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《 11月は「お産カーニバル」の月です。 》
☆今年のお産カーニバルは、毎年やっているこどものダンスが無かったので、参加人数が少ないことが予想されたが、大人の記帳人数で100人以上の参加者があった。実行委員もいつもはお客さんの対応に忙しく、実際に講演など自分達が企画しても聴けないことの方が多かったが、今回は実行委員もじっくり講演を聴いたり、いろんなパフォーマンスを見れて良かったという感想が多かった。私も宇梶さんのお話がきけて良かった。野山や海の食べ物のハナシも面白かったが、講演後、本にサインしながら話すことがとてもユニークで、笑いながら「いい話がきけたナ」という気がした。もう一人の講演者の井上裕美先生は、毎年お産の話をされていて、参加者も期待されているのだが、始まる前はいつも「江ノ島の橋の上で渋滞!」「パソコンが...プロジェクターの調子が悪い...」といったトラブルで実行委員が右往左往することが多い。今回もプロジェクターが動かず、実行委員が青い顔で走りまわっている。「困ったナ」と思いながらキカイのことは分からないのでウロウロしていると、井上先生の奥様に会った。(カーニバルでお菓子のお店を出している)。「プロジェクターが動かなくて大変なことになってるみたいです」と言うと、「あ」「いつものことですね」とあっさり。「さすが...」です。実行委員のご主人が診てくれて間もなく何事もなかったように講演がはじまりました。ああ、良かった!
☆お産カーニバルも来年は15回目。今回は主軸になってやっている実行委員のご主人が転勤が決まり、年末には関西に行かれるとのこと。本人もびっくりの展開だったらしいのですが、私たちも心細いかぎりです。お産の情報を発信しつづけていた「リボーン」も終り、母と子のより良い出産環境について学べる場、考える場が少なくなっているのかナと不安になることもありますが、小さな力でも「お産カーニバル」を続けていくことは、新しいお母さんやお父さんにとって大事なことかなと思います。来年もやれるかな?15回目。
☆11月のお産は9件。そのうち4人が初産でした。お一人は破水からはじまって陣痛も強くならず嘔吐があり、赤ちゃんがなかなか下がってくれず、子宮口も3〜4cmくらいで、陣痛がはじまって15時間くらいで湘南鎌倉総合病院に行きました。翌日、ご家族の希望もあり促進はせずに帝王切開になったそうです。本人的には友人たちも安産で数時間で産んでいるので「自分も...」という気持ちだったようです。でも赤ちゃんが元気で良かったです。また別の人で、自分達でお店(ごはんやワイン)をきりもりしている妊婦さんも2人いました。2人ともとても元気で、ひとりは予定日まで働いていたようです。さすがに夜の仕事なので大変だったと思いますが、陣痛がはじまってからは強い陣痛のおかげでスムーズに進んでくれて良かったです。さらにもう一人は入院してからが経産婦さん並みのスピードで、ちょうど日曜日で人手が足りず、休みのスタッフにも来てもらいアタフタしてしまいました。3人とも出血も傷も少なく、産後もスムーズでした。色々ありますね。
(齋藤弓子)
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《 旅行、旅行の..... 秋。 》
☆日に日に秋も深まり、富士山も雪景色。ここから見る丹沢、大山、富士山の姿は、特に陽がのぼる前と沈む前後はしみじみと美しい。日中はまだ汗ばむ日もあるけど、朝夕はけっこう冷えるので、風邪ひきさんも増えてきた。扇風機も片付けないと....と思いつつまだ出したまデス。(倉庫がリサイクル品でいっぱい。11月18日のお産カーニバルまで続々集まっています。)
☆10月のお産は8件。1日、13日とあった後、20日以降に集中したので真ん中がヒ〜マ。助産院のお客さんの減少も月平均7〜8件くらいあればギリギリ何とかやっていけそうという見通しがついた。おまけに10月から夫は年金がもらえることになったので、何となく心が豊かになり(単純!)「こんな所に行ってみたいなあ」と新聞の付録の冊子を見ていたら、スタッフの伊能さんが「どこですか」とパチパチ...パソコンで調べて「二泊三日、レンタカーとホテル付きで37000円」でどうですか〜....ということで、夫と二人で道東へ。六花亭の広い庭や美術館。そして予定外のコテージに泊まり、翌日は帯広から然別湖(途中の紅葉がきれい)へ、戻って夜の帯広でたらふく飲んで食べました。翌日は池田町へ。もうシーズンオフで閉店していた牧場の森のレストランでコーヒーをいただき、十勝ワインの工場「ワイン城」へ。案内のツアーに入り、私たちも池田の人たちのワイン作りの苦労を知り、ワインの味も深くなりそうです。そして帰ってきました。北海道は広い、広い。そして厳しい自然との戦い。でも未来に夢をもって頑張っている人達がいっぱいいる所だ....と思いました。毎日温泉に入っていたので夏の疲れもとれ、お父さんもだいぶ元気になったと思います。
☆10月26日〜28日までホノルルで開催されたオダンの"Mid-Pacific Conference"には夫も含めてスタッフ5人が参加しました。英語ができなくても、講演には通訳がつくよ、詳しいことは分からなくても自然な出産にたずさわる世界のいろんな人に会えるだけでもすごいよ、と送り出しました。その間に、1日に3人も生まれる日があって、24時間以上も眠れない日があったり、家族入院でいっぱいご飯を作らなくてはいけなかったり、体力的にはきつかったけど、残留組に手伝ってもらってがんばりました。わりと前ぶれが長くて1日とか2日とかよく張るけど、肝心のもの(陣痛)がいまいち弱い〜いつになるかナア〜と思っていると急にいい声が出だして短時間で生まれた....というケースが多かったです。最後にハワイ組が帰ってきてから、前のお産の不安が強く病院でもいろいろチェックの入っていた人が、2人目、「安産」で生まれました。妊娠中からヨガ教室に通い、不安をのりこえられるようがんばった成果だと思いました。産後もいい表情をしていて、妊娠中はいろいろ心配したけど本当に良い結果で安心しました。ハワイ会議の模様は11月18日(日)お産カーニバルで掲示しますので皆様ぜひお立ち寄り下さい。
(齋藤弓子)
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《 ようやく..... 秋。 》
☆9月のお産は15人でした。14人は経産婦さんで、1人初産の方がいました。初産の方は破水から始まり心配しましたが、破水後1日過ぎくらいから少しずつ不規則な陣痛がはじまり、本格的になってから夕方に来て夕ご飯を少し食べ、一晩かけて朝4時に小さめの女の子が生まれました。おっぱいが良く出て赤ちゃんも大きくなってきました。順調です。
☆9月は今回が「7人目」「6人目」「5人目」というベテランお母さんのお産がありました。「3人目でもてんてこまいなのに....」と、あるお母さんが聞いたら「自然に.....」増えてたと答えたそうです。見ていると上の子が下の子の面倒をみて、下の子も上の子の言うことを聞いて、ガチャガチャした感じがありません。子供なりの社会が出来ているのでしょうか。お産も「受けいれてる」という感じで、こちらも「出そう?」とか聞いても「まだですヨ」とか言われながらのんびり付き合う事ができました。昔の人は12人も産んで大変だったろうナアと思うけど、人って実はそのくらい産むように出来ているのかもね。
☆今、私は「つるかめ助産院」をみるのを楽しみにしています。夜10時は起きていられないので(必死で1回だけみましたが...)スタッフが録画したDVDで見たり、ゆーちゅーぶで見たりしていましたが切れやすいので、6回目からは有料ので(オンデマンドというやつ)見ることができました。助産院の仕事の部分ではいろいろつっこみを入れながら、ある意味参考になるナアと思ったり、何で皆が沖縄の島が好きなのか分かるなあと思いながら、風景やら人の話やらを楽しませてもらっています。あと2回で終りますが、1回につき3回くらい見ています。
(齋藤弓子)
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《 とにかくアツイ夏。 》
☆今年はとにかく暑かった(ですねー)。下の助産院が夏休みの子ども達でにぎやかになる頃、急激に気温上昇。朝から30度。スタッフは首からタオルをぶらさげて汗を拭きフキおっぱいマッサージ!ここは夏は風が通って個室以外はあまり冷房しなくても良かったのですが今年は風もない!エアコンに頼る日々でした。早く涼しくなってくれー。
☆そんな中、学校の先生でここで赤ちゃんを産んだママが、3人も10年目研修にみえました。「社会見学」ということで、パン屋さん等にも行かれるそうです。これからまだ増えるかも...という子育て真っ最中のSさんや、私も会うのはチョー久しぶりのAさん、助産院で産んだ娘さんはもう14歳!...と様々でした、おっぱい相談の赤ちゃんを抱っこして「いやされる〜」自分が赤ちゃんを産んだ場所(下の助産院ですが)には特別の想いがあるようです。そして「助産院の運気がアップする」ように、トイレやお風呂や玄関やキッチンを新品のようにみがきあげてくれました。スタッフ一同そのすごさにビックリ。今後は心を入れかえてお掃除に勤しもうとカタく決心いたしました。
☆8月は10人生まれました。思えば3月後半ころは8月の予定が1人もいなくてすごく心配していたら、その後から次々予約の入った人達です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。家族入院もあるので、お産があるとキッチンも大忙しです。買ってきた食材があっという間になくなります。食材にはこだわっているので、メニューを工夫しないと食費が大変です。ない頭をしぼっています。こんな時、4人の食い気いっぱいの子供達を育てた経験が役に立っているようです。あまりの暑さに庭仕事をさぼり草ボーボーです。これから頑張って「花とみどり」の助産院にむけて「草むしり」からはじめます。熱中症になって救急車を呼ばないよう気をつけます。
(齋藤弓子)
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《 ケーティ旋風と嘱託医療機関の異変。 》
☆6月、7月と実習で助産院に滞在していたケーティ(Kayti)さんはとても楽しい人だった。カリフォルニアで看護師の資格のいらない助産師の養成が始まったのは10年くらい前らしいです。ケーティも普通に大学を出て、日本の中学校で英会話の先生をやっていたようです。でも元々、お産の時に傍にいて産婦さんを助ける仕事がしたかったので、いろいろあってアメリカに帰国してから(30代半ば)、ドゥーラ(Doula)をやりながら3年コースの助産の学校に入学したのです。世界中の情報を沢山持っていて、論理的で、その上、魔女のように自然治癒力を高めるブレンドティーやホメオパシーにも詳しく、そして行動的でおちゃめできれい好きでした。アイスクリームが大好きで、冷蔵庫にはスイカバー。子供達がベランダでプールをしていたらケーティが水着でジャーンとあらわれて「まわるプールだぞ!」と大はしゃぎ。こどもプールで泳ぐ大人をはじめて見ました。妊婦さん達にもおっぱいマッサージにみえたお母さん達にも大人気で、時々東北弁らしい日本語の入った会話は親しみやすく楽しいものでした。お産の実習の時、最初はブルーのオペ着のようなものを着て、頼もしい雰囲気でしたが、段々ここの花柄エプロンスタイルに変わり、ここのやり方にも馴染んだようです。でもアメリカの産婦さんにとってはどうかな?下の助産院から朝日の中、歩いてきて、午前中は一緒に仕事をし、お昼はみんなとワイワイ食べ、夕方は自分の手料理を作り、里山を散歩し、21時には寝て、お産を待っていたケーティ。ある日突然にあらわれ、ある日、私たちの日常から消えてしまいました。今、サンディエゴの乾いた風の中、アメリカ人しているようです。フシギです。
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☆嘱託医・嘱託医療機関になっていただいている茅ヶ崎徳州会病院で、辻堂(藤沢)徳州会への移転の中で、7月に産科の2人の先生が去られ(皆ビックリがっかりの事件です)、急きょ嘱託医を湘南鎌倉総合病院の方になってもらいました。ありがたいです。茅ヶ崎徳州会には今まで妊婦健診や緊急の搬送でお世話になってきました。頼りにしていただけに残念です。助産所の存続はこの嘱託医制度に大きくかかっています。税金で大変なことになったり、お産が減ったり、嘱託医・嘱託医療機関のことで悩んだり....ちょっとつらい状態なのは「片づけをちゃんとしないから」だとケーティが言いました。彼女も色々あって落ち込んでいる時、友人のアドバイスで身辺整理をしたら、仕事が来たり日常が前向きに動きだしたそうです。彼女が住んでいた下の家の2階は私の子供達が住んでいた時の本や作品や洋服がいっぱいで、冷蔵庫には不思議なものが残っていたりして時間が止まっている......彼女は私にそれを慎重に、重大に、説明してくれたので、私は東の魔女の忠告に従い、最近は整理整頓を心がけています。昨日はスタッフの押し入れを整理。子供の作品やら、もらったリサイクル品やおみやげの山でした。狭いことは狭いけど、なんとか有効な使い方もあるのではないかなと思案中です。
(齋藤弓子)
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《 6月は国際交流の月。 》
☆6月のお産は3件でした。多分ヒマで、お金の心配をしてため息をついているだろうナアと思っていましたが、日本語(時々東北弁?)を話せるアメリカ人助産学生のケーティ(Kayti)さんがご主人のルーカスさん(彼は6月29日に帰国)と一緒にやって来て、井本助産院と齋藤助産院でホームバースと助産院の実習をすることになりました。二人は下の助産院の2階に住んで、お昼は皆で食べて、午後はその時残っている助産婦がEnglish Lesson! ルーカス先生と、8年間くらい宮城県に住んでいたケーティ先生に1時間くらい、会話のレッスンを受けました。助産院の子ども達も「ハロー」「See you」と普通にご挨拶できるようになりました。日常生活に外人がいるってスゴイです。おまけにブラジルからマイーラ(Mayra)さんという助産婦さんがBirth Around the Worldというプロジェクトの旅の途中で、19日〜23日まで滞在。彼女は母国語がポルトガル語、英語も話しますが、日本語は全く分からないので、老夫婦二人で夜はどうしようか?と心配しました。イザとなったらケーティに「何と言ってるの?」と電話すればいいや位の状態で、ちょっと心細かったです。昼は英語が話せる井本さんとケーティと一緒にホームバース先に行ったり、湘南鎌倉総合病院に行って見学していたようです。私たちもインタビューされました。帰る日の朝にお産があり、入院とすれ違いに帰ったのですが、立ち会えなかったことを残念がっていました。
☆6月29日にルーカスさんが帰国することになり、28日にスタッフや子ども達とファミレスで夕食を食べ、子ども達がルーカスさんに歌ったり踊ったりをプレゼント。ルーカスさんも嬉しかったようです。7月のお産、ケーティがんばってね!
☆5月に亡くなった私の長兄の本葬が釜石であり、6月始めに名古屋の姉と姉の娘の3人で行きました。盛岡の弟の所に泊まり、釜石まで一緒に行く途中では、弟と子供時代のことに話がはずみ楽しかったです。私の母は子育てにはあまり熱心な方ではなかったので、この母違いの姉(その頃もう大人)に面倒をみてもらい可愛がってもらいました。法事が済み、花巻温泉で旅館に泊まってゆっくりし、バラ園で咲き始めのバラをみて帰ってきました。また姉と旅ができるといいと思います。弟も姉に長生きしてもらいたいと言っていました。とてもいい6月でした。
(齋藤弓子)
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《 色々あった5月が終りました。 》
☆明日から6月。いつの間にか陽射しが強くなり、初夏の気配が漂っています。
☆5月5日は「国際助産師の日」です。茅ヶ崎助産婦会では、この日に毎年、ベビーマッサージやヨガ教室などをやっていましたが、今年は慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの一番大きなθ(シータ)館を借りて、ドキュメンタリー映画「生まれる」の無料上映会をしました。茅ヶ崎助産婦会では、ここ十数年、ベビーマッサージ教室を月1回のペースで開催していますが、担当している吉本助産婦が「お金が少したまったので、誕生や命を考える映画会をやりたい」と発案し、実現しました。思い付いてから時間がなかったので、会場さがしや機材の調達など大変だったようですが、慶応大学に別々の学科で計8年も在籍したクマちゃんのつながり等もあり、一番いい所で開けたと思います。当日、私は助産院の留守番で、「バイクで何回か行ってみるヨ」と言ったのですが、前日の大雨の後でバイクがなかなか動いてくれず、代わりに乗った電動自転車は電池切れで坂が登れず、別の意味で「苦労」しました。ようやくバイクが動いて、映画の終わりころ、のぞいてみました。キャンパスのあちこちに小さな子どもとお父さんが遊んでいたり、映画を見ている人も、立って赤ちゃんを抱っこしながら見ていたり、思い思いに同じ時間をゆったりとすごしている様子で、「生まれる」という映画を中心に、いい時間が持てているようでした。
☆5月の始めに私の一番上の兄が亡くなったので、急きょ仙台に行ったり、18日には千葉の浦安で日本助産師会の総会があり、厚生労働大臣表彰をもらいに行ったり....と、日帰りであわただしくすごしているうちに、「冬ごもり」に来ていた夫の母も山形に帰り、聖路加の学生さん2人も実習が終っていなくなり、入院のお客さんも1人とかで、いつも食事をいっぱい作るクセが抜けず、ついつい夕食が余ってしまうな〜と思っていたら。22日すぎからはバタバタと6人も生まれ、家族入院や面会の人も多く、今はとても賑やかです。お産も皆パワフル・スムーズで、ママも赤ちゃんも元気です。でも、もともと少なかった6月の4人のうち2人も5月に生まれてしまったので、6月は予定が2人になってしまいました。サビシー。
(齋藤弓子)
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《 ちょっぴり先が見えてきました。 》
☆まだか、まだかと待ちかねていた遅い桜も終り、緑の若葉が美しい季節です。畑ではスギナがグングン伸び、チューリップも見えなくなりそうな勢いです。
☆4月21日「さんばテント」には多数の皆様に御来場いただき、ありがとうございました。「お産カーニバル」の資金としても例年になくモウケも多かったのですが、「助産院、大丈夫かな」と心配してくださっている様子にも、大いに力づけられました。3月のはじめの時点で、8月の予約がゼロだったのですが、只今10件になり、なんとかなりそうです。9月も予約が10件入りました。ホッ。
☆秋に徳洲会が辻堂に新しい病院を建てて、産科は畳の部屋でフリースタイルもできるそうで、産む人にとってはいろいろ選択肢があって良いことだと思いますが、産む人は限られているので、こちらがわはナカナカ大変です。でも助産院でしか出来ないケアーもあるので、その中味で存在をアピールしていこうかなと思います。
☆不思議なことに母乳相談は増えており、助産院はいつもにぎやかです。母乳で子どもを育てたいお母さん達の受け皿はまだまだ足りないようですが、助産院の収入としてはお産1件には負けます。でもとてもやりがいのある大事な仕事です。疲れて不安いっぱいのお母さんが、何回か来るうちにだんだん明るい表情と自信をみせるようになると、とても嬉しいです。また、「お産は助産院ではちょっと...」「赤ちゃんはミルクだし...」「でもちょっと疲れるな...」と整体等にみえる方も、赤ちゃん連れで来てもゆっくりできるので、リピーターさんがけっこういます。お友達をさそって「子育てサロン(毎週水曜日)」に来たり、「助産院」って場は大事だよね。
(齋藤弓子)
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《 赤ちゃんたち、ありがとう。 》
☆歯の調子が悪く、胃が痛かったところに、今度の「お産減少」ショックでかなりマイっていたところ(お産も10日間くらい無かった)、3月22日〜24日の3日間で5人生まれ、助産院は急に賑やかになりました。今日は先に生まれた2人が退院なので、朝ごはんの後に記念撮影。夜に赤ちゃんを抱っこしていたら、それまで眠れなかったのに、ビーズクッションでゆっくり眠れました。赤ちゃんも安心して眠れて、相乗効果だったかな。
(齋藤弓子)
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《 またまた大変な出来事。 》
☆6月からお産がグッと少なくなりそうです。ここは月平均10件のお産で何とかやりくり出来ているのですが、6月の予定は4件しかなくて、7月は8件です。ここ1〜2年で近隣に大きな産院が数軒出来たことが影響しているようです。できたのは知っていたけれど、助産院に来る人とは違う層だろうナアと思っていました。でも、そうでもないようです。既存の産院はどこもかなり減少しているそうなので大変です。何とかしなければなりません。助産院としての独自の色...フリースタイルとか、ずっと助産婦がそばに付いていることとか...はもちろん今まで通りですが、これまでお断りしていた家族入院も受け入れようと思います。小さいお子様がお母さんと別れる時に大泣きされるのを見てきて心苦しく思っていましたが、これからは一緒に居られるようにしようと思います。助産院でお産されたみなさまにも助産院のお産のいい所を紹介してもらい、少しでもお客様を増やしていこうと思います。おっぱい相談も沢山のみなさんに来ていただいていますが、クチコミでの紹介よろしくお願い致します。
※ 家族入院の宿泊料金は特にいただきません。お子様、お父さんはパジャマ、歯ブラシを持って来て下さい。タオル類は助産院にあるものが使えます。お風呂にも入れます。 ※ 食事代は、お子様はお母さんの食事を分けますので料金はかかりません。お父さんは、食事代として、1食1500円程度をいただく予定です。もちろん持ち込み自由です。 |
(齋藤弓子)
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《 助産院は15歳。 》
☆2月14日は齋藤助産院の誕生日でした。それまでの十数年、細々と自宅出産と母乳相談はやってきましたが、有床の助産院として届け出た日です。そして下の助産院の和室で浅井さんちの「ひっち」が生まれた日です。その前の年の暮れの引っ越し、そして洋室の増築...とあわただしく過ごしているうちに、浅井ひろし君が生まれて、あわてて保健所に届け出、前日に自宅で生まれていた和田マリアさんも「齋藤さんちに入院する」と言って、まだベッドも入ってなかった洋室に布団を敷いて入院。ドタバタ、ドロナワ「助産院の日々」が始まりました。なつかしいなあ。皆、大きくなったことでしょう。
☆今年の2月はとても寒く、玄関の石油ストーブ1台では足りなくて、エアコンもつけてしまう日もありました。早く春が待ち遠しいけれど、畑に出ては縮み上がって帰ってきてしまうナンジャク者です。そして最後の29日は茅ヶ崎にしては大雪でした。芹沢まで上ってくるのは大変で、外来はキャンセル続き。でもスタッフは頑張って出勤。「コエーッ!」とか言いながら入ってきました。うるう年、赤ちゃんは生まれませんでした。
(齋藤弓子)
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《 1月はまるで同窓会のよう。 》
☆1月は元旦の日曜日、3時25分に入院、4時34分に分娩というお産から始まりました。上が双児のお姉ちゃん達で色々大変だったようですが、3番目の女の子はとてもすんなりと生まれてきてくれました。2人のお姉ちゃん達は妹の誕生をとても楽しみにしていましたが、「その瞬間」起こせなくてパパだけの立ち合いになってしまい、ママは残念がっていました。入院の5日間、パパがお仕事を休んで上の子のお世話をしてくれたので、ママは「双児を産んでから初めてゆっくり出来たような気がする」と退院の時、嬉しそうに話していたのが印象的でした。
☆初産婦さんも1月予定3人+2月予定の1人が生まれて合わせて4人、全員わりとスムーズなお産でした。しかし、お産をした初産婦さんたち自身は必ずしも「安産」と思ってない人が多く、あまりにも強すぎるお産のパワーにショックを受ける人もいます。でも、体の痛みが和らぎ、おっぱいも出てくる頃になると、だんだんお母さんの落ちついた顔になってきます。赤ちゃんパワーですかね。整体やら、やさしいおっぱいマッサージやら、ご飯やら、赤ちゃんと2人だけの時間やら、他のお母さんたちとのおしゃべりやら......みんな、みんな大事な時間です。
☆お出かけすることも多く、1月21日、夫の妹の長男(シンちゃん)が結婚のお披露目を仙台の秋保温泉ですることになり、めずらしく雪の積もった仙台で一泊しました。もうじき3歳になるうちの孫も、89歳のばあちゃんも一緒です。明け方、雪の落ちる音を聞きながら露天風呂に入りました。イオウの臭う湯煙の中、半分眠っているようないい時間でした。
☆1月23日は湘南鎌倉総合病院お産センター主催のミッシェル・オダンの講演会と自然なお産を手伝っている全国の諸先生方のお話とセッションがあり、夜はパーティでした。岡崎の吉村先生も見えました。湘南鎌倉の始めの頃、東北弁のおばちゃん助産婦が活躍し、「お産ですヨ」とTELすると井上先生が自転車でかけつけました。お産の数も少なく、のんびりしたものでした。今、お産センターで年間1000件以上のお産があるそうです。そして私たち助産院の搬送も引き受けています。パーティでは実行委員長が流暢な英語のスピーチで「世界のオダン」にメッセージを伝えていました。同じ助産婦として訳もなくホコリに思いました。翌24日、お昼ご飯を12時に出してびっくりされながら、東海大学へ。クルマで井本さんと一緒にオダンの追っかけです。「オキシトシン・ラブ」オダンの通訳は小貫大輔という先生です。学生たちの為の講演に私たち一般人(?)も参加させてくださったのです。普通の教室でしたが、参加者が多くて(予定の2倍位)椅子に座りきれず、学生たちは床に座ったりしていました。小貫先生の通訳はとてもすばらしく、オダンの言いたいことが良く分かりました。どうしたら私たちは野生の時代のホルモンをとりもどすことができるでしょうか。オダンは今年の秋にハワイでの学術集会にも来るそうです。小貫先生は長らくブラジルに居て、帝王切開率50パーセント近くの状態を何とかしようと10年前「光のプロジェクト」の国際会議を企画したメンバーの一人です。私は初めての外国で下痢でヘロヘロになりながら、楽しく勉強させてもらいました。
(齋藤弓子)
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