齋藤助産院
電話:0467-54-8841 住所:神奈川県茅ヶ崎市 芹沢1409-9 メールアドレス: |
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鈴木家長女「予定日13日過ぎての出産」 5月25日12時3分 自宅和室にて |
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25日早朝、「ばちっ」と腹をけられて目覚めた鈴木浩子(37)は、その時破水したのも知らず、能天気に普段通り、朝食をもりもり食べた。前日夜、海岸にて”しこ”を踏んでいた時に既に感じていた子宮の収縮が、更に頻回になっており、『やっと産める!』と大喜びであった。(サーティーワンのアイスを買いに走らねば....ということばかり考えていました。・・・【注1】:けちな鈴木浩子は陣痛の時に、ごほうびとしてサーティーワンアイスを6種類食べながら、出産しようと計画を立てていました。) 予定日は5月12日であったので、2週間遅れると、病院に2日に1回通わなくてはいけないということで、浩子の頭には、通院費及び病院の分娩費が自宅分娩より15万円以上かかる!!ということばかり?浮かんでいた。本当は、我が子は腹の中で脂肪になってしまって死亡したのではないかと心配しておりました。元気に腹の中で動いていたのが救いでした。。。アホか。。。 で、陣痛3分間隔になり、助産婦さんに電話をしました。その後、風呂に入り、子宮の収縮のギュー!!というのがラクになるよう工夫しました。だんだん大声を出していないとつらくなった頃(とは言っても電話から20分後位)に助産婦さんが到着。すぐに風呂場に来て、私の脱肛が危ぶまれる肛門さまを大変な姿勢で押さえてくれていました。(後、ビデオで確認) もったいないことに、子宮口が開く吐き気で、朝食をもどしてしまい、それを機に風呂より出て、和室に移動しました。着ている服は、お産用に奮発して購入した『あしたのジョーTシャツ+半ズボンセット』500円。ちなみに、背中に「立て、立つんだジョー!」と書いてある紳士用XLサイズでした。 和室に行ってから、浩子は自分の世界に入り込み、大声を出して産道を開こうと必死でありましたが、後に到着したもう一人の助産婦さん、良(旦那)らの3人は、フツーに世間話などして談笑していました。途中で立ち上がりたくなった浩子は、立ち上がり、地の底から湧いてくる”いきみ感”を、これが、うわさのいきみなのねーとか考えつつも、けっこう大変でしたが、ちゃんとお産の進行に自分のしたい姿勢が合っていることにも、面白さを覚えました。 ものすごい!いきみ感を何度か感じた後、そろそろ頭が出て来そうということで、自分で見える姿勢(上図)になりました。頭が出てきてから1時間以上。。。その姿勢でいたようですが、浩子は意識がぶっとんでいたので時間の感覚はなかったのでした。で、潮が11:58に満潮だということで、「それを逃すと夕方になるわね...」と助産婦さんが話していて、浩子は頭の中で「このまま夕方まではたえられぬ....しかし、昼迄に産めば、昼ごはんがくえる」と考えました。で、思惑どおり、12:03頭、肩びょーんという感じで出てきました。すぐに腹の上にのせて、ガーゼでこすると、ふぎゃーーと泣きました。鈴木夫婦は、きっと感動して泣くと思っていたのですが、あまりに現実離れしていて、泣きませんでした。が、後ビデオで見ては、何度もうるうるしてしまう次第です。 DNAのせいか、ホルモンのせいか、多分両方だと思われるが、子供が出てきた瞬間、鈴木夫婦は親バカと化した。。。「びっくりしましたー!こんなはずではー!」(本人談) 鈴木浩子は若い頃から、「貧乏人の子沢山」だけにはなりたくないと考えていました。更に、アメリカのチャネラー(イタコ)に、「あなたの今回の人生に影響のある前世は『貧乏人の子沢山の女』で、自分の時間が全く無かった過去生だ」と言われました。それを聞いた時も、今回は絶対、自分勝手に生きていくー!!と決めており、子供の為に自分のやりたい事を我慢することなんてできないと思ってました。 しかし、子供が出てきた瞬間、その考えをやめました。(まあ、37才なので、どうがんばっても”子沢山”にはなれませんがね...。)貧乏人でも子沢山だったら、豊かではないの!!とはじめて気付いたのは、自分の子供は見ていて飽きず、たしかに宝だわーと知ったからなのでした。今頃「子宝」の意味が理解できました。 (「えぼ新聞(きまぐれ刊)2005年6月21日号」より転載しました。)
(お産の記念にいただきました)
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2005年5月 |