齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1409-9

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp

 

 

齋藤助産院のふつうの日々(2005年)

2005年12月14日(水)〜16日(金)

 《年の暮 (2) 》

☆12月14日、同時進行していた助産院の初産婦さん(前期破水、不規則な陣痛(?))と自宅出産の初産婦さん。夕方17時半ころドライブから帰った助産院で経過を見ていた初産婦さんの赤ちゃんの心音が陣痛の発作の時、ちょっと下がる。破水して丸2日たっているしGBS(内服中)だし、今晩たぶん陣痛が強くなった時の赤ちゃんの状態が心配だったので湘南鎌倉総合病院に行って診察を受けることにする。その前に自宅の方をみていてくれた井本さんに電話すると「そろそろ全開かも」と。夜手伝ってくれる雪田助産婦さんが来てくれたので行ってもらうことにする。助産院の方は空なので昼の助産婦さん達には帰ってもらう。19時ころ病院に着き、モニター。やはり発作時ちょっと下がる。でも赤ちゃんは胎動もありすごく元気。やはり子宮口は3cm位しか開いていない。羊水はきれいだし、CRPも今の所心配いらない。本人達は一旦助産院に帰り、様子みたい希望もあったが、安全をとり病院に残ることにした。「産んだら助産院に帰れるからね」と言うと、もう決心はついているものの「齋藤さんのところで産みたかった」と泣いてしまう。私も悲しいけど心の中で「でも大丈夫だよ」と別れる。20時過ぎタクシーで湘南台の自宅の方へ。もう発作時2-3cm、頭が見えてる、と雪田さん。井本さんは「あったかタオル」を絞る係でフーフー云ってる。産婦さんはベッドにもたれて座っているが疲労濃い顔つき。「疲れた、腰が痛い」という。「休みたい」。陣痛の発作の時、頭が少し見えるけれど肛門の方にはこない。「2-3回立ってみてそれから休むのはどう?」と提案する。立位のはがいじめポーズでグッと来る。5-6回陣痛をやりすごし3回目位で発露になり、自分で触ってみて赤ちゃんを実感。パッと顔が輝く。「もう会えるね」「もう産めるんだ」腰の痛みも弱まり、出口のみが痛い。あとはゆっくりとベッドに。夫に抱かれるポーズで21時30分、かわいい可愛いハーフの女の子が生まれた。もちろん当人達は感激の涙にくれているし、おばあちゃんおじいちゃんも写真とりまくり。私もなんだか今日はあっちこっち走っていただけだけど、すごくうれしかった。家に帰り、ちょっとホッとしながらも病院に送った方の経過が心配だったが休む。深夜2時前に電話「生まれました。あした助産院に帰っていいですか?」「アッ、モチロンモチロン」チョー安産だったらしい。よかったよかった、ウン本当に良かった。

☆12月15日、助産院で産む予定だった初産婦さんが帰って来た。かわいい女の子を抱っこしてる。15時過ぎだったけど昼ごはんを食べ、シャワーし、ゆっくり。ちょっと緊張してるかなー....。夜はぐっすり。赤ちゃんがパイパイといったらママの所に連れていく。

☆12月16日、朝、玄関に「あおりイカ」が5ハイも入った保冷箱を発見。「アッ、夫がアオリイカ釣ったんです。」ご主人が昨晩、趣味のつりに行って(満月の大潮です!!)釣ってきたらしい。1パイ500g以上ある見たこともない大物。朝ごはんに「イカソーメン」にして出しました。お世話になった湘南鎌倉のスタッフの皆さんにも食べさせたいナーと思いました。

(齋藤弓子)

2005年12月13日(火)

 《年の暮 (1) 》

☆大寒波が来てるそうで、石油ストーブにエアコンをつけても芹沢の夜は寒い。玄関のトネリコの木(魔女の木)がもう凍みついている。毎年冬になると寒さに弱って春の芽吹きが心配されていたけど、今年は防寒対策をしないと本当にアブなさそう。

☆12月4日「お産カーニバル」も子ども達が「オッサンカーニバル」と呼ぶ程、念仏のように助産婦さんたちも「オサンカーニバル」「オサンカーニバル」と連日取り組んで来たかいあって、今年もナカナカの盛況のうちに終わった。私は又またお産で、午後おでん屋さんをちょっとやっただけだったけど、実行委員のパパ達がすごく頑張っているのに「すごいナ」と思った。コーヒー屋さんをやったり、大道具屋さんに子守り屋さん、背中に自分の子供....。女性群は自分達が企画したのに、なかなか公演が聞けなかったりしたみたいだけど、リラクゼーションコーナーはちらちらスタッフTシャツの面々が手技を受けていた。みんなで子産み子育てのパワーを共有し、まだお腹の赤ちゃんとの生活に不安いっぱいかかえたお母さんお父さんには、少しの知恵と安心をおみやげにできたらうれしいよね。それにしても場所さがしは大変で、12月の体育館はやっぱり湘南でも寒い。なんとかならないものでしょうか。 

☆12月9日は恒例「星ヶ山コテージ」一泊の忘年会。お泊りの助産婦さんたちにお願いして午後3時すぎ助産院を出発!ところが井本助産婦さんはお産の真っ最中、「終わったらすぐ行くからごはん残してて、もうお風呂も入りたいし!」....でも残念でした。赤ちゃんは夜9時過ぎにうまれました。翌朝、朝風呂に入りにいったら井本さんが居てビックリ。朝、暗いうちに起きて車を走らせて来たようです。赤ちゃんは元気に生まれたし、朝焼けの湘南を走るのは気持ち良かったーと、制限時間ギリギリ入っていました。それから真鶴の海岸でカニ取りをして遊んで、「うに清」で船盛りのおさしみを食べ、子供も大人も底なしの食欲で食べきり、本当に楽しかったです。子供達も0才はいないので夜は皆よく寝てくれるようになったようです。「星ヶ山コテージ」は毎年行く度に何か出来ていて(今年は東屋とツリー風呂)楽しい所です。土地がいっぱいあっていいね。また来年皆で行けますように。

(齋藤弓子)

2005年11月13日(日)

 《いいお産の日in湘南「お産カーニバル」にむけて》

☆今年のお産カーニバルは12月4日に開催する。今年でもう7回目。東京で11月3日「いいお産の日」のイベントがはじまったのは今から11年前(1994年)、当時まだ小さかった金子さんの子ども2人(今は3人)を連れてのオンブに抱っこの参加だった。会場はもうお産のパワーがそのまま持ち込まれたように熱気ミンムンで、海外からの自然出産のエキスパートも来日し、目からウロコのような話で盛り上がり、日々の仕事のパワーをたっぷりもらった。そんな幸せな11月3日を3回すごした後、なにしろ大きなお腹をかかえた妊婦さんやグズる幼児をかかえたお母さんにとって東京は遠い。近くで気楽に参加できる「いいお産の日」をやりたい、やろうねということでお産カーニバルがはじまった。まず「いいお産の日」は産む、産まれる側の消費者運動である....ということが根本なので、助産院で産んだ人、また母乳相談にみえた人、整体にみえた人、またその友人たちが実行委員となり今年のお産カーニバルを作っていく。私たち助産婦会はまず予算を作る。あと会場との交渉やイベントの中味を煮つめたりを実行委員のお母さんたちとやっていく(お母さんたちの中には「この道」のプロが何人もいる)。予算つくりは大変だ。大きなイベントにリサイクル品を出して数万円の利益があった年もあったが、近年の価格破壊でなにしろ儲からない。売れない。ここ1、2年はいろんなもの(ベビーラップ、モーハウス、たんぽぽコーヒー)を売って少しずつたくわえているが、安く売っているのであまり利益は↑しない。それでも主婦助産婦たちの根気はすばらしく、こつこつためこんでいる。今年もどうやら予算は確保されたらしい。

☆今年最後のリサイクルの大きなイベントの里山公園のレインボーフェスティバル(11月13日)に参加、”一獲千金”をねらい、「みそおでん」を出すことにした。結果は惨敗!千食売るところを150食しか売れず、リサイクルで売れた分を補填してやっとトントン。私が言い出しっぺだっただけに皆さんに申し訳ない。「お店やさんやって楽しかったから良かったじゃないですか」とスタッフにはなぐさめてもらったけどね。

☆今年は寒くなるので講演は大ホールを借りた。500人収容なのでちょっと参加人数に比べ大きすぎるかもしれない。でもじっくり聞きたい人にはいいよね。あと例年どうり体育館も借りたから子ども達大歓迎です。「当日実行委員」も募集しているので「30分〜1時間くらいならちょっと手伝おうかな....」と思っていらっしゃる方、よろしく。せっかく企画したのに実行委員さん達が楽しめないのは残念だものね。私はいつも背中にいる子ども達が大きくなったので、今年はこりずに「こんにゃく売り」でもしようかな。少しはバンカイしなくちゃーね。けれどもお産カーニバルの日って例年お産があるんだよね。ちょうど”大潮”だし....。井本助産院もこの前後2件お産の予定が入っているらしい。

(齋藤弓子)

2005年10月29日(土)

 《疲れた.....》

☆ここ10日間はちょっと大変だった。母乳が吸えない・出ないということで産褥入院を希望されるお客様をお預かりした。ところが赤ちゃんを受け入れることが出来なくてすごく混乱状態にある方で、あげくは赤ちゃんにも危険な状態だった。私も巻き込まれてしまい「感情的にならないように」と夫にいわれても、はたして自分の決断は正しかったのか、お母さんに悪いことをしているのかな、だからこんなに責められるのかなとも思い、でも今は赤ちゃんを守りたい、守らなくては.....と頑張った。児童相談所と市民健康課とお父さんとの話し合いで、一時的に公的施設に赤ちゃんが収容された時は本当にホッとした。お母さんは早く気持ちの病院に行ってもらい、本当のお母さんになれる日が来ますように....お父さんも強くしっかり頑張って欲しい。

☆その間にも36週で破水し、しかも前日の病院の検診で赤ちゃんが推定1500gしかない初産婦さんと夜中に病院に行ったり(翌日、NICUのある病院に転院して帝切、1700gの男の子が生まれた)、もう一人、なんと36週ではじめて健診に来た方がびっくりする程の高血圧、浮腫、蛋白(重症の妊婦中毒症)で、徳州会にお願いして診てもらい、その日の内に帝王切開で6人目にしてはじめての男の子が生まれたり(でも2600gあって良かった)........1年に何件もない異常が続いた。フーッ。もっともその間、助産院ではユニークな初産の方と、元気なお兄ちゃんのいるママさんに女の子(お兄ちゃんは男の子を期待しててちょっとがっかり)が生まれたりと、いつも通りにぎやかにすごしていた。

☆今日はみんな退院し、しばらく入院もなさそう。今日だけは9人いるスタッフの子供達も「静かに!」と叱られることもなくハメをはずして大さわぎ。12月4日の「お産カーニバル」でダンスを踊る(曲は「パラシューター」)ので習ったところを踊ってみせてくれた。本当にかわいい。はじけるように楽しそうに踊っている。ちょっと体も疲れ、気持ちも↓だったので、子供達と一緒の時間が気分転換になったかな。

(齋藤弓子)

2005年10月2日(日)

 《一ヶ月14人も生まれる》

☆「すごい!」9月は14人も生まれた。1ヶ月10人位で予約をおさえているので、10月の4人が9月に生まれているのだ。ここ数カ月、3日がかりのお産もなくて、初産が予定日より早めでしかもスムーズ(教科書通り)。去年の8月、9月は時間のかかる初産が多かったけどね。

☆10月1日に看護学校時代の3年に一度の同窓会を楽しみにしていたので、その付近のお産の人が心配。新開さんも福岡から戻ってくれ、雪田さんという新開さんの後輩も手伝ってくれ、外のお産は井本さんがみてくれるし(昼はいつものうちのスタッフ)、留守は大丈夫だが、まさか陣痛まっさかりの人をおいて「行ってきまーす」はないもんね。旅行を控えた最後の週は5人も生まれ、10月1日当日の朝も6時過ぎ「気を使っていただいて?」男の子誕生!8時には無事旅行に出発する事が出来た。私たちのクラス50人、うち30人+先生1人が山形県月山の志津温泉つたやという旅館に集合。幹事が3年間通ったというだけあってナカナカのオヤド。(紅葉には早すぎた)それぞれそれなりに姿形は月日とともに変化しているが、会うなり旧姓や○○ちゃーん等と呼び合って、気分はオトメ。今年は夫が退職して家にいるようになり、ちょっと......という話題で盛り上がっていた。でもご主人を亡くされた方もおり、我が身におきかえてフクザツ。ほとんどが働いている割に昔のようには仕事の話はしなくなった。老親をかかえて仕事をやめた人や、仕事や家事をかかえながら老親の介護をしている人や、「もう終わった」という人、皆いつでも「働き者」でエネルギーにあふれている。

☆翌日は月山ネイチャーセンターという所に行った。大雨注意報が出ていたのに長靴を借りて傘をかぶって山に入った。ブナの原生林に連れていかれ、「大雨でなければ見られない」という「樹幹流」というのを見学した。葉っぱに降った雨が幹にあつまり流れとなって根元に伝わり、下の土がスポンジになってその水を貯えてくれる。ブナの幹に手をあててみたら、あまりにもいっぱいの水だったのでびっくり。ブナの木は数え切れないんだよ....自然の力ってすごいね、大きなダムがあるようなものだ。

☆日常は助産院の小さな世界にどっぷりつかっているので、新幹線に乗ったり、ブナの林に入ったり.....クラクラする程の感覚でした。ようやく帰り着いて荷物を置いたところで又、電話。「お腹が.......」?アッお産だ!

(齋藤弓子)

2005年9月4日(日)

ミニソフトはおいしいね!(9月に入ってもまだまだ暑い日が続きます)

《初産の自宅出産が2つ》

☆9月の始めに2人、初産婦さんの自宅出産をたのまれていた。一人は鎌倉、もう一人は平塚と離れていたのでちょっと心配だったが、井本助産婦さんに助けてもらいお受けすることにした。ひとりの方はホスピスの看護婦さんで、もう一人の方は元湘南鎌倉総合病院にもいた助産婦さん。二人とも同じ苗字なのが不思議。ホスピスの看護婦さんの方は前日朝の破水から始まり、明け方訪問、夕方から陣痛は来ていて一晩、夫婦だけですごしたらしい。静かに時間をすごし、最後はセミしぐれの大合唱の中、逆立位で発露、そのまま座って出産した。外からの風の気持ちいい光の中の出産だった。

☆今日は平塚の助産婦さんの出産。三人のお友だちの助産婦さんと、ご主人(湘南鎌倉総合病院でも研修していたお医者さん、今は内科)と私と井本さん。テレビでNHKが何か喋っていてカメラのシャッターの音がジージーして、とても楽し気でスムーズなお産だった。(そういえば洗濯機もまわっていた)小さな可愛い女の子が生まれた。良かったネ、おめでとう。

☆助産院では2日目と3日目のお母さんと赤ちゃん、昨晩は夜はあまり眠れなかったのに、上のお子さん達はパパの都合が悪く、助産院で遊んでいる。2人で仲良く遊んでいたのに、ちょっとしたことで2人とも泣き出した。お兄ちゃんとお姉ちゃんになり、それなりに頑張ってたんだね。いっぱい泣いて大きくなってね。

(齋藤弓子)

2005年7月30日(土)

☆ いよいよ夏休みに突入しました。助産院の小さな庭は、スタッフの子供達の水遊びの声でにぎわっています。全員スッポンポンなので訪れるお客さまにびっくりされたりすることもあります。

☆先日、42週2日で病院に行く朝、ようやく陣痛がきて来院したものの、弱まり、ウツラウツラしたり、お昼ご飯を食べて、お風呂に入り....と経過をみていた初産婦さんの赤ちゃんの心音が、夕方お腹が張ったあと弱まり、救急車を要請しました。このところ2週ギリギリ遅れ位でもわりとスンナリ産まれる人が多かったので、「羊水が少ない」「頭が高すぎ」「子宮口がなかなか開かない」と悪条件はあったものの、ギリギリにマイペースな陣痛がきてナゾのように生まれてくれるとイイナーと思いつつ経過をみていた所でした。心音の低下は1時間に1回位だったので、病院に行って経過をみてもらいながら、夜中、帝王切開になりました。赤ちゃんもお母さんも元気、とお父さんから電話をもらったのは翌日でした。ホッとしながら洗濯物を片付けに2階のベランダに上がっていると子供達の声が聞こえてきました。

 「キューキューシャが通ります、通ります、通ります。」

のどかな楽し気な声。思わず苦笑いをしてしまいました。出産は「日常生活の中で....」「ゆっくりと、のんびりと」「納得できる出産を....」というニーズにこたえつつ、また自分達の日常生活もすごしながら、母子の安全と安心を守っていくために、ウカウカ、ボケてなんかいられないナーと思ったことでした。

(齋藤弓子)

2005年6月25日(土)

☆ 今日は、助産婦の中島さんの結婚式で、張り切って5時前から朝昼のご飯の支度。OK。けばい化粧もして、持って行くものもお出かけ用のハンドバッグに入れて準備OK。そのとき電話「あのー、ちょっとお腹が痛いんです。」あっ、やばー!「どうぞ、どうぞいらして下さい」......赤ちゃんは確実に生まれ、結婚式はキャンセル。

☆今日はこれで終わりかなーと思ったら、6年前ここで生まれたせのちゃん家族が、ねもねものお家に来ているとのこと。久しぶりに、あの子育て上手のパパ、しっかりあやかちゃんにも会えて、長い長い一日だった。そのとき生まれたりんたろうもかっこ良い少年に育っていた。結婚式には行けなかったけど、可愛い赤ちゃんも生まれたし、せのちゃん家族にも会えて良かったよ。

(齋藤弓子)

2005年5月29日(日)

☆ 午後2時から助産院はピアノコンサート会場に変身!.....と言っても聴衆は助産院のいつものスタッフと子供達、それに今日生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんというこじんまりとしたもの。駒寄団地でピアノの先生をしている中山さんが、子供向きの曲を選んで演奏してくれた。みんなゆったりと鑑賞できた。

☆演奏のあと、子ども達は中山先生からピアノの手ほどきを受ける。はじめは恥ずかしがっていた子も「ねこふんじゃった」の曲をお母さんに手伝ってもらってポロンポロン引きはじめたよ。

(齋藤弓子)

2005年4月23日(土)〜24日(日)
 

☆23日は午後から「湘南アースデイ」のイベントでフェアトレードのファッションショー(ピープルツリー)やGOCOOという太鼓のバンドの演奏を見に行った。江ノ島の灯台の所で寒かったけれど太鼓の演奏には自然との一体感が味わえてすごーくパワーをもらった。明日24日は茅ヶ崎助産婦会でフリーマーケットに私たちも参加する。エーイ!

☆ところが24日は朝からお産で私と新開さんは助産院にカンズメ。東京から長女に応援にきてもらい他のスタッフと一緒にフリーマーケットに参加してもらう。儲けはあまり無かったらしいが、出店料とんとんでスタッフは結構楽しめたらしい。御苦労さまでした。赤ちゃんは1時10分に生まれた。女の子。家族で大喜び。良かった良かった。

(齋藤弓子)

2005年4月19日(火)

☆今年の桜もあっという間に終わり、助産院のまわりは若芽の吹き出る季節になりました。助産婦さんの子ども達も新学期を迎えたり、幼稚園に行く子あり、赤ちゃんだった子も元気に(元気すぎて!)飛び回る今日この頃です。

☆この頃、お産の方はとても安産の方が多く、安心しています。おっぱいの方も少しずつ遠くの方も見えています。おかげで、バス停とか駅までのお迎えとかが増えました。

(齋藤弓子)

2005年3月20日(日)

☆今年も洋室(入院室)の窓側のミモザの花が満開になりました。8年前、この場所に越してきたときに小さな苗木を購入して植えたのですが、まさかこんなに大きくなるとは思ってもみませんでした。小さな谷戸の途中に位置していて水分の多い土のせいでこんなに大きくなったんだと思っています。4月から社会人となる長男が浜松からやって来たので一緒に写真におさまりました。桜の花ももうすぐですね。

☆ひどい花粉症で、時々目も開けられない状態になります。お薬が大嫌いな私ですが(だいたい合わなくてひどい目になる)昨日は耐え切れず、スタッフの助産婦さんに目薬を買ってきてもらって何とか一息つきました。お客さんとお話する時もマスクが手放せません。いつまでこんな状態が続くのかと思うと絶望的な気持ちになります。......トホホ。

(齋藤弓子)

2005年2月2日(水)

☆好評の「子育てサロン」、今日は何と10組みのお母さんと子供たちが参加してくれて大にぎわい。助産院は場所とごはんを提供してるだけだから、どんなこと話してるのか分からないけど、皆元気に帰ってるからきっと楽しい会なんだろうね。いろんな月数の赤ちゃんが来るので参考になる....と言ってるママもいました。

☆2月3日の節分は”恵方巻き”というのを食べると災いが逃げていくというのをどこからか聞いたので、当日は太巻きを人数分作って「西南西」を向いて何も話さずモグモグとがんばって食べてみました。いつもうるさい子供たちもシーンとしてすごく変な雰囲気でしたがこれで悲しいことや辛いことが乗り切れるとイイナと思いました。。

(齋藤弓子)

2005年1月25日(火)

☆新年早々、気の滅入る事が続いた。........週1回日曜日に助産院のお掃除に来てくれているバングラのタニヤさんの 4番目の子が、出産予定日1ヶ月前の1月22日「常位胎盤早期剥離」で突然亡くなった。タニヤさん自身も命が危ない所だった。赤ちゃんは2100gで3番目のゼンくんそっくりのきれいな赤ちゃんだった。「こんなに大きくなるまでがんばったのに......」と涙が止まらなかった。赤ちゃんは翌々日、土に帰った(バングラでは火葬はしない)。........その他にもいろいろあって「何をしてもダメかな、昔の人の言ってた通りかな」と気が萎えた。でも体力のない私が気力まで無くしたらおしまいだね、とにかく今、自分は生きている!生きてさえいれば何かができるはず........だからがんばろう!

☆1月生れのスタッフの「お誕生会」をやった。おがわふみこさん、よしもとまりこさん、かねこかいねくん、いもとそのえさん。皆いい笑顔だね、ありがと。

(齋藤弓子)

2005年1月1日(土)

☆皆様あけましておめでとうございます。

☆12月は結構ヒマで、恒例の「星が山コテージ」での一泊忘年会とかクリスマスパーティーとか遊びほうけていましたが、12月30日ひどい風邪をひいてクラクラしているうちに、12月31日に男の子が生まれて、一緒に明けましておめでとうございます。

☆我が家もひさしぶりに4人の子どもが勢ぞろいして賑やかなお正月になりました。1月1日は道がけっこう空いていて、湘南鎌倉総合病院に入院中のお客様(34週で破水?)のお見舞いやら、39週自宅出産の初産婦さんの検診やらで一日が終わりました。「今年一年、元気な赤ちゃんとお母さんのおつき合いが出来ますように神様お守り下さい....」と腰掛神社にお参りしてきました。

(齋藤弓子)

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