博物館の展示を見てヤマタイ国時代を含めて考えました。
縄文時代から日本人は、汁の出汁に色々なものを使ってきています。
地方それぞれに、特色有る出汁の素があるわけです。
鹿児島の上野原の場合、猪や鹿の肉の燻製を作っていた事が解っています。
では、其れを汁の出しに使っていたのでしょうか?
可能性は有ります。
が、基本的に、現在のイリコなどの可能性も有ります。
また縄文時代は、貝塚の貝の干し物を使っていた可能性も想像できます。
貝の干し物は、交易ようとして、内陸部との塩として使われた説も。
ここで少し脱線、五月の頃、蛤を食べた方が其のナかに真珠を見つけています。
同じ時期に、今度は、味噌汁に入れた蜆から同じように見つかった例を、新聞報道で知りました。
其れでは、縄文から弥生にかけてもどれだけ日本中で真珠が、出ていたんでしょうかね?なんて思いましたが。
如何なんでしょ?
ここで元に戻り、上記の説からすると、貝の出汁での汁が多くの地方でだべられていた事が創造できます。
博多辺りでは、アゴと言って、飛魚から出汁を取りますね。
これはやはり、縄文の昔からの食文化なのでしょうか?
其の辺りに、邪馬台国があったとすると?卑弥呼は?
また、平原墓の女王は、そんな汁に舌ずつみを打っていたのでしょうか?
四国に有ったとすれば、縄文からどんなものが使われたのでしょうか?
もし、邪馬台国が東遷したなら、人々は、使うものは、如何変化わっていったのか?
中部の信州辺りでは、山の文化として紅天狗茸を使っています。
これも縄文の頃からでしょうと、考えられます。
三内円山のキノコの粘土品を見ても、この事は想像できます。
各地での縄文から使われていると思われる品物を考えますと、其の地方であったら、
どんなものを、卑弥呼が、トヨが食べていたのか、想像すると楽しくなってきます。
皆さま方が、考える場所では、それぞれどんなものが想像できますか?教えてください。
また、縄文時代から、米が作られている地方では、やはり弁当などのメニュウの一つに、
おにぎりや粽が作られていたんでしょうか?
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