元の発言 [ Re: ちと反論と言って良いかどうか? ] お名前 [ くみ ] 日付 [ 7月12日(金)01時22分24秒 ]
>> > 九州の弥生中期前半には当時の灌漑技術で水田化できる平野部は開墾されてしまって、条件の悪い土地に湧水をためる「ため井」まで作って水田を作らざるを得なかったと考えられますが、
>> 水稲農耕技術セットを携えた渡来人がまず北部九州に上陸して、水稲を始めたのだというのすが、その人達はどこから来たのですか?
考古資料では水稲農耕は灌漑と農具から住居(松菊里式)までセットで入ってきています。
山崎純男氏(福岡市教委)によれば「弥生渡来人は全てを持ってきた」(技術から階級、戦まで)と言うことなので、金属器も当然含まれるでしょう。
その他発言: