Re: 記録に残らない食文化ですから

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [7月9日(火)21時26分24秒]

元の発言 [ 岩下志麻と木の実ナナ ] お名前 [ たかとり ] 日付 [ 7月9日(火)19時27分07秒 ]

>>>>>>馬頭器さん、こんにちわ。

たかとりさん、如何も、こんばんは。
PCの調整で遅れて済みません。

>>>>>>たまにはこういう話題もいいですね。
>>>>>>出汁と出汁殻という視点からはどうでしょう。
>>>>>>旨味成分だけを利用し、出汁殻を捨てるという料理法は古いものではないような感じがします。
>>>>>>縄紋時代に貝の干し物を使っていたとして、汁に入れてそのまま食べたと思いますよ。

同意しますが、物によると思いますけど
煮干やベーコンとかキノコや魚ナンかだったら、そうでしょうけど
まさかアゴ飛魚の骨を焼いたものや鱧の骨を焼いたものとか、
ラーメンの出汁やビヨンのように骨を煮出すとかだったら、少し違ってくるでしょうし。

>>>>>> 卑弥呼の時代の最高の御馳走は豚ではなかったでしょうか。
>>>>>> 箸がなかったとすると、丸焼きにしてぶつ切りでしょう。豚汁は箸なしでは食べにくいですね。

有得ますね。
イノブタとか鹿、または、猪とか。
スプーンみたいなものは有ったみたいですから、其れほど不充は無いかも?

>>>>>> 巫女という仕事、なかなかに重労働だったと思いますよ。卑弥呼は豚が好物だったのではないでしょうか。

でも、何処でも、巫女には潔斎と言うものがつき物なので実際は如何でしょうか?
当時の食事に関する宗教的タブー、慣わしは、全く解っていませんから。

 >>>>>>しかし、最高権力者で、好きなものを食べられるとすると、あわびかな。
 >>>>>>卑弥呼の時代の汁物といいますと、当時のお椀から考えなければならないのですが、どうでしょうね。
 >>>>>>どんぶり鉢型? 汁碗型?

やはり汁椀では?煮た大きさの土器類は、非常に多いようですし、そして皿も。

 >>>>>>それにしても、箸のない食事というのは想像しにくいですね。
 >>>>>>実際のところ、日本列島で箸が使われ始めたのはいつ頃なのでしょうね。

箸に付いては、タケハヤスサノウノミコトの神話がありますね。
でも、縄文時代から一応、使ってはいる様ですね。
但し、現代のような二本箸ではなく、一本の棒を折り曲げるピンセットの様に使うものの様ですが。

キムイルボンさん、今晩は。

>>>>>今年の春、明治大学で卑弥呼像に迫るという、講演会があり、拝聴したんですが、卑弥呼は岩下志麻ではなく、木の実ナナに似ていたのではとの話が、ありました。
>>>>木の実ナナというとそっくりの体型をして覆面をした人が都心部で車道をジョギングで横断するのを目撃したことがあります。
>>>>卑弥呼さんも楼閣を裏から抜け出し三輪山の山中をジョギングしていたので、現代で言えば山田五十鈴さんのように長生きできたのでしょうか。

>>>>只当時は猪のみならず、狼も多く、又大蛇も横行していたことでしょうからこれはなかったかな。

有りすぎたと思いますね。
現在も伝わる修験道などでも山岳修行は当たり前ですし、
韓国のフゲキの修行でも似たものはあると聞いたことがありますが、如何ですか?
其れに紀伊半島では、同じ緯度に同じ太陽信仰の古くからの神社が連なっていることも、事実ですしね。

>>>>歌舞伎、獅子頭のような動きで長髪を振り回し、画文帯神獣鏡をぶら下げて、鬼道の神がかりをする。
>>>>それでいて日食、月食などは計算して時刻を出さなくてはならない。(これは別途専門筋から情報を仕入れるのかもしれない。)しかし現代よりは気の利いたダイエット食をしていたのかも。

言えますか。
ですが、韓国では、縄文期以前とも言えるような時代から伝わると思えるような、出汁ってナンですか?
縄文時代から、半島と行き来した人達が、お互いに影響しあっていないないとは、考えられないので、特にこの方向では。

>>>>しかし巻向の厠の跡からは蛔虫が沢山出てくるようで。まー、戦後の日本のような衛生状態だったんですかね。(ところでトトヒモモソ姫が箸でホトを突いて死んだというのは、姫がタタラ儀式の最中に土師が意図的かどうかは分からないが[今知られるタタラにおいてはありえないものの]火戸というところを自在か何かで突いたときに爆発、ないしは、ノロのようなものが流出し、これによって謀殺ないしは事故死したとは解釈できませんか。)

さて、どんな、ものでしょうね
只、寄生虫と言っても、程度によりけりでしょうし。
寄生と共生は紙一重とも言えますしね。

 >>岩下志麻は北方系、木の実ナナは南方系という意味で仰有ったのでしょう。
 >>好みからしますと岩下志麻ですが、客観的には木の実ナナが妥当かも知れませんね。
 >>周囲の男連中が黥面文身していたとすると、岩下志麻ではイメージにそぐわないですね。

如何なのかな?
美人は美人ですし、いろんなタイプがあって言いと思いますが、インドのタミル地方の関係も取り沙汰されていますし。

 >>岩下志麻が最も似つかわしい古代史上の人物といいますと、やはり、額田王でしょうか。
 >>木の実ナナそっくりの体型をした女性は、ジョギングをする女性には珍しくないのですが、覆面をしていたとなると、木の実ナナ本人かも知れませんね。
 >>「倭迹迹日百襲姫のタタラ儀式」というのが解りませんね。
 製鉄では「女はタブー」だったことをどこかで読んだ記憶がありますが・・。

そうなんですか聞いたこと有りませんが?
ですけど、たたらの関連の神様が、女性とも聞きませんし、更には、黒不浄さえ問題にしないどころか、
積極的だったし、ダマスカス刀ですか、奴隷の体に突き刺して焼入れして作る刀。
そんな例も、ありますしね。

 >>卑弥呼が纏向にいたか八女にいたか、まだ未解決だと思いますよ。
 >>卑弥呼の好物のもう一つの候補に「なれ鮨」が考えられますね。
 >>当時、既にあったのではないでしょうか。なれ鮨はハレの日の食べ物ですが、卑弥呼の館は毎日がハレの日だったかも知れませんね。
 >>それと、塩辛。

当然、二つとも有ったでしょう。
なれ寿司は、米作りと共に、塩からは、其れ以前からと見るべきでしょう
現に、漬物らしいものは、出てましたよね?発掘で。

 >>豚、アワビ、なれ鮨、塩辛と並べて、結局、自分の好物を列挙しただけということに気付きました。このツリーのテーマは「汁物」でしたねぇ。

結局、食文化なんですから、あまり気にする必要ないのでは?

記録に残らない、残ってないと言うか、発掘で否定されているような例を考えますと、以外にこの方面からの突破があるかも?





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