齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1409-9

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp

 

 

齋藤助産院のふつうの日々

2007年12月3日(月)

 《 わけのわからないこと 》

 

☆11月30日から12月1日にかけて1年に1回の助産院の一泊旅行に行ってきた。とても楽しい24時間だった。力いっぱい遊びまくり、「今年はいろいろあったけど、でもみ〜んないい風にいってよかったな〜」と大満足で帰ってきた。(写真は御殿場の「時のすみか」の丘に今年新しくできた「世界最大のベル」をみんなで鳴らしているところです。)

☆しかし楽あれば苦あり。その夜から嵐がはじまった......。

(1)自宅出産希望の方で臨月まで大学病院に通っていて、今週訪問予定だった方から「37週に入ったけどお腹が痛いが陣痛かどうかわからない」と電話ある。「大学病院に分娩予約はしてあるんだけど....」「エッ??」内診して進み具合を診るということで助産院来院。来て10分後に生まれる。小さい!(2204g)APGAR5点の仮死!なんとか持ち直してくれて保育器に入れたが、活気がない。やっぱり搬送しようと病院に電話する。運良く最初の電話で受け入れがきまる。「病院からの紹介状は?」と言うと「必要とは知らなかった」「??」助産院は一度も診察していない。とりあえず助産院のカルテと母子手帳と検査成績を持って救急車に乗る。赤ちゃんは病院につながり、今の所は大丈夫そう。お母さんなりにいろいろ考えがあってやったことだと思うが、NICUのドクターが一言「飛び込みっていうやつですか?」結果的にはそう言うのかな。

(2)助産院に帰ってお茶を飲んでたら、2人目の39週の方から「陣痛がはじまりました」のTEL。「ハイハイ、どうぞ」とお部屋を用意していたら、電話があり「車の中で生まれちゃった」と半泣きの声。「赤ちゃん泣いてる?イロどう?」と聞く、何とか大丈夫そう。「今どこ?」「七曲りの下あたり」「じゃーそのまま来てください」。あわててバスタオル数枚と臍をカットする用意をしウッチーと外で待つ。パパはゆっくり慎重に運転してくれたらしく、それから10分過ぎ位に到着。赤ちゃん元気、ママ元気。まあ、これも有りかな。ママは「家を出る時はそんなでもなかったのに???....」とショックな顔。パパは「早く生まれてママを楽にしてあげたかったんだネ」と笑っている。

(3)そろそろ朝ごはんの仕度を〜と台所をウロウロしていたら又電話。2人目の経産婦さんで「陣痛がはじまりました。」まだ大丈夫と言っていたが、私が心配だったので来てもらう。でもやっぱりゆっくりのお産で、夕方の6時に力いっぱい頑張って男の子を産みあげた。助産院の普通の日々のお産だった。一泊旅行の留守番からずっと勤務してショック続きだったウッチーは、このお産に癒されて帰った。

(4)日付が変わって12月3日2時50分頃、「○○ですが陣痛が来ました」「○○さん?えっとお産の予約の方ですか。カルテがないですけど...」思い出した。3人目のお産の方で9ヶ月で来た人だ。「産む所がない。どこにもかかってない。」との電話だったので、「病院で検査してもらって紹介状をもらってきてくれれば大丈夫ですよ」と話したら、「お医者さんに行ってきた」と助産院に一度見えた方だ。その後、連絡もなかったので「あれ?どうしたのかな」と思いながら数週間経った方だった。「36週では赤ちゃんが小さいこともあるし、一度も診てない方のお産は出来ない。救急(119)に相談して下さい。」というと電話切れる。3時30分近く又電話がある。「どうしてもだめですか。救急車ってことですかねー」という。「自分で考えて下さい」というと電話切れる。4時少し前また電話。がやがやとした雰囲気と元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえる。「助産院のかかりつけの病院を教えて下さい」「えっ何それ!」と絶句すると電話切れる。2,3分後、電話あり。「○○の夫だけど掛かり付けの病院はどこ?」「それどういうことですか、○○さんはうちのお客様じゃありません、うちの名前など出さないで下さい」「何だよ、それー!無責任なこと言うなー!」と怒鳴る。奥で「もう、いいよー!」と女の人の声。電話切れる。以前の私だったら、全然知らない人から「陣痛です」と言われたら飛び出していたでしょう。そして元気な赤ちゃんを取り上げる幸せを味わうことが出来ていたでしょう。私は電話の向こうで元気に泣いてる赤ちゃんに会いたかった。「ようこそ、ようこそ」といってやりたかった。でも、それは出来ません。助産婦にも仕事をするルールがあります。ママと赤ちゃんの命を守れません。とても悲しくて、嫌な気分でした。

(齋藤弓子)

2007年11月30日(金)

 《 本当のこと?? 》

 

☆ジャーン!助産院が新しくなります。とうとう、これは本当のことになりました。銀行からお金を借りて、土地を買い、1週間前から工事にとりかかりました。もう後もどり出来ません。4,5年前から、いろいろハナシがあったのですが、今回は夏ごろ持ち上がったハナシでした。いろいろ調べてもらうと、今年の11月いっぱいまでに工事を始めていないと法律が変わってすごく面倒なことになる(ここらへんはほとんど市街化調整区域)らしいということが分かり、専門家の方々がいろいろ動いて下さいました。銀行からお金を借りるにしても、4月からの連携医療機関のことが解決していないとマズイということで、ナイ頭をしぼり、あちこちあたって、普段はエプロンつけて助産院の中のことしかやっていないので、一番苦手なことを本当に頑張りました。妊婦さんや赤ちゃんやおっぱいマッサージにみえる方に少しでもゆっくりできる場所を提供したい.....産みやすい場所、なごめる空間、働く助産婦さんも充分に自分の助産婦としての仕事が出来るように、助産婦さんのこどもたちものびのび遊べるように、又、ご近所の迷惑を少しでも減らせるように.....。

☆場所は今の助産院の近く。芹沢スポーツ広場の道を100mくらい老人ホームの方にむかった右側の畑のそばです。道ぞいなので工事しているのが見えると思います。皆さんも「こういうのがあると産みやすい」とか、便利だとかいろいろアイデアを出して下さるとありがたいです。

(齋藤弓子)

2007年10月21日(日)〜23日(火)

 《 お産カーニバルが終わりました。 》

☆秋晴れの気持ちのいい一日でした。江ノ島はお祭りが2つもあり、橋はもちろん、付近のルート134も大渋滞。カーニバルの参加者は電車で来られた方が多かったと思いますが、中には自転車組も。橋の上から見る富士山、きれいでしたね。

☆私は入院もなく、留守をお願いする人と交代して、「今日は一日カーニバル!」とるんるんバイクで橋を渡りましたが、はじまってすぐ、携帯がプルプル「お産です」、あわてて辻堂太平台へ。前回はずいぶん時間がかかったのに、今回は間隔がほとんどない位のすごいパワー。新開さんが助産院にお産の荷物を取りに行き、もどった時はもう生まれる直前。2時からの新開さんの「マタニティ・ヨガ」にも間に合って(11時過ぎに呼ばれ、1時に生まれた)良かったね。お産カーニバルも親子のパワーがすごいけど、もうひとつのカーニバルにつきあったかなあ〜という感じです。

☆今日は金子さんがアタマをかかえながらお金の計算。みんなでカーニバルの荷物の整理をしています。いつもの光景です。カーニバルでがんばったお母さんの一人が、おっぱいをつまらせてマッサージにやって来ました。いつもの光景です。

(齋藤弓子)

2007年10月8日(月)

 《 今日は本当の休日。 》

☆入院の方がここ1週間いない。思いたって夫と車で昼すぎ、前から気になっていた長谷の「一花屋(ichigeya)」というお店に行くことにした。雨も降ってきて海も荒れているせいか、クルマの流れもスムーズ。「一花屋」は1年半前のお産のお客さん(もっとも、逆子がなおらず湘南鎌倉病院で帝王切開だった)、ふえりこさんが8月に始めたお店。「手ぬぐい」とお茶の店。話を聞いただけではもうかりそうもない気がしたが、ナカナカ、イイかんじのお店。長谷の「力餅」から御霊神社に入っていく道ぞいで、地元の人はもちろん、観光に疲れた人がフラッと入って来ても、ゆっくり出来そうなスペースに仕上がっていた。(自分たちで改装をした。)手ぬぐいといっても、いろんな用途に使えそうな面白いガラばかりで、送ってもらったばかりなのに、また買い込んでしまった。ふえりこさん夫婦、あおさんのこれからの日々が楽しみです。

☆帰り道、「稲村ヶ崎温泉」という所を見つけて入った。1200円の入湯料はちょっと高めだが、お湯はおハダスベスベでかなりいい感じ(18才以上)。お風呂を出てから隣のレストランで夕食(遅い昼食?)をとり、10月10日は夫の60才の誕生日なので、二人だけの「カンレキ祝い」をした。雨上がりの夕暮れ時、一瞬だけあかね色に染まった雲が美しい。いつも通り、行き当たりばったりにしては上出来の一日でした。

(齋藤弓子)

2007年9月30日(日)

 《 あの日があったので...... 》

☆7,8,9月は15人前後のお産で忙しく、趣味の「朝の長風呂」が出来ない日が多かった。9月は破水して、3日目、陣痛の来ない初産婦さんと、子宮口が全開しているのに有効な娩出期の陣痛が弱く、羊水が濁ってきた初産婦さんが、湘南鎌倉病院のお世話になった。幸い2人とも、病院のおかげで自然分娩が出来、本当に良かったと思う。今はまだお乳の出が悪いとか、体調がすぐれないとか、元気がいまいちだが、自分なりに工夫してのりこえられる人達だと思う。

☆数年前、やはり初産をここで迎え、3,4日かかり、病院にもお世話になっていた方が、今回2人、3人目を産んだ。行きつもどりつ、自分なりに向きあって乗りこえて来た人はすごいナーと思わせる出産だった。産後、ブルーだった一人目の時の反省から「今回はあまり無理せず、上の子もいるので、ミルクを使ってやっていこうと思います!」と言って帰ったのに、「なんか、おっぱいだけで良く眠ってくれるんですヨー」と余裕である。「あのお産があったから....、あの日があったから、今日のお産がある」と言ってもらえると、心の底からうれしい。そばに居るだけかもしれないけど、私もいい仕事してるナーと思う。一方で、20才の2回目の方「陣痛っぽいヨ」と一報のあと20分くらいで「産まれちゃった!」「赤ちゃん泣いてるヨ」あわててむかえに行って(ちょっと道にまよって)体重を計ったら3760g!すごすぎる。よく、くしゃみしたら生まれたとか聞くけど、イルンダナーとびっくり。本当に「それぞれのお産」です。

☆10月21日お産カーニバルが近づいています。準備はチャクチャクと進んでいるようです。実行委員のお母さんたちのパワーは本当にすごいです。きっと楽しくて、優しくて、タメになる!イベントに仕上がると思います。是非ご参加下さい。

(齋藤弓子)

2007年8月31日(金)

 《 今年の夏 》

☆梅雨明けが遅く、「今年の夏は、いつ来るのかな」と心配していた8月1日、急にセミが鳴き出し、カッと太陽が照りつけ、モウレツに熱い夏がやってきました。8月の助産院のお産は個性的でにぎやかな方が多く、パワフルで、産後の朝のダイニングは、とてもにぎわっていました。きっと家に帰ってからもメールが飛びかっていることでしょう。

☆中旬に42Wで病院に行かれた方がいました。40Wでまだお産のイメージがつかめていないようでした。それから数日おきに診察して、動いてもらって、いい感じになってきたのですが、時間が足りなかったかな、という所です。ようやく陣痛が来たのは42Wでした。初産で、私としては順調に行きそうに思いましたが、病院の診察を受け(42Wなので)、本人の判断で転院され、翌日、夕方、元気に出産されました。初産の人が、お産のイメージをもって、体・心づくりを妊娠中から心がけることはとても大事なことですが、後で「見通しが甘かった」と感想をのべる人もおり(だからこそ産める?!)、どこ迄がどうなのか、ひとりひとり違うし、産んでみなければわからないということもありますね。

☆後半、予想外に自宅出産になった方(動けない!)もおり、自宅出産が目白押し。出産の他にも、産前・産後のケアーで大忙しです。一晩に2人の出産もありました。8月はあとひとり。平塚の自宅の方。9月に持ち越しかなー。助産院的にも、持ち越し事項がいくつか......。でも、きっぱり夏は終わったようですね。夜の虫の声が大きくなってきました。結局、8月は15人生まれました。(病院で産んだ人も入れると16人です。)

(齋藤弓子)

2007年7月23日(月)

 《 大潮、台風、3連休のすごいパワー 》

☆4、5、6月は7〜8人の出産だった。7月くらいから去年のペースで、14〜15人の出産が控えている。7月前半のお産の人は、のんびり型が多く、7月10日の時点で予定日を過ぎている人が3人いた。7月11日、予定日前(39週)の人が入院してきた。「あれ?混むぞ!」の予感。13、14、15日は大潮だ。おまけに3連休。部屋は間に合うだろうか?その後7月13日、14日、15日と順調に生まれ、まあ、ここ迄は上の部屋も使い、いつも通り。日曜は台風接近!おかげで15、16日は遅れていた2人も来院。整体部屋も使うはめになった。ちょうど帰ってきていた末の息子を「車に寝てチョーダイ!」と起こし、ブーブー言われる。おまけに、全員経産婦さんなのだが、時間のかかるお産が多く、一度家に帰ったり、アクティブに動いたり、けっこう大変そう。16日の出産が唯一、4時半ごろ駐車場から歩いて入院、「5分になったら呼んでね」といって朝ご飯を作っていたら、ご主人が「5分になりました」と呼びに来たが、(ホントかな)と思うくらい涼しい顔をしている。それから破水して30分位で生まれる....という安産でした。

☆そして18日、19日...夫の父の通夜・告別式があり、山形に行きました。おじいちゃんは86才で老衰ということでしたが、パーキンソン病をわずらって20年、よく丁寧に生きたと思います。(本当は120才まで生きたかった?)建具職人だったので、子供たちの机を3つ作ってもらいました。(末子が小学校に入った時は病気で作れませんでした。)いつも私達を見守ってくれていましたが、なくなっても、そのフンイキが心の中に残っています。

☆山形に行っていた19日、遅れていたもう1人も生まれました。新開さんと金子さんがお手伝いしました。新開さんは「お産は大丈夫だけど御飯がね...」と言っています。でもけっこう上手です。山のようなセンタクモノもきれいに片づいていました。今月はあと3人です。でも来そうにありません。月末に大潮があるので、そのころ、3〜4人生まれてくれると、8月がスムーズなのですが....。こういうことばかり考えていると、何かしたくなる人の気持ちが分かります。金子さんと吉本さんは今日から夏休み。伊能さんは8月から産休あけで復帰です。4人の元気なチビッコも出勤です。ここ迄書いて、気持ちがおちつきました。本当にドトウのような1週間でした。

(齋藤弓子)

2007年6月30日(土)

 《 伊能さん4人目生まれました 》

☆6月30日(土)予定日ぴったりに、伊能ベビーちゃん誕生しました。子ども達はいつも通り(早起き)元気に登場。カメラマンの宮内さんも文葉(あやは)連れでかけつけました。介助は大親友の新開さん。お産は入院して1時間足らず。あまりに早くて、宮内さんは「いろいろ決めて撮る時間がなくて....」ちょっと残念そう。新開さんも「押してきたなー...と思ったらもう頭が出たーという感じ」。本人は「風呂入ろうかナー」とお風呂。「産むのは布団」と部屋にもどり、「頭はさまったヨ、アー出るー」と、メいっぱい感じながら産んだようでした。パパは「3時から仕事」なのでそれまでに生まれるとイイナーと言いながら、慣れた態度でバックアップ!「大きなお腹のわりに中味はそうでもない」といわれていましたが、3424gの男の子でした。これで二男二女になりました。子ども達はアンパンマンのDVDを見たりしながら立ち会ってくれました。でも「いつものこと」というフンイキです。こんなにも平和な「普通の日々」、生まれた時は快晴でした。午後から雨が降り、木々の緑がきれいです。奏太(かなた)くん、君の生まれた世界はどんな感じ?いっぱい泣いて、ウンチやオシッコして、おっぱい飲んで元気に育ってネ。

(齋藤弓子)

2007年6月27日(水)

 《 梅雨に入りました 》

☆「梅雨入り」のニュースの後、2,3日は夏日が続き、プールが大活躍。助産院の子ども達は帰ってくるなり「プール、プール!」で大はしゃぎでしたが、ここ2,3日は雨続き。出番のないデカプールが狭い玄関で大きな顔をしています。6月のお産は、あと、助産婦の伊能さんを残すだけになりました。伊能さんは4人目ですが、前回は予定日よりだいぶ遅れたので、もしかしたら7月になるのかもしれません。腰掛神社にお参りしたり、ウム気はいっぱいなのですがね。(でもしっかり働いています。)

...... ここまで書いてそのまま数日たちました ......

☆7月のお産の予定のSさんが、20時過ぎ「10分おき、チョット痛い」と電話があって、21時位に入院し、23時10分には出産!赤ちゃんが勝手におりてきた....というスムーズなお産でした。妊娠中は逆子がなかなか治らず、36Wで病院に行ってもらったのですが、医師の外回転が2回目で成功し、37Wで助産院で産むことになった方でした。病院に行く時は私達は早々「残念だったね」なんて送りだしていたのですが、本人は「あきらめない」と言って、最後までハリやら体操やら頑張って通っていました。臨月になってから、気持ちも体もずいぶん前向きになってきてるナーと思っていましたが、いいお産が出来て良かったです。赤ちゃんにも感謝しなきゃーね。

(齋藤弓子)

2007年5月7日(月)

 《 ネコの赤ちゃん 》

☆連休の最中、近所の外猫が助産院の洋室の窓の下に赤ちゃんを産みました。三匹です。3匹とも黒白シマ模様です。母親のミケちゃんはずっと授乳中です。時々ごはんを食べに行った時のぞくと、まるでダンゴのようになって休んでいます。ミャーミャー鳴く時もありますが、今はお客様が誰もいないので、そんなに気になりません。三年くらい前、別の三毛ちゃんが庭で赤ちゃんを産んだ時は、我が家のニャンポン(去勢オス猫・黒)は何をカン違いしたのか(?)すごく落ちつきなく、ずっと外にいて親子を見守っていました。子供たちが自分で歩くようになると母親はどこかに行ってしまい、数匹生まれたうちの1匹だけが(茶と白のシマ模様)残り、数年ニャンポンのいいともだちでした。

☆「お産といのちの全国ネット」への署名と、提携医療機関をお願いする署名は4千人以上あつまり、ネットへの方は事務局へ送り、提携医療機関の方はいま、その声が有効に反映されるよう、様子をみている所です。まだ結果は出ていません。署名を集めている時に、助産院で生まれた赤ちゃんに不幸があったことを知りました。本当に元気にすごしていた子が、1週間位で天国に旅立ってしまう........かける声もありません。「普通の日々」の中にある「普通でないこと」、なかなか心の中がもんもんとして文章になりませんでした。

(齋藤弓子)

2007年3月23日(金)

 《 助産院の危機 》

ママのお腹の赤ちゃんは、どこにいるのかな?

☆「すごく寒い」「雪が降って大変」と思うこともなく、今年の冬は終わるのかな〜と思っていたら、ここにきて寒い日が続き、本格的な春は足踏みしているようです。でも、子ども達がいっぱい採ってきてくれたツクシで作ったつくだ煮や、山のセリのおひたしなど食べてると、確実に春が来ているのを感じます。東京は桜が「開花宣言」したようですが、芹沢はまだつぼみも固く、咲きそうにありませんので、この谷が桜の花に囲まれる本格的な春にはまだ時間がありそうです。

☆3月の出産はとてもバラエティーに富んでいます。自宅で産んで助産院でゆっくり(長く)過ごす人や、産んだら当日に帰ってあと自宅訪問の人、また、普通の入院の予定が上の子の調子が悪く、自宅訪問に切り替えて帰っていく人等。おかげで助産婦はあちら、こちらと訪問の仕事が増えて助産院カーが大活躍です。

☆昨日は朝の庭仕事を終えて家に入ったら、テーブルを囲んで何人もの人が署名をしていました。多分に夫のブログで「助産院の危機」を知り、来てくれたらしく、いつになく真剣な顔で書いています。2,3日前は「あ、お願いするの忘れてたー」という程度だったのに。ネットでお医者さん達の見解やブログなどを見て、何か自分が悪いことをしている気分になったり、「母乳相談だけでもやっていけるかなー」と考えたりして、どうも前向きの力が出ませんでした。「おかしいよね、私達のことなのに私達に何も言えないなんて」とある人がつぶやいていました。「世の中の決めごとってこうして決まることが多いらしいよ」と応じながら、でも何か間違っている気がします。「産む人」にとって「生まれる人」にとって、家族にとって....もっと柔軟な対応を考えてくれる世の中であって欲しい。そのためにどうしたら良いか....を考えていく政治であって欲しい。あー!でも、その前に「ゼツメツシテイシュ」の助産院をなんとかしなきゃと言ったら、誰かがずばり「保護しなきゃーね!!」だって。

(齋藤弓子)

2007年2月14日(水)

 《 あれから10年..... 》

☆4番目の子どもが生まれた年の私の誕生日に出した「開業届」。「今どきめずらしいね〜」と言って保健所の係りの人がだしてくれた用紙は古く黄ばんでいた。それから又、病院に勤めたり、土日の夜勤だけして、昼はおっぱいマッサージ、1年に数回の自宅出産など、そして十数年、ようやく念願の「建物」としての「助産院」を持つことができたのが、十年前の2月14日(世間的にはバレンタインデー)。その日は2日前に自宅で生まれた和田さんの「としあき」くん、助産院で初めて生まれた「ひろし」くんの、2人の赤ちゃんが入院していた。とても元気な男の子たちだった。「としあき」くんは2人の兄達にもまれながらたくましく育ち、「ひろし」くんは途中大病しハラハラドキドキナミダナミダの日々もあったけど、今はムシとダンスの好きなフシギ少年に育っている。

☆私や私の家族の10年、ひとりひとりのスタッフの10年、産んだ人、生まれた人の10年、その家族たちの10年には、多分いっぱいいろんなことがあったんだよね。気がつけば4人いた子供達は全員外に出て、実質的には夫とネコの「にゃんぽん」だけが残った私の家族。今年は新たに決まった提携医療機関の問題が片付くまでは「お祝い」をする気分ではなかったけれど、スタッフから「ストップウオッチ」2個と新しい「けいたいでんわ」のモクロクをもらった。多分「お仕事がんばってください」というメッセージと受けとめ、いっぱい責任と元気を感じた。これからどんなことが起きるのか分からないけど、やっぱりこの10年はお祝いしようと思う。

(齋藤弓子)

2007年1月31日(水)

 《 ひとりひとり違うお産 》

☆あけましておめでとうございます。なんて、ちょっとボケてるとしかいいようがない程、「年も明けて」しまいました。1月の10日くらいまで、お産のラッシュでした。1日おきに赤ちゃんが生まれ(または1日に2人)、途中まで作っておいたおせちも、手伝いに来た娘がお正月のご飯を作ってくれ、なんとかしのぐ感じで過ごし、バラバラと帰ってきてくれた4人の子供と夫と、どんなお正月をすごしたのか思い出せないくらいです。(ボケも入ってはいるが......)10日過ぎから20日過ぎまで、あんまり生まれないのんびりした日をすごしました。暮れに買った大皿をながめて、「今年の正月はこの大皿にいっぱい、きれいに並べて家族にご飯を食べさせたかったな〜」と(私はイヤがられるくらい人に食べさせるのが趣味です)ながめる時間がある位、ヒマでした。

☆26,27日位から又、ラッシュがはじまりました。自宅が多いので、あっちこっちと大変です。経産婦さんの上の子たちが新しい経験にどんな反応をするのか、楽しみでもありました。昨日は赤ちゃんが生まれると出血がはじまり、胎盤が出たあとも出血がなかなか止まらず、定石どうりのことをして1時間くらいしてもスッキリせず、子宮の表面はホコホコして押すとビューと出血してきます。「もうこの点滴が効かなかったら病院に行きます」と言って新しい点滴に換え、赤ちゃんにおっぱいを吸わせたら(その前はなめる程度)チューチューとても上手に吸ってくれ、3回くらい普通の後陣痛が続けてきてくれました。その後の出血は20g程度で、子宮の壁もなめらかになり、「普通の子宮」になってくれているようでした。3時間くらい様子をみて、大丈夫そうだったので抜針し、帰ってきました。朝になっていました。自分で4人か5人を自宅で自力出産したお姉さんが立ち会ってくださいましたが、やはりお産は「ひとりひとり違うんだな」と思われたようです。夕方お伺いしたところ、すっかり落ちついていましたが、やはり貧血の表情でした。10才のお姉ちゃんのお友達がいっぱい来てくれていました。お姉ちゃんは「私も産めるか心配、お母さんがすごく心配だった」と言っていました。お父さんもお姉さんも、とても心配したようです。でも、玉のような3番目のムスコはのんびりとすごしているようで、2番目のムスコを更に大きくしたような存在です。いっぱい汗をかいたけど、何とか落ちついて良かったです。本人は「普通はそんなに”ち”なんか出ないのよ、私はトクベツだって....」なんて説明していました。魂もトクベツ(?)かな。

(齋藤弓子)

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