元の発言 [ Re: ちょっと反論? ] お名前 [ くみ ] 日付 [ 7月17日(水)02時05分47秒 ]
くみさん、こん晩は。
>> レス遅れてすいません。最近いろんな本を読んで、なにがなにやら収拾がつかない状態です。
>> 今日は「連作障害」とか「肥料」とかそんなことを調べてみたのですが、なかなか分からなくて、難しいです。
江戸時代に都市部の糞尿を有機肥料に使いだして収穫量が増えたのだそうです。
>> カリフォルニアではレーザー光線で1面4ヘクタールの高低差を1センチメートル程に整備して飛行機による湛水直播を行っているのだそうで。すごいですね。
>> 日本は田植えが当たり前だと思っていたのですが、検索すると直播への取り組みも積極的に進められているようです。
手間を省くためでしょうネ。
>> 「考古資料は全て韓半島」というのはあちこちで読みました。しかし反論も出ています。それはまた後日として、渡来人の話。
>> 弥生人が縄文人と繋がっているか否かについては、まだ結論は出ていないようです。
>> どちらの意見を読んでも科学的な根拠をあげて論じているので、本当に分かりません。
>> 両方を読み比べて、どちらが正しいのでしょうか?
>> ■「古代を考える 稲・金属・戦争 弥生」佐原真編 吉川弘文館 2002年
>> > 北部九州の弥生人骨の絶対多数は弥生時代中頃に属しており、縄文晩期〜弥生初期の人骨は欠落している。中期の弥生人骨のうち渡来系弥生人と縄文系弥生人の比率は80〜90%対20〜10%である。(P8)
>> ■「日本の歴史01 縄文の生活誌」岡村道雄 講談社 2000年
>> > 近年ようやく弥生時代初期の人々の骨が発見されるようになり・・・糸島半島に位置する新町遺跡の支石墓から発掘された人骨は、縄文的風習であった抜歯が施され、縄文人的形質を多く持っていたからである。佐賀県大伴遺跡の支石墓群でも、多くの縄文的な人骨が発見されている。・・・どうやら水田稲作の先進地帯でも、稲作のほとんどは、縄文人が受容したといえるようだ。・・・縄文人が・・・弥生人になった。(P334)
中橋先生によると、今は九大だけで約3000体の資料があるそうです。
その中の殺傷痕があるものの多くが“命つくし”と(記紀に)書かれた筑紫(二日市地峡帯)から出土している(と言うか、大部分に殺傷痕があった?)と言うのも興味深い。
また、栄養状態などの影響を受けない頭長率その他の数値、歯の形状などは弥生人から現代人まで直線をなしており、縄文人は大きくずれているそうです。
また、傍証としてmDNA、肝炎ウイルスも列島中央部と南北で異なるそうです。
mDNAについては前週の吉留秀敏氏(福岡市教委)がミトコンドリアイブに絡めて面白い例えを言ってました。
興味あります。?
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