に経過したと思います。7月のお産は予定では中旬からです。赤ちゃんのエコーの結果、病院行きになったり、お母さんの体のグレーゾーンで病院になった人が4人もいました。でも、みんな病院で元気に生まれ出て欲しいです。そして見せに来てね。

☆私は7月の初め、46年以上も前の学生時代のサークルの同窓会がありました。お互い、おじいちゃん、おばあちゃんになっているので、最初の10分くらいは「???」でしたが、すぐに打ち解けて昔話に花が咲きました。足腰が達者なうちに皆に会いたかったので、一区切りついたようで嬉しかったです。これもお産が少なくなったおかげかなと思います。今までは遠出は落ちつかなかったけれど、今回は全然心配しませんでした。

(齋藤弓子)

2015年6月3日(水)

 《 五月の日々。 》 

 

☆5月はとても気持ちのいい日々が続いていました。(ちょっと暑いくらいの日もあって、台風は来たけれど...)5月2日に開かれた「さんばテント」では池本チアリさんの「性のおはなし」、妊婦さんのマッサージケア教室、お灸教室などが好評で、お天気にも恵まれて、100人くらいの方が来て下さいました。里山公園の「鯉のぼり」を見がてらの参加の方も多かったようです。リサイクル品もだいぶんさばけてすっきりしました。でもいろいろ持って来てもらったので、屋根裏の倉庫はまだまだ売りたいものがいっぱいです。ベッドやベビーバス等、数台集まったままです。保存状態もとても良いので、欲しい方は助産院まで連絡いただけるとありがたいです。ここで産んだ人や子供達同志も久しぶりに会えて、お話も盛り上がったようでとても良かったです。

☆このところ、ちょっと嬉しい電話が続いています。30〜20年前のおっぱいやお産のお客様が「娘が妊娠したの(赤ちゃん生まれたの)、サイトウさんお仕事まだやってる?」と電話をくれてしばしおしゃべりです。「あの時の赤ちゃんがもうお母さん!」と思うと自分が年をとったことは忘れて不思議な気分です。あの時お母さんが悩みながらいっしょうけんめい育てたからみんないい娘です。本当に感慨深いものがあります。

☆もともと5月のお産の予定は20日過ぎからだったので、4月半ばから1ヶ月泊まり込みの実習生さん達が帰ったあとは、夜は夫と二人だけの日もあり、そんな日は「居酒屋オユミ」でゆっくり夕ご飯です。「待つのが仕事」と言いながら「待ってるだけで寝ちゃうヨ」とグチをこぼしたりしていました。でも22日に2人生まれてからは順調に計4人が生まれ、別に産褥入院もあり、いつも通り賑やかな助産院になりました。初めてのお産の方が00時ころ助産院に到着し6時前に出産しました。とても順調でしたがずっと吐き続けて(胆汁までも)いたので、立ち会ったご主人は「これで安産??」と目を丸くしていました。でも本人は産後入院中「次の子は...」なんて言っていましたので順調なお産だったのでしょう。(直後に「次は...」とは考えられない人の方が多いですよネ。)7月からはお産も少しづつ増えてくるので、ちょっとホッとしています。

(齋藤弓子)

2015年4月29日(水)

 《 春。 》 

 

☆桜も終ったな...若葉もきれいだな...とながめていたらアッという間に4月も末になってしまいました。畑の雑草もグングン伸びて、29日は終日、庭師さんが入り、夕方にはきれいになりました。残してもらったダイコンの白い花が風にゆれています。

☆5月2日は「国際助産師の日(本来は5月5日ですが)」の記念イベントで、リサイクルバザー(さんばテント)や講演会、お灸やタッチケアの講習会を予定しています。みなさんにいっぱい来てもらったら助産院も喜ぶと思います。私のカレーやみそおでん、スタッフのワッフル、クッキー等の軽食も用意して待っています。晴れてたら外にシートを敷いて食事するのも楽しいかな。近くの里山公園ではコイもいっぱい泳いでいます。

☆スタッフが「助産院の日々に色んな人のいろんなお産を書いたらみんな見てくれると思うよ」というので「そうか...」と待ちかまえているのですが、3,4,5,6月はもともと予約のお産が少なく、来る日も来る日も「今日も何もなかったね。今晩は??」と聞くスタッフに「たぶん誰も来ないよ」と答える日々でした。そんな少ないお産の中で.....

☆予定日を1週間過ぎていたOさんの御主人から「破水したら赤ちゃんが生まれちゃった」と電話があったのは4月17日(金)のお昼すぎ。ちょうど午前中健診で内診し、3cmくらい開いていて産道もやわらかく「今日、明日にはうまれるね」と言ったばかり。でも本格的には陣痛という状態ではなかったので「一度帰りま〜す」と帰られたばかりでした。赤ちゃんの元気な泣き声も聞こえていたので「よく拭いて、あっためていてね。お尻の下にバスタオルやらを敷いて待っていてください。30分くらいで着きます」。お家の位置を確かめて、スタッフ2名で出動。1時間後に元気な赤ちゃんとママをゲットして帰って来ました。「なるべく痛くないように」と願っていたママの願い通り、強い陣痛は数回だけだったそうです。すごいね。シュミレーションしていた通りに上手に産めたようです。

☆その次のお産は4月23日。その日、2人目のお母さんと初めてのお母さんが、夜中の1時とお昼の11時半くらいに生まれました。2人目のお母さんは、1人目が促進剤で4時間半と早かったので、「陣痛だと思ったらすぐに来てね」と言っていたのですが、実際は22日の朝に来て、午前中はけっこういい感じに進んでいたのですが、午後からは「アレッ?」と思う程陣痛がなくなってしまい、夜になり上のお子さんを寝かしつけてから本格的な陣痛が来て、日付が変わって23日に入りすぐ生まれました。生まれてみれば「朝のアレは前駆陣痛だった」ということになりましたが、途中は色々気をもんでしまいました。でも上のお子さんもぐっすり眠っていてくれて、お母さん的にはいい時間だったと思います。

☆初産婦さんの方は自宅希望で平塚でした。夜中にスタッフが2度呼ばれ、破水したら羊水が濁っていたので助産院に移動することになり、結果助産院で生まれました。でも助産院に着いてからはとても順調でした。

☆そして4月28日に生まれたのも初産婦さんでした。夜中の零時過ぎて入院した時は3〜4cm開いていましたが、全身ガチガチで2〜3分間歇の陣痛でした。身体も容易には動かない程でしたが、お風呂に入ったらリラックスできていい感じになり、そのままどんどん進んで6時過ぎに生まれました。スムーズだったと思います。いい体位を自分で一生懸命考えて動いていました。.............以上、4人でも書く事はいっぱいありますね。

☆3,4月は断乳・卒乳の時期で、母乳相談も「4月から保育園、5月から仕事復帰」という方が多かったです。いよいよワーキングママの列車に乗らなければなりません。時間がどんどん過ぎていきます。ペースに乗るまで大変ですが、でも時々はゆったり子育ての時間にもどって、助産院にも遊びに来てくださいね。

(齋藤弓子)

2015年3月10日(火)

 《 お産が減っています。 》 

☆芹沢は今、梅の花が満開です。家々の庭にピンクの紅梅もかわいいですが、梅畑の白梅は霞みのように広がって、いよいよ春のきざしかな?と車を止めて眺めてしまいます(でも私は花粉が怖くて窓をあけないので、あのほのかな香をかぐことはできませんがネ)。播きそこなっている花の種をいつ播くか、天気もぐつついているのをいいことに、なかなか畑に出る決心がつきません。

☆長女が去年の6月に生まれた双児の孫と年長になる男の子を連れて遊びに来ていて、とても賑やかな1週間です。双児はちょっと人見知りするようになり、スタッフが抱っこしようとすると泣いたりします。四六時中どちらかが泣いていることも多く、すごく大きい赤ちゃん達なのでオンブも大変です。でも少しずつ成長しているのを見るのは嬉しいものです。

☆このごろ、助産院のお産が減っています。ここ数年、ご近所で開業するお医者さんが増えたり、新聞に助産院のニュースが載って慎重になっている方達もいるのでしょう。前に水中出産でレジオネラ菌による肺炎で赤ちゃん死亡のニュースが出た時も「水中はやめとく」という人が多くいました。個々のケースについては各々原因があり、一様に「水中は危険」「助産院は危険」と言われることは心外ですが、それよりも助産院の良さを知らない人や、「茅ヶ崎」ということで「遠い」と思っていたけれど来てみたら案外近かった(ここは藤沢北部、綾瀬、海老名等と隣接している)という人もいるので、広範囲に宣伝をして少しでもお産をしてくださる人を増やしたいと思います。スタッフもいろいろ頑張っているので、助産院でお産を経験した皆様にもお知り合いにどんどん伝えてくださると嬉しいです。口コミで見える方が多いです。

☆3月は2月の末の人が1週間遅れて生まれて、ゆっくり目のスタートです。2人目のお母さんでしたが、助産院に着いた時は1分間歇の陣痛で、着替えにモタモタしていたら胎胞がちょっと見えてて、あわてて「お湯!お湯」と温ったかタオルを用意して「赤ちゃんの袋がもう見えてるよ、感じて、感じて!開いて、開いて!」と言うと「ウンウン」とうなずいてとても上手に力を抜いて、着いて15分で3000gの女の子が誕生しました。パパが「ありがとう」とママに声をかけていました。私も色々考え込む日々だったのに嬉しくて、「やっていけるかな〜」という不安が一気に吹き飛ぶ思いでした。お産が少なくなっても、この瞬間を大事にして、「何とか(セツヤクして)やっていこう」と思いを新たにしました。

(齋藤弓子)

2015年2月28日(土)

 《 助産院18周年のおもちつき。 》 

☆2月14日は齋藤助産院が有床の施設として認められた日です。その日、助産院で1人の男の子が生まれました。前日に自宅で出産された人も「入院する」と言って来て、入院さん2人のにぎやかな出発でした。前の秋に引っ越して「入院室が1つでは重なった時困る」と洋室を作って、保健所や市役所や消防の検査が長引いてなかなか許可がおりず、時間切れになりそうでしたが何とか間に合いました。それから18年、その時生まれた男の子は今年大学に入学です。

☆何かお祝いのイベントをしたいナアと思っていたのですが、2週間くらい前になって「おもちつきをしたら」....ということになり、「ひかりの子」幼稚園から杵と臼を借りて、おまけに「段取りまかせて....」というMさんまで借りてトントン拍子に用意ができました。畑のダイコンを使って「トン汁」も150人分(後から100人分追加)作り、子供用のお菓子も山程用意し、とてもにぎやかで楽しい会になりました。おもちはプロ級のスタッフの竹中さんのお父さんと、お姉さんの御主人が主についてくれて、さすがなめらかで美味しい!終わりごろに太鼓演奏の村上さんも来てくれて大盛り上がり。あまり資金もいらないのでまたやりたいです。

☆2月はお産が少ないからのんびり出来そうということだったのに、10日くらいまで集中してバタバタと生まれ、「あれっ」という感じで寝不足ぎみで疲れましたが、後半はとても静かで、スタッフも「ブログのネタがない」とぼやいています。お祝いでスタッフから旅行券をもらいましたが、花粉症が始まり目も鼻も頭も一気におかしくなり、テンション低下でボーッと毎日を過ごしています。

(齋藤弓子)

2015年1月31日(土)

 《 今日で1月も終り。 》 

☆朝、お産がありました。来た時はもう全開で、20分くらいで生まれました。4kg超えの赤ちゃんです。破水から始まって、どんどん降りてきたようです。来月予定の人も少し生まれたので、今月は10人の出産です。でも2月は少なそうです。おまけに筋腫があって病院で産むことになった人や、胎盤の位置が低すぎて病院になった人、あと逆子が治らないかもの人も.....。でも生まれたら助産院にもどって来れるといいですね。助産院に帰って産後の生活を送りたいと希望する人が多いのですが、いろいろ検査すると色んなことが見つかりやっぱり帰れない、帰してくれない....ということも最近は多いです。

☆1月の家族入院は、上が男の子2人という方が2組いて、やっぱり2〜3歳児はパワーがすごいです。「今日は(下の助産院に)行かない、ママといる」と叫ぶ子を抱きかかえて車に乗せると大音響の泣き声で出発ですが、下に着くとケロリとして遊びだしているそうです。でも泣いたり喧嘩できたりしてストレスを発散できる子の方が溜め込まなくて元気のような気がします。

☆ここで生まれた子が小学生になり、「自分の生い立ち」をレポートするため、お母さんと一緒に来てくれました。「下の助産院」で生まれたので、下のお部屋を見たりしてから「上の助産院」にも寄ってくれました。1歳の時に肺炎で入院したこと、その時に心臓の不具合が見つかり、経過を見ていて、小学校に上がる時に手術したこと。東日本の震災の時は出張で遠くに居て保育園に預けていたのですごく心配したことなどを話すお母さん。もう今は元気に水泳もやっているそうです。助産院にとってある本人が生まれた時の家族の声を聞いて、とても嬉しそうでした。助産院を元気に退院した後、みんな色々な人生を生きているんだナアと実感しました。

(齋藤弓子)

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