元の発言 [ Re: ちょっと反論? ] お名前 [ オヤジッチ ] 日付 [ 7月16日(火)21時28分32秒 ]
オヤジッチさん、こんにちは。
レス遅れてすいません。最近いろんな本を読んで、なにがなにやら収拾がつかない状態です。
今日は「連作障害」とか「肥料」とかそんなことを調べてみたのですが、なかなか分からなくて、難しいです。
カリフォルニアではレーザー光線で1面4ヘクタールの高低差を1センチメートル程に整備して飛行機による湛水直播を行っているのだそうで。すごいですね。
日本は田植えが当たり前だと思っていたのですが、検索すると直播への取り組みも積極的に進められているようです。
あまり関係のない話ですが、今日のおさらいでした。
>> 先週の金曜日が「骨から日本人の起源を考える」(中橋孝博・九大教授)でした。
>> 骨から見ると、弥生渡来人は江南系だということでした。
>> でも、考古資料は全て韓半島を示しています。
「考古資料は全て韓半島」というのはあちこちで読みました。しかし反論も出ています。それはまた後日として、渡来人の話。
>> もう一つ謎が、韓半島系で水稲耕作と一緒に弥生渡来人が持ち込んだといわれている支石墓の葬られていた人骨は縄文系だそうで、
>> 中橋先生いわく「なかなか商売の種がつきません」ってことで。(*^。^*)
Re: 廣野卓著『食の万葉集』(Re: ちと反論)のちょっと一服さんへのレスから
>> 弥生人は縄文人とは繋がらないと言うのが確定的なので、“米の味を知ったから”ではなくて“米の味を知ってる”渡来人が来たってことじゃないでしょうか?。考古学的にもそれが定説なります。
弥生人が縄文人と繋がっているか否かについては、まだ結論は出ていないようです。
どちらの意見を読んでも科学的な根拠をあげて論じているので、本当に分かりません。
両方を読み比べて、どちらが正しいのでしょうか?
■「古代を考える 稲・金属・戦争 弥生」佐原真編 吉川弘文館 2002年
> 北部九州の弥生人骨の絶対多数は弥生時代中頃に属しており、縄文晩期〜弥生初期の人骨は欠落している。中期の弥生人骨のうち渡来系弥生人と縄文系弥生人の比率は80〜90%対20〜10%である。(P8)
■「日本の歴史01 縄文の生活誌」岡村道雄 講談社 2000年
> 近年ようやく弥生時代初期の人々の骨が発見されるようになり・・・糸島半島に位置する新町遺跡の支石墓から発掘された人骨は、縄文的風習であった抜歯が施され、縄文人的形質を多く持っていたからである。佐賀県大伴遺跡の支石墓群でも、多くの縄文的な人骨が発見されている。・・・どうやら水田稲作の先進地帯でも、稲作のほとんどは、縄文人が受容したといえるようだ。・・・縄文人が・・・弥生人になった。(P334)
その他発言: